要石を見るために鹿島神宮へ行った話~ダイジンのものがたり
注意!映画・「すずめの戸締まり」のネタバレが含まれます。
1月中頃の土日に、茨城県・鹿島神宮へ行きました。
鹿島神宮は千葉県の香取神宮・茨城県の息栖神社とともに東国三社と言われており、茨城県の中で最も格式の高い神社のひとつです。
サッカーの鹿島アントラーズが必勝祈願に来ることでも有名ですが、今回の目的は要石です。
要石?なんか聞いたことあるぞ?と思った方、そう、昨年公開された新海誠の最新作「すずめの戸締まり」に出てきましたね!
「すずめの戸締まり」と要石
要石とは?
「すずめの戸締まり」に出てきた通り、地震を抑える役割の霊石です。でも一般的に地震を起こすと考えられてるのはミミズではなく鯰(なまず)。
時代や地域によっては鯰ではなく10本足のある虫が地震を起こすと言われいたりと所説あったものが、江戸時代ごろに鯰が定説へとなっていったようです。
なぜ鹿島神宮なのか?
要石は他にも千葉県香取市の香取神宮、三重県伊賀市の大村神社、宮城県加美町の鹿島神社等全国に存在します。
今回鹿島神宮を選んだのは単純に東京から近かったからです笑
作品に縁のある神社という観点では、「すずめの戸締まり」に出てくる要石・ダイジンが奉られていた大村神社でしょうか。ダイジンは1854年の安政大地震で母親を亡くした震災孤児。続く地震を抑える為自ら要石になることを名乗り出ました。
ダイジン自身は常世に入って要石になったらしいので、大村神社にはただ奉られただけかもしれないです。すずめの家の近くにいた(あった?)のも、恐らくあそこに後ろ戸があったからで、常世が見えるすずめに反応して現れたものと思われます。
草太さんも御茶ノ水で要石になりましたが、物理的にあそこに残ることはなく、東北の後ろ戸から入った常世の中で人間に戻りましたしね。
(百何年も同じ場所で石であり続けるのって、それこそ神社ぐらいじゃないと難しそうです。温泉街の建物内に猫の形の石がずっとあったとは考えづらい…笑)
ちなみにダイジンの出身は奈良県の三輪山付近。西の閉じ師一族だった石上氏によって奉られています。東の閉じ師一族は草太やおじいちゃんの先祖と思われる宗像氏。
劇中にクロネコとして出てきた東の要石(サダイジン)は1855年の安政江戸地震に一度抜けていますが、これは宗像氏によって再び要石になったらしいので、ちょいちょい要石は抜けるみたいです。
更に言うとおじいちゃん(宗像羊朗さん)とサダイジンは関東大震災(1923年)で面識があるようだったので、関東大震災の時にも抜けているものと思われます。
(これ書いてて思ったのですが、作品内が公開と同じ2022年だとしたらおじいちゃん100歳以上ですね…!長生き!)
ダイジンのものがたり
物語の冒頭ですずめがダイジンへ言った「うちの子になる?」が、すずめが幼いころ環さんに言われた言葉とリンクしていると考えられますが、この言葉がダイジンにとってどれだけ重い言葉だったのか。
母親を亡くし、自分と同じような思いをする人をなくそうと自ら要石を名乗り出た子供。寒くて暗い場所で200年余りを過ごしただけでも胸が締め付けられるのに、更に人々は要石の有難みやその存在すら忘れて、長い間信仰を向けられていませんでした。神様にとって信仰を失うのは消失にも繋がるものと思われます。そんな中でも要石の役割をずっとこなしていのです。
すずめの言葉ですずめをお母さんと重ねたのかなとか。草太さんを守る為にすずめが「私が要石になる!」と言うのを見て、どうして自分が要石になったのか、その気持ちを思い出したのかな、とか。大好きなすずめに自分と同じ辛い目に合ってほしくないと思って、また誰かから大切な人を失わせる訳にはいかないと思って要石に戻ったのかなと思うと本当に切ないです。
要石は絶対ではない
草太の家にあった閉じ師日記がNewtypeに掲載され、それを解読した方が何名かいらっしゃいます。(先ほどのダイジン・サダイジンの過去もそちらの解釈を元にしています)
そこで過去サダイジン(東の要石)が抜けたことがあること、ダイジンの前のウダイジン(西の要石)はミミズとの戦いに負けて消えてしまったことなどが書かれています。
一度要石を刺したらずっと安泰なわけでもないこと、ましてや要石が刺さっている間は大きな地震が起こらないわけではない、というのが分かります。(すずめが被災した大震災の時には、東西の要石は安定していた状態だったように描かれているので)
ここが結構大きいポイントだなと思っていて、要石が絶対に有効なものだとするとあの震災が閉じ師の失態になってしまうんですよね。
すずめが「閉じ師がちゃんとしてくれていたら…!」と責める気持ちが湧かないようになっています。(そういう子じゃないとは分かっていますが、それでももし誰かの努力で防げたものと知った時、なかなか辛い心情になると思います)
更に、(かろうじて)明言はされてはいませんがすずめが被災した震災はどう見ても東日本大震災をモデルにしています。実際にあった災害を扱う上で、創作上の誰かに責任を押し付けることは被害にあわれた方々への冒涜にもなってしまう危険がありますので、あくまで被害をなるべく抑えるための存在であり、その力は全ての災害には及ばないとしているのでしょうね。
旅行記
ここからは実際に鹿島神宮へプチ旅行した際の旅行記となります。 要石のところだけ見たい方はこちらにジャンプください。
下調べ
作中には出てきていないので聖地巡礼にはではないですが要石が全国にあると知ってぜひ行きたいと思いました。その中で実際に由来がある大村神社やダイジンの出身地である三輪山近くの大神神社は関東から少し遠いです。夏に全国を旅する予定があるので、その際に聖地巡礼と合わせて行くことにしました。
最近でこそ国内旅行をするようになりましたが、元々国内旅行は苦手です。車を持ってない・運転できない人間なのでどうしても見れるところに限りがあるんですよね。。
必然的に旅行は公共交通機関を使うことになります。鹿島神宮は電車だと本数が限られている&3時間弱かかる中、なんと東京駅から10分おきに高速バスが出ています。所要時間は2時間で、お値段も1850円(suica利用時)と電車に乗るよりお得て楽!
いざ出発
事前の下調べでどの程度混むのか分からなかった&この日夕方から雨予報だったので早めに観光を終わらせたいこと、そして何よりなるべく混む時間を避けるために朝5時に起きて東京駅に向かいました。
家を出た頃は朝というよりまだ夜な雰囲気でしたが、東京駅につく頃は空がうっすら明るんできていました。
早く着きすぎて15分ぐらい早朝の東京駅をうろうろしていましたが、土日にも関わらず外国人観光客など、それなりに人がいました。
八重洲南口改札を出たところにあるおにぎり屋さんで朝ごはんを確保して、出発10分前に鹿島神宮行きのバス乗り場(1番乗り場)へ。
既に1名待っている方がいて、私は2番目でした。すぐにバスは来てSuicaで料金を支払って乗車。現金でも支払えますが少しだけ割高です。バスターミナルの中でも乗車券は事前に購入できますが、座席の指定はできず満席の場合は次のバスになります。(早朝だったので20分間隔での運行でした)
06:50に予定通りの出発です。乗客は10名弱。ここから1時間56分で鹿島神宮へ着きます。う~ん、とっても楽。
到着!
バスに揺られて約2時間、生憎の天気&高速なのであまり景色は楽しめませんでしたが、音楽聞きながら寝てたらあっという間。
乗客のほとんどは地元の方なのか、「鹿島市役所」や「鹿島宇宙センター」で降りてしまい、鹿島神宮で降りたのは私ともう1名のみ。
歩いてすぐ、参道のメイン通りに出ました。最初に目についたのはこちら。鹿島神宮の名前の通り、神の使いである鹿が有名なんでしょうね。
大鳥居
思わず「おぉ~!」という声が出るほどの立派な大鳥居。
なんとこちらの鳥居、東日本大震災によって一度壊れてしまっています。
最初の地震で亀裂が入り、その後の余震で完全に崩壊したとのことです。
元々は石でできていた鳥居は、震災の3年後に木造で再建されて今の形になりました。
桜門
日本三大楼門の一つであるこちらの楼門は重要文化財にも指定されています。1634年に水戸の初代藩主徳川頼房により奉納されました。
本殿
本殿の写真がない…!?と思われるかもですが、改修工事中だったため外観は撮らずにお参りだけしました。
本殿の裏にはこの敷地内で一番古く立派なご神木や鏡石があるとのことだったのですが、そこも工事で裏に回れず。。残念です。
こちらには御祭神の武甕槌大神が祀られています。
奥参道
本殿から奥宮をつなぐ奥参道は立派な巨木が並び、とても厳かで神秘的な空気でした。帰りに通った時は観光客でにぎわっていたので、ぜひこちらは早朝の人がまばらな時間に雰囲気を味わうことをおすすめします。
奥参道は約300メートル続きますがその左手にさざれ石と鹿庭があります。
さざれ石
そう、国歌「君が代」にでてくるあのさざれ石です。
さざれ石自体は全国各地に点在しているそうなのですが、初めて見たのでちょっと感動。さざれ石は長い年月によって細石が大きくなったものです。とはいえ結構大きくてびっくりしました。
鹿園
天照大御神からの命令を鹿島神宮の御祭神・武甕槌大神へ伝えたとされているのが鹿の神霊・天迦久神であったことから、鹿は武甕槌大神の使いとして古くから大切にされてきました。
奈良の鹿も起源を辿れはこちらと知って驚き!
ただ、一時鹿島神宮の鹿がいなくなった時期があり、その際は奈良から逆輸入(?)して神鹿を譲り受け、現在の鹿園が再興されたそうです。
奥宮
こちらの奥宮は元々徳川家康が関ヶ原の戦いに勝ったお礼に、現在本殿がある場所に本宮として奉納したものでした。ただその14年後に新しく社殿を建てることになり、家康が奉納した社殿をこちらに遷したそうです。家康、涙目。
奥宮の後ろにも立派なご神木があり、こちらは近くまで行くことができました。真下に立つと見上げるのも首が痛くなるぐらいの高さ。とても立派ですし、何百年も生きていると思うと感慨深いですね。
要石
さていよいよ大本命の要石です!
奥宮の更に奥に進むとまずこちらの石像?が現れます。
鯰を抑えている人の像ですね。
すずめの戸締まりの中でも、草太の家に合った閉じ師日誌の中に似たような構図の絵がありました。
作中の閉じ師日誌に描かれていた絵は、要石を描いた実際の書物を参考にしたであろう構図で、この石像と同じようなものが多いです。
ただ作中の絵や、書物の多くではこの人(神様?)が要石と書いてある石を支えていたり、要石をさしていたり、とにかく要石を使って抑えている描写が主流です。一方、こちらの像は石が存在せず人が抑えているので、この人自身が要石と考えることもできると思うと興味深かったです。
ちなみに「すずめの戸締まり」に関連したお話をすると、サダイジンが一度抜けてしまった地震は、1855年に起こった安政の江戸大地震です。4000人以上の死者を出した大災害で、ひとびとは地震をひどく恐れました。その恐怖心から、地震から家を守るお札が流行り始めました。そのお札で使われていたのが、こちらの鹿島神宮のなまずの絵だったそうです。
地震が起きたのが10月・つまり神無月だったため、神様が出雲に出かけていて不在だったことが原因で地震が起きたと考えられたそうです。
この石像から更に50メートルほど奥に進んだところに要石が祀られています。
ちょこんと頭だけ出ているような小さな石に見えますが、水戸黄門が命じて石を掘り出そうとしたときも、七日七晩掘り続けても全体が見えなかったという逸話があります。
また冒頭でお話した東国三社のひとつである千葉県の香取神社にも要石があり、凹んでる鹿島神宮と凸な香取神社の要石は対になっていて、この2つで大きな鯰の頭と尾を抑えてると言われています。
そういった意味で本当は香取神社も行きたかったのですが、本数が少ない鹿島線に揺られて、そこから30分弱歩く必要があり、諦めてしまいました。
ちなみに昔はこの要石、社に囲まれてよく見えなかったそうです。
今はこうやって開放的に?祀られているのでちゃんと見えて良いですね。
ダイジンといっしょ
聖地ではないのですが、人があまりいない時間だったのでこっそりとダイジンと一緒に写真を撮っちゃいました。
いつも私たちを地震から守っていただきありがとうございます、という思いを込めてダイジンと一緒に参拝しました。
御手洗池
最後に、一番奥にあるのが御手洗池という池。
あまりにも水が透き通っておりとても綺麗。鳥居が池に見事にリフレクションしており、なかなか映える場所でもあります。
個人的には「すずめの戸締まり」に出てきた御茶ノ水の後ろ戸の場所に少し似ている気がしてちょっとテンションがあがりました。
途切れたことが無いというこちらの湧き水。どんな人でも胸を超える水位に上がったことが無いとの逸話があります。
私は大鳥居の方から入りましたが昔の参拝客のメインの入り口はこちら側だったようで、この池で身を清めてから参拝していたそうです。
この池のすぐ隣にお休み処があります。
お土産や甘酒、地酒、団子などの甘味、蕎麦などのご飯ものまでいただけます。
小腹が空いていたので焼きみたらし団子をいただきました。
こちらの料理は全て湧き水を利用して調理しているとのことで、ご利益があるのかも…?
要石もしっかりと売りのひとつになっていて、要石に見立てた和菓子が売ってました。
御手洗池鳥居
御手洗池側の鳥居です。こちらも大鳥居と同じく東日本大震災で崩壊したそうです。大きな地震だったとはいえ、地震を抑える要石があるこの神社の鳥居が二つも倒れるのは何か感じるものがありますね。当時地元の方の中には、鳥居が人々の代わりに地震による厄災を引き受けてくれたのだ、と考えた人もいらっしゃるようです。
こちらの鳥居は大鳥居より遅く、2020年にやっと竣工となりました。
真っ黒な鳥居がかっこいいですね!
ちょっとおもしろかったのが、こちらの鳥居の足元(?)にQRコードがあり、なんだなんだと思って読み取ってみたら鹿島神宮の公式HPに繋がりました。新しいものも取り入れている上に遊び心もあって良いですね!
おまけ
鹿島神宮自体の参拝&観光は以上です!
所要時間約1時間。来た道をそのまま戻りましたが、10時ごろにはすでにツアーの観光客や、小学校の遠足なのか子供の団体など、多くの人が行きかっていました。荘厳な雰囲気を味わいたい人は朝早くいくことをおすすめします。
さてこれで鹿島神宮の観光は終わり…と思いきや、実はここから徒歩25分強ぐらい歩いた場所に、もう一つのお目当てであった水上鳥居があります。
鹿島神宮の少し離れた四方には鳥居があるんです。
その中でも西の一之鳥居は昔から鹿島神宮参拝の玄関口と言われており、見事な水上鳥居で有名です。
折角なので見に行ってみよう!ということで大きい通り沿いを進み、そのあとは住宅地を抜けて、少し工業関系の建物もあったりするし何より歩いている間誰も見かけなかったので、段々心細くなってきました。
本当にこっちにあるのだろうかと疑い始めた頃、急に目の前に巨大な鳥居が見えてきてびっくりしました。
生憎曇天だったことや、あまりにも人気がないこと、何より想像よりずっと大きくて、ちょっと気圧されてしまいました。
なんとこちらの水上鳥居、厳島神社の鳥居よりも大きく、日本最大級の水上鳥居だそうです!厳島神社の鳥居もかなり大きいと思ったのですが、それより更に大きいとはびっくりです。
写真だけでも明るくしたいと思い、フィルターをつけて撮ったのがこちら。彩度がおかしいですがご容赦ください。。
これで本当に観光は終わりです!
今度はJRの鹿島神宮駅まで歩いて戻ります。お昼をここで食べてもよかったのですが、あまり唆るものがなかったので東京駅に戻ってから食べることにしました。
帰りのバスでは、鹿島神宮駅を出た時は乗客3人程度だったのが、途中どんどん人が乗ってきて、高速に入る前には座席の半分以上が埋まってびっくりしました。(まぁそれぐらい埋まらないと10分に1回運行しないですよね)
鹿島アントラーズのキーホルダーをリュックにつけた人や学生さんなどがメインで、観光帰りの人というよりは普段の足として利用されている感じなんでしょうね。
もっと天気のいい日に行けばよかったのでは、
ちゃんと計画を立てていれば香取神社にも行けたのではとか、
更に言うと東国三社をめぐるツアーに参加すれば良かったのではとか、
旅行好きの方から突っ込みどころも多い旅行だったと思います。
でも飽きっぽい性分なので、思い立ったら即行動した方がいいと思って、少し天気の悪い日に朝早くから突発プチ旅行をしてみました。
結果お目当ての要石を見ることができましたし、御手洗や奥参道の雰囲気を楽しめたので満足です!
他の要石がある神社も春から夏にかけてめぐる予定なので楽しみです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?