
No.405/揺るぎない理念を持つこと
2025.02.08
こんにちは、くのてつです。
突然ですが、今回は「保護者会」は必要なのか?という観点で思考を整理していきます。
なぜ、「保護者会」の存在について考えようと思ったのか…と言えば、保護者という立場においてあまりにも各々が都合のいい解釈をしているよな…と思ったことがきっかけです。
どういことかと言うと、例えば習い事。
自分はその習い事の保護者会には積極的に絡みたくない、面倒だ、同調圧力だの否定的な立場をとる方がいます。
一方で、必要以上に世話をやいている保護者に支えられていたりして、実は助かっている側面があります。
にも関わらず、あいつはどうだ…とか文句を言ったりするんですよね。
何にしてもそうなんですが、表裏一体なのでどちらの是非を問うものでもはありません。
それでも正義を振りかざしたり、偏りを生んでしまっていることが実情としてある訳です。
シンプルにその集団の最上位目標、理念、哲学への共振共鳴がないから起こる現象だと言えます。
自分はこういったケースにおいては、指導者の存在が非常に重要だと考えています。
この保護者間での関係性をいかに交通整理するのか、これが子どもたちへ大きく影響します。
その交通整理ができるのは指導者しかいません。
どんなチームなのか、スクールなのかによって違いはありますが、「子どもたちの社会」であることはどこにいっても共通です。
その社会に大人が不用意に介入すること、また是非を決める行為があってはいけません。
自分たちの社会に土足で踏み込まれる感覚を大人は分かるはずなんですよね。
それを子どもだからいいなんて理屈は通りません。
その越えてはけいないラインを引き、保護者をコントロールするのが指導者の役割です。
よく見かけるのはこの指導者が一部の保護者と親しくなり、偏りが生まれるケースです。
指導者も保護者もそんなことないと反論があると思いますが、公平性、平等性を担保できない人はすぐ分かります。
言動が一貫しないなど、その要素がいたるところに染み出てくるからです。
ベストは保護者の介入を許さないことだと思います。
今、チームスタッフで全てを運営するスクールや競技チームが出てきていますが、まさにその在り方が重要です。
保護者からしてみれば、ここの指導者は信頼に足らないと判断した際は、そこを辞めればいい。
指導者はそういう目で見られていることを自覚した上で、自分たち最上位目標である指導理念をブレずに持っていればいい。
要は「覚悟」しているかどうか、極めれシンプルな話なんだと思います。
誰にもいい顔しようとする大人たちから早々に脱却すべきですね。
これは自分への自戒も込めて。
今回はここまで。
お付き合いいただき、ありがとうございました!