生きている間にやるべきこと。
ワタクシ、35歳。
親元気。周りも元気。
しかし仕事柄、「生きるとは」「死ぬとは」「人生とは」を常に考えている、ちょっと頭が老けた人。
老けてるのか?いや、そんなんじゃない。
多分、この世代で中々考えないことを
有難いことに仕事が、お客様が考えさせてくれる。
この『死にゆく人の心に寄り添う』という本も
お客様からのプレゼント。
冒頭39ページでもうお腹いっぱいです。
私は生き方を考える時に
”自分の葬式の様子”を考えます。
どんな人が来てくれるのか、そもそもどういうお葬式になるのだろうか、何を言ってくれるのか、どんな様子なのか、
具体的なものはないけど、
でも何となく「良い葬式」でいたいなと思っている。
じゃあ死に方は?
この本は
夫を最期まで看た現役看護師である僧侶の話。
死に向かう人の様子が書かれてある。
一応私は、医療の勉強もしているので
病気やクスリ、介護、寝たきり、スパゲティー症候群や胃ろう…そんな若干の知識と情報と日々向き合いながら過ごしている。
何が良いのか悪いのか。
多分悪いものは一つもない。
だけど、私の願いは医者や看護師のコミュニケーション能力が
もっと高いものであってほしいということだ。
この本の冒頭、
看護師から家族への説明で
「95歳だからもうそのままで居させてあげよう!」と家族が決めたのに
医師の「胃ろうをしないと餓死します。」の一言で
家族がハッとし、胃ろうを選択したという話。
そりゃ胃ろうをしないと餓死する”方向”へは向かっていく。
だけどもう95歳。餓死なんて。
先生と言われる人の責任ってね、
人が解からないことを教えてくれるのが先生なんだよね。
だから先生って呼ばれている人の言うことは
呼んでいる人は「ハイ」という返事をするということが
解っていないとダメなんじゃないかな。
世の中の先生は本当にそれが解かっているのかな。
ちょっと話は反れたけど、
医師、患者、患者の家族の中では
そのコミュニケーションは生死に関わってくる。
いや、生死ではなく
その人の生き方に関わってくる。
コミュニケーションは共感が一番だ。
良いのか悪いのかをジャッジするものではない。
だから
最期を迎えようとしている人のその空間では
本当のことが解かっているのは
その人だけで
医師も家族も何にも解っていないのかもしれない。
将来、私は医師ではないので
その空間では「家族」に属する。
そっか、家族は何も解っていないのかもしれない。
その人が何を言わんとしているのか、
何を望んでいるのか、
解ってあげたいけど解ってあげられないような気がするから
だから意思表示が出来る元気な時に
本当のコミュニケーションをとっていきたいと思った。
治療費にあてさせていただきます。大事に使わせていただきます! そして皆様の健康に役立つ情報をお届けできるようにこれからも学び、発信し続けますので温かい目で見守ってほしいです\(^o^)/