メガネデー

はじめまして、國貞 正之(くにさだ まさゆき)です。

どうも、初めまして、こんにちは、こんばんは。僕の名前は國貞正之(くにまさ)です。
今は大阪の小さな町工場で働き、妻と二匹の猫と暮らしています。そして現在、スポーツの仕事を探して転職活動中です。

目次
・生い立ち
・転職を考えたきっかけ
・スポーツを選んだ理由
・これからの事

僕の生い立ち。

僕の生まれは大阪府羽曳野市。両親と姉一人の四人家族。スポーツ好きな人なら気付くかもしれませんが、ダルビッシュ有選手と同じ地元です。(中学校も同じ

小学生の初期から不登校となり「適応指導教室」という学校へ行けない子が集まる市立の施設へ毎日通っていました。
そこでは小学生から中学3年生まで10数名くらいが先生やボランティアの教育学部系学生と一緒に過ごしていました。
僕は中学進学と同時に一度学校へ復帰しましたが、普通の学生生活に馴染めずのちに舞い戻ることになりました。

適応指導教室に戻った頃は、中学2年の秋でした。
小学生も居る教室の中でいえば上の学年で、この頃は下の学年の子達を連れて放課後どこかへ遊びに行くなど、兄貴として振る舞う事が多かったと思います。

高校は普通科ではなく工業科を選択しました。普通の学校生活に馴染めなかった僕は、勉強にも興味が湧かなくて、何か変化が欲しかったんだと思います。
そこで府立藤井寺工業高等学校を受験。まず全日制の課程を受験したんですが、まあ学校行ってませんでしたからね。落ちまして。夜間定時制へ進学しました。

定時制では年齢も生まれた場所も出身中学もバラバラの「寄せ集め」のみんなと仲良く過ごしました。みんな「普通」から外れたやつばっかり。バイトや仕事をしながら夜は機械を触る、ユニークで楽しい学園生活でした。

3年の年明け、就職すると進路を決めて、応募・面接。卒業からずっと今の会社で働いています。

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なぜ、12年も働いてきて転職活動を始めたのか

きっかけは2008年リーマンショックの影響で会社の経営が傾いたことでした。それまでは何となく「このまま定年まで楽しく過ごせるだろう」とぼんやりと考えていたくらい。
それがいきなり全く仕事がなくなり、数日何も作業しない日がある程でした。
正直、このままじゃヤバイぞと。しかし何をするわけでもなく、なんとなくやばいという感情を持ち続けたまま時間は過ぎる事になります。

30歳が近づいてきた2016年。ーセレッソ大阪の社員の方が「ヒューマンアカデミー」という所でスポーツの仕事の講演をするー元々熱心なセレッソファンだった僕は、それが気になりヒューマンのサイトを覗いてみました。
サイトを見ながら胸がソワソワしたのをよく覚えています。「これだ」と決めた瞬間でした。

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はじまりは「スポーツが好きだから」という単純な理由

ただ、スポーツが好きだから仕事にしたい、それでできれば今も工場で働いているわけもなく。やっぱり実力不足だった。
2017年1月から2年間、いろいろなインターンを経験しました。スポーツの現場で、見て・感じて・考える、そして行動に移す。これが僕がインターンを通して学んだことです。
そして今は、それだけでは中々難しいと考えるようになりました。スポーツ界は意外と「普通の会社」だったんです。その中でも、特にプロスポーツクラブは事業規模の割に興行に係る経費が大きく利益を出しづらい構造で、現場では実務ができる即戦力を必要としていました。

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これからの事

この2年間でクラブは難しいだろうという事は分かりました。それでも、今もクラブを中心に求人に応募を続けているのは、まだ諦めきれないから。どこで区切りをつけ、クラブ以外のスポーツ関係・普通の仕事を探すのか、そこはまだまだわかりません。
わかりませんが、改めて僕が言えることは一つ。

「僕はスポーツが好きだ」

これが僕を突き動かす原動力になっています。
クラブで働けるかは分からない。スポーツ界でも無理かもしれない。でも。

不登校にはじまり、夜間定時制高校。そして町工場からスポーツ界へ転身しようと考えた。おかしな経歴の僕が、もし仕事ではなくても大好きなスポーツを盛り上げる仕事ができたら、それは本当に素敵なことなんじゃないかと思います。


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くにまさ
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