泉への招待 真の慰めを求めて を読んだ
前回、前々回投稿してきたものの3部作目となる。
感想
良い本だった。慰められる。
前回の旧約聖書の話となるが、言葉は元々一つだったけど、人間が神に近づく、または超えようとして、バベルの塔を建設し、怒った神様が、言語を分け、人間を仲違いさせたという話がある。もちろん、その前から言語は分かれていたと思うし、これがあったから分かれたわけでもないだろう。言語は地域や文化に影響されている側面もあると思うし。
ただ、そういう観点から批判するのではなく、そういうものだとして、受け入れることが重要なのではと思った。(段々と宗教ぽくなってきました。)
無条件に受け入れるという点では、カナダに行ったことを思い出す。
私とカナダ
陸路でアメリカからカナダに行った時の話である。
バスに揺られながら、アメリカからカナダに向かった際、検疫(生ものとかあったら没収されるやつです)を受けた。英語をうまくしゃべれない私は、頼む、気の良さそうなおばさんに当たれと願っていた。こういう時に願いは叶うもので、気の悪そうな若い男の人がきた。
リュックをいきなりひっくり返され、すべてに対してこれは何?と聞かれた。私はこれは〇〇ですとすべてに答えた。
検疫で没収されるものは事前に調べており、はっきり言えば私には没収されるものは何もない。
服のポケットも見せろと言われて、おいおいそんなところに没収されるものなんてあるわけないだろと思っていたら、あるものが出てきた。
カリカリ梅である。
案の定、気の悪い若い男の人はこれは何?と大声で聞いてきた。私は梅という言葉がどうしても出てこず、こう言った。
「これはジャパニーズカルチャーだ。カリカリ梅はカリカリ梅だ。無条件に受け入れてほしい。プリーズ。」
没収されて、なぜかめっちゃ怒られた。
嘘です。