食べるサラダ by 久野太一
大阪でナポリ料理レストランを営む僕のパートナーのモニちゃんとその父エンツォはナポリが故郷。ナポリに縁もゆかりもない僕がナポリに長期滞在してナポリ人と暮らしてみた率直な感想を淡々と書きます。
さて、アグロポリで過ごすサマーバケーションはそれから5日ほど、判で押したように同じことを繰り返す日々が続いた。起床して簡単に朝ご飯を済ませたら、コーヒーとパニーノをこさえてビーチへ行って日暮れ前までぼーっとして帰る、のループ。飽きたと言えばそれまでなのだが、同時にこれ以上ない贅沢のような気もする。不思議な時間だ。 ビーチから撤収したあとのディナーの準備はもっぱら女性陣の仕事だった。マリアが台所のリーダーとなってディナーの献立を作って鍋を振り、仕込みを他の女性陣に分担していく
ナポリ東端のサマーバケーションのメッカ、アグロポリ滞在2日目。この日はモニちゃんと叔母のマリア、叔父のジジ、僕の4人でアグロポリの市街地を観光しながら食べ歩きをすることになった。市街地に到着してすぐ目についた屋台には大量のレモンとホルモンらしき肉がディスプレイされていて、マリアは見るなり「懐かしい。オムスだ」と言って目を細めた。 なんだろうと思って屋台を覗き込むと、店主はサーベルのような包丁で豚足とセンマイを一口大にカットして、プラスチックの容器に移してから大量の塩をふりか
12人の親戚が増えた夜、モニちゃんの叔母のマリアに「あなたたちふたりの寝室はここ」と案内されたのはまさかの玄関だった。 たしかに気になってはいたのだ。モニちゃんと大量の親戚たちが玄関で感動の再会をしているすぐ目の前には、不自然にダブルベッドが鎮座していたのだが、まさかこれが僕らの寝床になるとは。 しかもベッドの目の前にはトイレとシャワーもあるので、僕らはまるでアパートの管理人のように親戚たちの水回りの行動履歴を(不本意ながら)監視することができた。こんな環境で眠れるか!と
てっきり、モニちゃんは海が大嫌いだと思っていた。湘南の海を「汚い」と言うし(こちらのエントリー参照)、テレビで海が映ると「怖い」と嫌がる(海洋恐怖症というらしい)からだ。ただ、どうやら「日本の(海水や砂が黒い)海が嫌い」なだけっぽいことがわかってきた。 モニちゃんはここ数年、父のエンツォと共に営むレストラン『パポッキオ』で働くようになってから、子供の頃にナポリの海で親戚たち遊んでいた記憶が鮮明によみがえっているらしく、ナポリの海は子供の頃の素敵な思い出として残っているようだ
イタリア語ネイティブにとって僕の名前『タイチ』は発音しにくいらしい。モニちゃんのパパのエンツォは日本に住み始めて約40年経つらしいが、タイチという名前が定着するのには1年くらいかかった気がする。ダイチとかタイージと間違われることが多かった。 ナポリに到着して最初に出会ったモニちゃんの親戚であるレッロとカルラにとってもタイチは発音しにくかったようで、特にカルラは、僕が「タイチです」と自己紹介してから1時間も経たずに僕の名前を覚えることを諦めていた。 僕の名前を覚えるのを諦め
レッロとカルラの家に到着した日の夜、カルラが手作りの夕食をふるまってくれることになった。カルラの料理を待っている間、レッロは「スパークリングワインを量り売りしてくれる八百屋があるから行こうよ」と提案してくれた。え、八百屋でスパークリング?面白そうじゃないか。 僕らはレッロの買い物に同行すると、確かに普通の八百屋に到着した。普通の八百屋でも僕にとっては異国の地の八百屋なので、見知らぬ八百屋の香りを鼻からいっぱいに吸い込んでナポリの空気を体に取り込んだ。 桃の匂いがする。やや
ローマのゲストハウスで一泊した僕らは、とうとう旅の目的地であるナポリへ移動することに。ただ、ナポリには夕方に到着する予定なので、午前中はローマ観光をすることにした。 モニちゃんがスマホを見ながら「もしかするとヴァチカンがすぐ近くにあるかも」と言い出した。僕も調べてみると、なんとゲストハウスからヴァチカンまで徒歩10分程度の近さではないか。 僕らはベタな観光に全く興味がないので、たまたまヴァチカンのすぐ近くのゲストハウスに泊まっていたことにそのとき気がついた。観光に興味はな
長旅でぐったりと疲れ果てたモニちゃんを見て見ぬふりをして、僕はエスプレッソの空きカップが散乱した汚いカウンターでニコニコ顔でエスプレッソをすすっていた。 僕らは韓国経由でローマ空港に到着し、念願のイタリアの地を踏んだのだが、トランジットで一泊した韓国の食事が口に合わなかったモニちゃんはすっかりご機嫌斜めのようだ。僕は景気良く頼んだドッピオ(2倍の量)のエスプレッソをズビビッと飲み干した。旅の目的地はローマではなくナポリなのだ。チャキチャキと段取りを進めなければならない。
「イタリア人にタイチみたいな髪型の人はいない!」エンツォは僕の髪型を見てそう断言した。僕はハハハと受け流しながら、肩の下まで伸びた髪を頭上で結んで、エンツォが作ってくれた白インゲン豆のパスタをスプーンですくってハフっと頬張った。 エンツォが主語を「イタリア人」にして話すときは脳内で「“ナポリに住む”イタリア人」に変換しなくてはいけない。彼にとっては地元のナポリこそ真のイタリアなのである。 同じく白インゲン豆のパスタを食べた僕のパートナーのモニカ(以下、モニちゃん)はエンツ
モニちゃんの親戚たちの多くが住むナポリの下町フオリグロッタには、ほとんど娯楽がない。少なくとも僕はそう感じる。あるのは、さびれた映画館とバルが50〜60軒といったところである。 浜田省吾の『MONEY』の歌詞みたいな表現になってしまったが、本当にそうなのだ。MONEYであればこのあと「ハイスクール出た奴等は次の朝バッグをかかえて出ていく」わけだが、フオリグロッタには若者も多く活気もある。 フオリグロッタをご存じの方であれば、ここまで読んで「おいおい、フオリグロッタ最大の娯
僕に課せられた誕生日ミッションは、マリアのはからいによって「家族全員にご飯を奢る」というハードモードを逃れ、「ドルチェが評判のバルでホールケーキを調達する」というそこそこの難易度に調整された。 とはいえ、ちょっとモニちゃんに付いてきた異邦人である僕が、見知らぬナポリの下町フオリグロッタでホールケーキを調達できるのだろうか。 目的のドルチェが美味しいあのバルは、平日でも週末でも人でごった返している。店の不文律を無視して無闇に注文しようとすると店員、客を含めた360度から「な
イタリアに滞在している間、モニちゃんの親戚に20人近くに会った。そしてその親戚たちの多くはナポリのフオリグロッタという地域に住んでいて、僕もフオリグロッタのB&Bを借りて過ごしていた。 モニちゃんは僕のB&Bのすぐ近くにある叔母のマリアの家に寝泊まりするのだが、マリアの家は親戚たちにとってベースキャンプのような場所で「とりあえずマリアの家に行くか」という調子で人が集まる。 多くの親戚と共に1ヶ月以上過ごすと、誰かしら誕生日を迎える人がいて、この日はマリアの夫のジジが誕生日
初めてイタリアに長期滞在するにあたって最も懸念していたのは水回りのインフラだった。具体的にはトイレ、水道水、風呂で、これらは多くの日本在住者が海外旅行する際に気にするポイントだろう。 まず、トイレは「まあ我慢できる」レベルだった。とはいえ、注釈をつけると「公衆トイレは除く」のだが。公衆トイレは小便器はパパっと済ませられるのでいいのだが、個室のトイレには便座がない場合が多く戸惑った。 いやいや、便座なしの洋式便所なんて和式よりタチが悪いぞ…と腰が引けてしまうのだ。便座がない
僕が日本人だと言うと、だいたいのナポリ人は胸の前で手を合わせてお辞儀をするポーズをとる。僕は普段の生活であのポーズをとることはほぼ皆無だし、多くの日本人も同じだろう。 長期滞在しているB&Bのオーナーのチーロも、僕が日本人だと知ると手を合わせてお辞儀してきた。こちらも脊髄反射で同じポーズをしたくなるのだが、そうするとお辞儀のポーズを受け入れたことになってしまうので、それはモヤモヤする。 なので一応チーロにも「日本でそれはやらない。ボナペティートのときとか、一部の武術ではや
「Mi piace dolce in mattina, pero mi piace salato di più.」 これが僕がイタリアで発したイタリア語で最も長いフレーズだ(文法的に正しいかは不明)。ちょっとカンが良くて、イタリア語と南イタリアの文化がわかる人には、僕がどんな状況に追い込まれてこのフレーズを捻り出したかわかるかもしれない。 逆にイタリア語がわからない人にとってはチンプンカンプンだと思うので、何が起こったのかを順を追って解説してみよう。 前提として僕のイタ
僕が約1ヶ月ほど宿泊したいと伝えると、B&Bのオーナーのチーロは紙とペンを取り出して「Giapponese(日本人)」というタイトルでメモをとり始めた。 タイトルの雑さに思わず笑ってしまったが本人はいたって真剣。まるまる1ヶ月同じ部屋を確保できなかったため、数日おきに部屋を移動しなければならないらしい。 チーロはスマホで予約帳の管理画面をいじりながら、1日ずつ「Giapponese」のメモ帳に僕が泊まる部屋を書き留めている。ひととおり書き終えるとメモを指差しながら「この日