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狐のはなし




狐は人を化かすんよ。じゃけぇ気ィつけんさい

<其の一>

「狐はね、人を化かすんよ」

昔、母が言った。

母は子供の頃、狐に化かされた人を見たことがあると言う。

朝、学校へ行く途中のこと。先の方で数人の子供たちが、大きな木の下に集まっているのが見えた。

誰かが叫んでいる声も聞こえてくる。

近寄ってみて母はびっくりした。

男の人が木に登って騒いでいた。

男は木にしがみつき、何もない地面に向かって

「来るなァァァァ」

と叫んでいた。

「あのおじさん、何しようるん?」

周りにいた友達に聞いても、

「知らん。キチガイじゃあ」

そう言う答えしか返ってこなかった。

誰が呼んだのか、間もなく大人たちがやって来た。

「早う 学校へ行けやあ」

大人たちに言われ、木を取り囲んでいた子供たちは、逃げるように走り去った。

「こりゃあ狐じゃのう」

去り際、母は大人たちが話しているのを聞いた。

「あれは狐に化かされとったんじゃあ」

そう母は言った。

私はそれを聞いて、正直、ただ酔っ払っていただけなのでは…? と思ったが、母は狐に化かされていたのだと、固く信じていた。


<其の二>

母の実家は農家だ。

一族のお墓は山道をずっと歩いた所にある。お墓まいりというのは普通日中にするものだと思うのだが、母の実家は違った。

農作業を終えて、日が暮れてからお墓に向かう。お盆の時期は日が暮れるのが遅いので、行きはまだ明るいが帰りは真っ暗だ。

それでも、墓まいりに訪れるのは自分たちだけではなく、他の家の人たちもいるので、それほど怖くはなかった。

墓の上の方には焼場がある。私が子供の頃にはもう使われてはいなかったが、昔はそこで、御遺体を火葬していたそうだ。

そしてそこには火守りがいた。母曰く、その人は少し変わっていて、怖いという感覚が鈍い人だった。

大人たちはその人のことを、

「頭が少し足らんのよ」

そう言って馬鹿にしていた。

母はその人のことを、

「ちょっと変わっとる人。でも凄い人なんよ」

と言った。

山の中の墓場でたった一人きりで、火守りが出来る人はそう多くはいない。

私は昔の焼場がどのような仕組みになっていたのかは知らないが、そこの焼場は御遺体が焼けていく様を確認することができたらしい。

火守りは言った。

「人が焼ける時はの、手とか足とか動くんじゃけぇ。そりゃあまるで生きとるみたいでの、面白いんじゃあ」

笑いながら話す様は、子供だった母にはとても恐ろしかった。だが、あの人里離れた山の中にある焼場で一人、火守りをしている男を勇気のある凄い人だと思っていた。

大人たちはあんな処で恐怖を感じることなく一人、火守りができる男を普通じゃない、頭が少しおかしな人だと思っていたのだろう。

ある日のこと。

夜も更けた頃、火守りが墓場から一人、家路を急いでいた時だった。前方に着物を着た美しい女がいた。

女の紅く濡れた唇が闇夜に妖しく開く。

女は火守りに微笑んだ。

火守りは思った。

こんな時刻に若い娘が一人で山の中にいるはずはない。

「お前、狐じゃろう。わしゃあ 騙されんぞ!」

火守りがいうと、女は微笑んだまま、すうっと消えたそうだ。

「狐じゃあいうんは、すぐわかったわ。じゃけぇ わしゃあ騙されん言うてやったんじゃあ」

翌日火守りは得意そうに皆に話した。

狐や狸いうんは、何時だって人を化かしてやろうと思うとるんよ。じゃけぇ 気ィつけんといけんのよ。

私は母からこの話を聞いて、それって幽霊なのでは…?と思ったが、母も周囲の人も狐だと固く信じていた。


<其の三>

親戚のおばさんから聞いた話。

月の明るい夜のこと。

隣の村との合同集会から帰る途中の出来事。

十数人で、林の中を歩いていた。

歩いて最初の家が見えるまでそれほど距離はない…はずだった。

「なぁ、ここさっき通らんかったか?」

誰かが言った。

集会所を出てからかなりの時間が経つのに、民家が見えてこない。更に気になるのは林の中とはいえ、先ほどからみえる景色が同じ様に感じられて仕方がない。

今右側にある、半分千切れて垂れ下がっている枝を見るのは、何度目だろうか。

「これ狐じゃなかろうか?」

誰かが言った。

周囲がざわつき始める。

「どこかに狐か狸がおるで」

「捜せ!」

皆、灯りを掲げて周囲を探る。

空から月の光が降り注ぎ、林の中は淡い光と夜の闇が混在していた。

「あそこ! あそこにおるぞ!」

叫んだ男の指した先の茂の奥。

闇の中て瞬く二つの輝き。

茂みには狸がいて、じっとこちらを見ていた。

妖しく光る双眸を向けて。

村人たちが目を向けると、狸は木々の闇の中へ消えていった。

間もなく林を抜け、無事に帰ることが出来た。


<其の四>

親戚の話。私が生まれるよりもっと前の話。

武士が刀を捨て、日本が世界に向けて幼子のように歩き始めた時代。

その家は貧しく、女は遊女にこそならなかったものの、子供の頃から奉公にだされ芸妓となった。

ある席でのこと。宴の途中、女は突然弾いていた三味線を放り投げると、何かに憑かれた様に踊り出した。

咲き誇る花の様に艶やかに。舞い落ちる桜の様に儚く。その場にいた誰もが目を奪われる、見事な舞だったそうだ。

舞終わると、女は周囲に頭を下げた。

女は自分は狐であると告げた。

「この世を立ち去る前に思いきり踊ることができて、感謝の極み。もう思い残すことはありません。礼に家が栄えることを約束しましょう」

そう言って狐は女の身体から出ていった。

女は自分に何が起こったのか覚えていなかった。

その後、狐が約束してくれた通り女の家は栄え、二度と女子が奉公に出されることはなかった。

今もこの家はあり、資産家というほどではないが会社を経営し、金銭に困る生活はしていない。



<其の五>

知り合いの話。

その日、母娘で稲荷神社にお参りに行った。

特に何事もなく、家に帰った。

母親が一人お茶を飲んでいると、実妹から電話があり、世間話をしていた。

「ねえ、そばに犬がいるの?」

突然、妹が言った。先ほどから受話器越しに犬の鳴き声のようなものが聞こえてくるらしい。だが母親のそばに犬はいないし、外で犬が鳴いている声も聞こえてこない。

「なんなんだろうね」

その日はそれで終わった。

私はこの話(稲荷神社に参ったあと、電話で犬のような鳴き声を聞いたという話)を、ある人にした。

その人は話を聞いて、

「狐ですね」

そう言った。狐は眼で見るより、耳で聞く方がより危険で手遅れになることが多いらしい。

「何事もなければいいんですけど…」

その人は心配そうに言った。

その後、実妹は喘息で入院した。かなりひどかったらしく、退院することはできたが、在宅酸素が必要となった。

住まいは団地の5階。エレベーターはないので、必要な時以外は外出もままならなくなってしまった。



<其の六>

こんな夢をみた。

神社のお祭りに行った。

境内は人で賑わっていた。だが、いつの間にか家族と離ればなれになった私は一人きりだった。

人の波に揺れながら家族を探す。

だが見つからない。

溢れる人の波に見知った顔を探しながら…

ふと、気づいた。

全ての人がお面を被っていることに。

思わず立ち止まると、それに合わせて人の波がさっとひいた。同時に時間が止まったように、人の動きもとまる。

見るとお面はどれも同じ狐のお面だった。

どの狐も自分を見てる。

背を向けている人、横を向いている人。身体はそれぞれ別な方を向いているのに、面だけはこちらを向いている。

異様だ。

私は叫びそうになるのを必死で堪えた。

気がつくと、狐の面を被った人たちに囲まれていた。

その中の一人が私に近づいてきて、そっと耳打ちした。

「いつか、帰っておいで」

そこで目が醒めた。

あれからずっと探してる。

あの神社。

そして、私に囁いた人。






<其の七>

昔 一族の誰かが祀っていて、今はどうなってしまったのかわからないお稲荷さんがいる。争い事が多いと思うのなら、稲荷神社にお参りに行きなさいと、ある人から言われ、何度か同じ神社に娘とお参りに行った。

その神社は鳥居をくぐりながら、狭い階段を上がっていくのだが、その階段の両脇には狐の石像があった。

どれも個性的で、可愛らしいとも恐ろしいとも受け取れる不思議な石像だった。



一階の和室で、私と娘が眠っていた夜の出来事。

娘が眠っていると、何かが階段から駆け下りてきて和室に入ってきた。最初は我が家の愛犬だと思ったそうだ。でも違った。

それは和室で眠る娘の周りをグルグル駆け回ったかと思うと、腹の上にポンと飛び乗って消えたそうだ。

その時、娘は金縛りにあっていたそうだが、こういうことは我が家ではよくあるので、あまり気にもせずにいた。

そして、何度目かの稲荷神社参りの時だった。

蒸し暑い日だった。

汗がじわりと滲んでくる。

鳥居をくぐりながら階段をあがり、あと数段…そう思った時だった。

前を歩いていた娘が立ち止まった。名前を呼んでも固まったまま動かない。

後ろが詰まってきて焦った私は、娘をこづいて急かした。

お参りのあと、再び鳥居をくぐりながら階段を降りる。

娘はずっと黙ったままだった。

私は蒸し暑さでぐったりしていて、正直なところ娘の様子を気にする余裕はなかった。

階段を降りきったあと、娘は鳥居を振り返った。

そして言った。

「この間 家に来たの、あの狐だった」

いつかの夜に、娘の周りをグルグルと駆け回ったナニか…

あれは階段の上から二段目、階段を上っているなら、左の石像。神社を背にして階段を降りるなら右側の石像が、あの夜訪れたモノだと娘は言った。

「でも石像だよ」

私は言った。

「うん…でもあの石像を見た時、これだったんだと思った」

風もない蒸すような暑さの中、流れる冷たい汗に身が震えた。



※これはブログに載せていたものを誤って削除してしまい、2022年に書き直して怖話サイトに載せた話です。〈其の一〉と〈其のニ〉は今は亡き母から聞いた話。
〈其の三〉と〈其の四〉は嫁ぎ先の家系の話。〈其の六〉は娘と私の夢をMIXさせた創作。〈其の七〉は家⑬に載せているのと同じ話です。
狐のはなしですが一部、狸の話になっています。

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