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ぶっ壊したくなる願望
ついこの前、あべちゃんがお腹を痛めたらしくて、辞めちゃったね。
それを受けての平川克美さん。
「少なくとも30%の日本人が、それ(安倍政権の破壊)を許容した。」ってところが個人的にそうだよな〜って。
安倍政治が行ったことは、畢竟するところ政治倫理の破壊(堕落などではなく積極的破壊だった)であり、それを実現するための言葉の破壊だった。安倍側近や官房長官はその実行部隊だった。少なくとも30%の日本人が、それを許容した。安倍が辞めても、この事実は変わらない。
— 平川克美 (@hirakawamaru) August 30, 2020
自分の住む社会を自分で破壊する行為。そして、それを支持する人たち。
それってリストカットのような自傷行為と同じじゃないかな。
さらには、この前読んだ「あおり運転をやめられない孤立したおじさん」とも通ずるものがあるよなって。
破壊することがやめられない、生きがいになっている、依存しちゃってる。
そして、なにより本人は破壊してるという自覚がない。
***
僕はあべちゃんやジミントーを支持してないけれど、僕自身にも精神的に自傷・自己破壊したくなる衝動が抑えられなくなるときがある。そういう意味では支持してる30%の人たちとそこまで変わらないのかもしれない。
認めがたいことだけど、あべちゃんもあべちゃん支持者もあおり運転おじさんもハラスメント加害者も僕自身も似た者どうしってことなんだろう。
そんな破壊したくなる衝動・願望がどこから湧いてくるんだろう?
そう問いかけながら自分の中に降りていってみる。
次第に見えてきたのは「条件つきの愛、条件つきの命」っていう言葉で。
条件つきの愛を強いてくる残念な家庭を生き延びたと思ったら、次に待っていたのは条件つきの命を強いてくる残念な社会だったということ。
この条件を満たすことができたら認められる。そういう家庭環境だったと今振り返って思う。
そんな家庭環境をどうにかこうにか生き延びて、社会人になって家から出て自立して生活を始めたと思ったら、今度は社会というやつがこの条件を満たしなさいと迫ってくる。
働かないとあかんで〜、男らしくせな〜、税金を納めまひょ〜、結婚して親を安心させなきゃ〜、若いうちはバリバリ稼がないと〜、とかもう無数に。
そうでないとこの社会では生きてちゃいけないんだよって、ささやきかけられる。
条件つきの愛を強いられてきた人は、条件つきの命を強いてくる社会のささやきをスルーできずにもろに食らってしまうんだと思う。実際そうだった。
残念な家庭をくぐり抜けた先にさらに残念な社会が待ち受けていたら。強いられる条件ひとつひとつにまともに応えようとしたら。
そりゃあ、まいっちゃうよね。嫌にもなるわ。自暴自棄にもなるわいな。無力感というか絶望感というか、なんというかね。
条件つきの愛、条件つきの命を強いられて、それに従い続けた結果できあがるのは「自分のことを心底嫌う自分」だと思う。
「条件つき」を突きつけられて、必死になって応えてきて、それなのについに手に入れられなかった人間の成れの果ての姿。
自分が大嫌い、自分を消してしまいたい、自分をリセットしたい。
そんな自分をつくったこの社会も嫌い。
だから、ぶっ壊したくもなるよね。
たとえそれが自分の体であっても、自分の住む社会であっても。
そんなのお構いなしに、ぶっ壊せずにはいられなくなる。
それが破壊したくなる衝動・願望の正体なのかなって。
***
今のこの残念な現状からどう抜け出したらいいか、その方法は正直分からないけれど、自分をつくってきた歴史を省みれるところまでは来れた気がする。
それだけでも自分をねぎらいたいな。
もしかしたら死ぬまでこの現状から抜け出せないのかもしれない。そのくらい「条件つき」が深く根付いてしまっているから。
たとえそうであっても、自分にもうこれ以上「条件つき」を強いること。自分が他人に「条件つき」を強いること。
そのふたつだけにはちゃんと抗いたい。
今の自分にできることはそれくらいかなって思うから。