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No.202/全力をコントロールしない、限界の線引きをしない
2024.07.20
こんには、くのてつです。
大人になると「全力を出すこと」をある程度コントロールできるようになります。
一方で「自分の限界」を知ることをせずに線引きすることもまた、大人の持つスキルなのかも知れません。
かくいう自分も「自分の限界」がどこにあるのか分かりません。
なのでどこまでやれば心身が崩壊するのか・・・のラインは明確に分かっていないのが現状です。
一昨日も好きでやっているスプリントトレーニングでケツワレしました。
全くケツワレをするメニューでもなかったのですが、なんか痛いな・・・と思い始めて、ラスト1本やると歩けなくなって。
ああ、このラインを越えるとアウトなんだなと分かった訳です。
加えて陸上界でケツワレすると言われる鉄板の環境でなくても、そのシチュエーションを生み出せること、同強度のトレーニングが詰めることも分かりました。
こうやって、どこかで「全力を出す」ことで分かることがたくさんあります。
百聞は一見に如かず、ということですかね。
子どもたちを見ていると、この「全力」を全力でやってくれます。
自分の限界が分からずやり過ぎて、カラダ壊したりします。
マラソンとかクロカンなんかはいい例かも知れません。
最初っから全力で飛ばしまくった挙句、ゴールしたら吐いてしまったり。
そんなシーンこそ一番の学びの瞬間であり、経験の幅、高さを変えてくるタイミングでもあると思います。
それを大人がありがた迷惑の制限にしていたりする。
知らんなかったとは言え、本当にタチが悪い。
無知とは愚かなものだなと。
こう考えていると、大人として、親として、指導者としての在り方を今一度見直していく必要があるのだろうなと。
いつもこのような主張をしている気がしますが、その考えが学ぶ度に強化されていきます。
今日は子どもたちが全力でチャレンジする場に立ち会いました。
最初に子どもたちを介して保護者の方に伝えたのは「最後まで自分の力でチャレンジしよう」ということです。
「どうしても無理だと思えばいつでも手を貸すから、最後の最後まで自分でできる方法を考えて、チャレンジしてみる」
至ってシンプルですし、青臭いかも知れないけれど、大人が近くでいつでも助けてあげる環境だから思い切ってやる。
まずはこれでいいのだな、とすごく実感しました。
危ないな、と心配していた場所も子どもたちなりに怪我もせずに乗り越えていくし、楽しそうにしている。
それを引き出せる環境って素敵だと思うし、その判断ができるように学びと実践を繰り返していかなければいけませんね。
全力でやるから分かることを当たり前のようにやる。
自分の学びと実践への哲学が強化されました。