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No.247/カッケェオトナ

2024.09.03

こんにちは、くのてつです。

電車に乗っているとほんの些細なことでその人の本質が見えます。

リュックの紐が隣の人に当たっていたり、持って紙袋の角が当たっていたり…。

これに気づけるか、もっと言えばそうならないようにはじめからケアできるかはその人の人間力が試されますね。

もちろん、そんな人に遭遇してもいちいち腹を立てることはしませんが、自分自身の見られ方を考えるいい機会になります。

人間力を鍛える修行の場とも言えますね。

まあ必要なければ公共交通機関での移動は避けたいところですが。

こういった学びって親のしつけ、教育観によって培われきていると思います。

自分は外で人に迷惑をかけるな、と随分厳しく育てられました。

おかげで人並みには気遣いできる身ではあると思います。

一方で本当に厳しくしつけられる必要があったのか?ということも疑問に思います。

自分は厳しく言われたことが今になり腹落ちしています。

言われて良かったと感謝する面もたくさんありますし、そういう意味ではしつけの成果と見ることもできるでしょう。

一方で気づくのが遅かったのではないか、そう感じる自分もいます。

どいうことかというと、強制され有無を言わさずに言われたことを守る状況だったので、自分で考えることをしていなかったと思います。

叱られるから…、叱られたくない…という心情から守っていたってやつですね。

もしその時に自分で考える、考えさせてもらえる幅があったら、結果はどうなっていたのでしょうか。

自分の中ではもっと早い段階で腹落ちして、そのしつけ、教育の意味を理解できていたと思うんです。

今、教育観も変わってきて、自分の幼少期に比べると遥かに選択肢が拡がった気がします。

もちろんその分逆にゆる〜い人も増えているので、それを批判する意見があることは承知しています。

でも自分は今の価値観、環境に変わってきたことはいいことだと思っています。

言い換えるならば、本物と偽物がハッキリする環境に変わった、ということだと理解しています。

常に本質を捉えるように努力する人、その逆の人。

間違いなく評価はハッキリします。

中間層が減り二極化するかも知れませんが、それでも本物が増える方がいい。

自分たち大人が、そんな本物と言えるかっこいい大人になることは自分たちが幸せなるだけではありません。

未来ある子どもたちがの将来輝くための黒子になれるはずです。

だから、大人である自分たちがまずはかっこいい大人にならないといけないんですよね。

かっけぇ大人に俺はなる!

なんてね。

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