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【はじめに】ナポリ帰省・前日譚

「イタリア人にタイチみたいな髪型の人はいない!」エンツォは僕の髪型を見てそう断言した。僕はハハハと受け流しながら、肩の下まで伸びた髪を頭上で結んで、エンツォが作ってくれた白インゲン豆のパスタをスプーンですくってハフっと頬張った。

エンツォが主語を「イタリア人」にして話すときは脳内で「“ナポリに住む”イタリア人」に変換しなくてはいけない。彼にとっては地元のナポリこそ真のイタリアなのである。

同じく白インゲン豆のパスタを食べた僕のパートナーのモニカ(以下、モニちゃん)はエンツォにむかって「パパ、今日のコッツェはいい味が出てるね」とうなった。コッツェとはムール貝のことだ。

ナポリの潮風を感じるようなこの会話は、兵庫県にあるモニちゃんの実家で日本語で交わされている。僕とモニちゃんはエンツォお手製のナポリ料理を食べに、実家までしょっちゅうお邪魔している。

モニちゃんとその父・エンツォは大阪でレストラン『パポッキオ』を営んでいる。パポッキオは本場のナポリ家庭料理と薪窯で焼いたピッツァが名物のお店だ。料理のレシピはエンツォのマンマ(母)、つまりモニちゃんのノンナ(祖母)直伝のもので、自分流のアレンジなどはほとんど加えないストロングスタイルをずっと続けているらしい。

パポッキオのピッツァは天下一品

僕の目から見ると、モニちゃんにとってこの仕事はまぎれもなく天職だ。出会った頃はこれほどの偏食家がいるものかとドン引きしていたのだが、モニちゃんは日本で生まれ育ったにも関わらず家でナポリ料理しか食べておらず、大人になるまでナポリ料理以外をほとんど知らずに育ったのである。いまではそのナポリ家庭料理の英才教育が彼女の味覚の素地となってレストランでいかんなく発揮されている。

僕がモニちゃんと出会ったのは、お互いが東京の大手IT企業に勤めていた時だった。僕のいたチームにモニちゃんが異動してきたので、僕は親睦がてらオフィスの近くにある人気のうどん屋さんへランチに誘った。するとこの新人は小さな口でもたもたとうどんを頬張るやいなや、眉間にぎゅっとしわを寄せて「うわ、なにこのうどん。嫌いやわ〜」とよく通る高い声で感想を述べた。「味が濃い」「出汁がくさい」とネガティブな感想をあまりにも立て続けに言うので、僕までうどんが不味く感じたのを覚えている。最悪な第一印象とは裏腹に僕は内心「へえ、おもしろいヤツじゃん」とモニちゃんに興味を持っていった。古典的な少女漫画のキザ男キャラのようだ。今思えば、塩味が中心のナポリ料理に親しんだ彼女にとってうどんの出汁は味が濃すぎたのかもしれない。

その後、僕とモニちゃんはトントン拍子に仲良くなって社内恋愛に発展するのだが、そこでふとお互いに「東京に住んで働いている必要はあるのか?」と考えるようになった。僕らが働いていた会社は誰でも名前を知っているような大企業で、親戚や友人に仕事内容を話すときは誇らしかったが、その一方で、同僚たちが情熱を燃やして自己実現に向かって突っ走る姿を見て、「僕はここまで熱くなれないな」と温度差を痛感させれらる日々が苦しくなっていった。

そこで思い切ってふたりそろって会社を辞めて、縁もゆかりもない福岡に移住した。僕はフリーランスとして独立しリモートワークで仕事をして、モニちゃんはライターの仕事やアウトドア用品店でアルバイトをするようになった。もちろん収入は激減したのだが、福岡の安い家賃がほのぼの田舎ライフを持続可能なものにしてくれた。

福岡の田舎で巨大な犬と対峙するモニカ

この頃から僕らはお互いを「彼氏・彼女」ではなく「パートナー」と呼ぶようになった。大企業から飛び出してフリーターになり根無草として田舎で同棲を始める、という一世一代のムーブを経て僕らは重要な価値観を共有できてることがわかった。これはもはや人生のパートナーと言って差し支えないだろう。

福岡でほのぼの田舎ライフを3年ほど満喫したところで世の中はコロナ禍に突入した。すると、大阪でパポッキオを営むエンツォがモニちゃんにコロナ禍を乗り切るためのアイデアを相談することが増え始め、彼女はこの相談に熱心に応じていた。福岡からリモートでの手伝いしかできないものの、モニちゃんは手際よくオンラインショップを立ち上げたり、ネットで集客したりして、パポッキオの窮地を支えたのだ。

僕は大車輪の働きをしているモニちゃんを側から見ていて、まさに水を得た魚だと思った。本人もそれを実感していたらしく、ほどなくして「関西に戻ってパパと働きたい」と言い出した。僕は仕事がリモートだけなので断る理由もなく、モニちゃんの実家のある兵庫に引っ越すことになった。心残りは行きつけていたオーシャンビューの銭湯の回数券が使いきれなかったことだが、まあ、その程度の心残りしかなかった。それよりも、住む場所を変えるのは楽しいのでワクワクが勝った。

オーシャンビュー銭湯で撮ったエネルゲン

モニちゃんはエンツォとパポッキオで働くようになってから一気にナポリ人の気質が覚醒していき、かつてのIT企業のキラキラ女子の面影はキレイさっぱりなくなった。

モニちゃんとエンツォはイタリア語でコミュニケーションをとるのだが、ナポリ弁というのはどうやらフランクでダイレクトな物言いが特徴のようで、モニちゃんはそんなナポリ弁に引っ張られて裏表のないストレートな性格に変化していった。順応力が高いというか、過去にこだわりがないというか、不思議な人である。

僕らは兵庫にあるモニちゃんの実家のすぐ近くにアパートを借りたので、実家で両親とご飯を食べる機会が多くなった。ありがたいことにエンツォもモニちゃんのママのタエコさんも、すっかり僕のことを「モニカのパートナー」と認識してくれて、僕もそれに甘えている。ちなみに僕の両親は離婚しているのだが、父も母もオープンな性格なので、大阪に来る用事があるとわざわざ時間を作ってパポッキオに寄ってエンツォとモニちゃんのご飯を食べてくれる。

エンツォが自宅で振る舞うナポリ料理は絶品

このときに僕の両親とモニちゃんの両親は顔をあわせているので、いわゆる「ご両家顔合わせ」的なイベントはクリアしていることになる。結婚という選択肢を検討していない僕らにとって、自然に、かつ円満にお互いの両親を紹介できたのはラッキーだった。

さて、エンツォの作ったナポリ料理を食べて育ったモニちゃんは、すぐにレシピを理解し、ピッツァの作り方、焼き方を覚え、あっという間にパポッキオの中心人物となった。レストランでの仕事を覚えるにつれて、モニちゃんは料理のルーツであるノンナ(祖母)に会うためにナポリへ行きたいという気持ちが大きくなっていった。ノンナは94歳という高齢だがまだまだ元気らしく、会えるうちに会わなければならない。

そして僕らはコロナの感染状況が落ち着いた隙にナポリへの長期滞在を計画した。もちろん僕は初めてナポリを訪れることになる。しかも観光ではなくパートナーの帰省にくっついていく形だ。そしてどうやら、ナポリにはモニちゃんの親戚がかなり大勢いるらしい。

僕とモニちゃんは結婚しているわけではなく「パートナー」なので、親戚たちにとって僕はただの他人である。果たして親戚たちは僕を見てどんなリアクションをするのか、またパポッキオのルーツとなった家庭料理にはありつけるのか、そもそもナポリはどんな場所なのか。

ナポリに滞在した1ヶ月半に起きたことを日記に書き溜めていたのだが、あまりにもナポリの人たちの生活ぶりが面白く、僕の価値観に影響を与える出来事ばかりだった。この貴重な体験を僕の思い出だけにとどめておくのはもったいないし、誰かに言いふらしたい!という気持ちが抑えられなかったのでブログにまとめることにした。


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