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No.337/二項対立にしてしまう思考のワナ
2024.12.02
こんにちは、くのてつです。
世の中には答えの出ない問題がたくさんあります。
それにも関わらず、それを二項対立にして「正解・不正解」を決めてしまう、思考のワナにハマってしまいます。
よくある「鶏が先か卵が先か」的な話のように、並行戦を辿るものにお互いの主張に終始してしまい、結局何も成果を得ずに終わってしまう・・・なんてこともありますよね。
昨日受けた相談も二項対立から抜け出さない指導者同士のハレーションでした。
「新人には有無を言わさずマニュアルを徹底させるべきだ」
「マニュアルを徹底は大事だが、なぜそうなるかを伝えることが大事だ」
「いや、なぜを伝えても分からないのだからマニュアルを徹底する方が先だ」
「でもそれでは指導現場も子どもたちに届かないのでは?」
お互い一生懸命にやっているが故にこういう議論になってしまっている訳ですが、この堂々巡りを続けるぶつかり合いから成果は生まれないでしょうね。
この会話の中で欠落していると自分が感じたのは「最上位にくる目標へ立ち返っていないこと」と「二項対立で考えることではない」ということです。
この指導者たちの最上位にある目標は「子どもたちに成果を届ける(=貢献する)」ことなのは一致しています。
どこに立ち返るか、ということは分かってはいるのですが、このような表面的な議論になってしまいます。
要は視野が狭く、点で物事を捉えてしまっている時こそ、最上位にある目標に立ち返る必要があります。
この場合、最上位にくる目標に立ち返った場合、「マニュアルの徹底もなぜの伝達も同じく必要」ということになります。
それをどう新人指導者に伝えていくか?という建設的な議論が必要なのだと思います。
また「二項対立」にすべきでない理由は、「根拠=自分」の経験則のぶつかり合いを助長することになるからです。
正直この摩擦でかわいそうなのは「新人コーチ」と、何よりこういう指導者に教わる「子どもたち」です。
「根拠=自分」ということは、自分の幅でしか物事を届けられないことになります。
自分が正しいとなっているのですからそうなります。
こういうケースは例外なく、その人たちの学びが足りない。
正しい方向で学ぶことは「根拠=自分」を是正していく効果があります。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ですね。
プライドを持ってやっているからこその「根拠=自分」は理解できますが、そこが目的でも目標でもないと考えなければいけませんね。
結局、このケースにおける100%の答えはありません。
お互いが納得できる、またその組織で納得できる解を導き出す、つまり「共通了解」を探る対話が不足していたということだと思います。
閉鎖的に捉えすぎて、物事の本質や大局を見誤らないように在りたいものですね。