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ジンジャーハイボールと彼 17 ~Z世代の育成~
外から職場に入ると気温の変化に体が追い付かない。この季節に黒いパンツスーツの上下はきつい。
今日は、少し職場に行く足が重かった。
先日、職場から届いたメールに私が担当している新人が大きな失敗をしたとの連絡があった。
お客様への謝罪についてと、今後のためにその後輩へ指導をするよう長谷川さんから連絡が届いていた。
私にとって、仕事はまだ好きだと思えるものだった。悩むことはあれど辞めたいと思ったことはなかった。
それが後輩を育成する立場になってから少し気持ちに変化が出始めている気がした。
また、今回のようなことは初めてだったので、なんだか落ち着かない。
「・・・うーん」
指導って一体どうしたら良いのか。
着いたらすぐに長谷川さんにどうしたら良いか相談をしよう。
私の姿を見ると長谷川さんはすぐに来てくれた。
「木原さん昨日はお休みの日に仕事のメールごめんね。今日、担当指導に入る前に少し話する?」
「あ、お願いしたいです。本人はまだ来てないのかな・・・」
「彼女はまだ来てないね。まさか、木原さんがいない日にこんなことが起こるなんて」
私たちの仕事は、お客様にとって人生でとても大事な日を一緒に作り出し、お手伝いさせていただくもの。
だからこそ、小さな失敗がお客様にとっては大きなものだったりする。
もちろん、当日を成功して終えると私自身も幸せな気持ちになる。何より、ありがとうの一言やご家族の涙ですべてが報われる。
ただ、何度も経験すると新人の子の方がその重さを忘れずに動いてくれているんじゃないかと思う時がある。
流れ作業になっていないか、不安になる時が。
指導するなんて、おこがましいし気が重い。
「はぁ、疲れた」
「木原さん、どうだった?彼女は大丈夫そう?」
長谷川は自分の席まで来るよう木原に手招きした。
「はい、良い子ですし長谷川さんにアドバイスいただいたように、同じ事を繰り返さないための対策案を一緒に練りました。あと、謝罪は長谷川さんがその日に手配して動いてくれたと聞きました。本当にありがとうございます」
「ああ、そうそう、大事なところを伝えてなかったね」
長谷川は仕事のメールを確認しながらも意識をこちらに向けて話をしていた。
木原は長谷川の側に寄り、小声で伝えた。
「実は、どうやらプライベートなことで悩んでいたようで」
「ああ、そうか。そこは私たちじゃどうにも出来ない部分だね」
「はい。私も、彼女のことは少し多めにフォローしていこうと思います」
「うん、お願いします」
木原の方をしっかり見て笑顔でそう言った。
後輩は5歳下だけど、私もまだ同じ20代。なのに違いを感じる。
今回の子は、素直な子だったので指導もすんなりと受け入れている様子だった。
ただ、自信のなさが垣間見えるため、あまり伝えると「否定されている」と思ってしまう気がしてどこまで言って良いかがわからず、そこが一番の懸念となっていた。
「はぁ」
「なんで木原さんが落ち込むの」
長谷川は心配そうに聞いた。
「・・・彼女から“私、この職場にいても良いんでしょうか”って言われて。そんなこと無いから考えなくて良いよって伝えたんですが」
長谷川は、ああという表情をした。
「多分、彼女はプライベートなことだけじゃなく同期と比べて悩んでるかもね」
そんなこと思ったこともなかった。一番近くで担当していたのは私なのに。
「あ、今、そんなこと気づかなかった。近くにいたのに、って思った?」
え、エスパーなの?
「・・・はい、思いました」
「真面目な良い子が多いな。二人目の犠牲者が出るところだった」
長谷川は何か飲もうか、と席を離れた。自販機から2人分のドリンクを購入し、別フロアにあるベンチに促された。
皆がいるフロアではない場所に移動するだけでも、少し心が癒された。
「あの子の同期にすごい子いるじゃない、高砂くるみさん。まわりが褒めたり、すごいって言ってるときに微妙に表情がおかしかったのよね。気にならない程度だったから、周りは気づいてないかもだけど」
驚いた、確かにすごい子が入ったと高砂さんはもてはやされていた。そのほかにも同期の女の子はいたので、担当の子に影響があるなんて思いもしていなかった。
「高砂さんは専門的なことを学ばずに入っているけど、彼女は専門学校で学んで来てるから特に気にしちゃうかも。私も同じように悩んだことがあるから」
経験の多さや、人を見る千里眼が鋭くて驚嘆する。
「私も、入社したばかりの頃は失敗ばかりだったの。同期で一番失敗したかも」
「ええ!嘘ですよね」
「本当なのよ、同期の筒井ちゃんにも草田君にも負け負けだったんだよ、他社からの引き抜きのくせに恥ずかしいよね」
お二人とも、尊敬しているけど長谷川さんはそれ以上なのに。
「失敗があったから、どうしたら良くなるだろうとか、貢献するには努力するしかなくて。恥ずかしいけど。それに当時は嫌味な先輩もいたから、いじわるもされたなぁ。その人たちはもう辞めたけどね」
「ええ、そんな人がいたなんて信じられないです」
「そうよね。まぁ後輩を励ますときにこの私のダサい話を使っても良いよ」
使いたい、長谷川さんを尊敬している後輩はたくさんいるし。
「はい、何より私が励まされました」
それに、ぜんぜんダサくなんかない。
「はいよ、二人ともあんみつね」
いつもの甘味処に仕事終わりに香澄と二人で来ていた。
「ええ!じゃ、日下部さんが百合の裏アカウントフォローしてたの?そんなことってあるんだ」
「びっくりだよね」
すっかり仕事で疲れて忘れていたけど、香澄と近況の話をしていて思い出した。
あんみつは、今日起こった仕事のごたごたをすべて溶かしてくれるような美味しさだった。
「いや、色々びっくりだよ。二人で映画見てご飯まで行くなんて」
「約束して行った訳じゃないけどね」
「でもなんか、楽しそうだね。日下部さんには意外性しかないけど。あの人と長時間よくいられたね。二人は同じ雰囲気があるから、お互いに避けてるのかと思ってたけど大丈夫みたいだね」
明日は香澄もお休みなので今晩は我が家に泊まって、朝一でドライブに行くことを予定していた。
明日は予定が入っていなかったので、どうしようかと途方に暮れていたところ香澄から連絡があったのだ。
「伊藤さん、今日・明日と仕事なんでしょ?」
「そう、本当は二人で出掛ける予定だったけど、今日、急遽仕事になったみたい。生徒がなんかやばいことしたみたいで、夏休みなのにね」
「夏休みだからじゃない?」
「そうか、具体的には言えないって言われた。でも新聞には載るかもって」
「ええ!それ、法に触れるやつだね暴力沙汰
かな」
「うーん。そういう高校じゃないけど。何もまだ聞いてないからね。ところでさ、話変わって良い?」
香澄は改まった様子で言った。
「え、うん」
「百合って、日下部さんはどうなの?」
「ええ?それは、恋愛対象としてどうかってこと?」
いきなりの発言に目を見開き、動揺してしまった。
「そう、もしかしてもう付き合ってるのかなとか思ったけど。なんか違うみたいだから」
「付き合ってないよ!」
「だよね。でも可能性はどうなのかなと思って」
「いやいや、アナウンサーの人と良い感じって言ってたから、私なんて見てないでしょ」
「ああ、確かに。あの人綺麗だったな。アナウンサーだし、もうなんかスペックから違うよね。だが、我々には若さがある!!」
真剣な目で言うので少し笑えた。
「もうアラサーだよ」
「敵からしたらめっちゃ若いでしょ」
「敵?!」
「まぁ、百合が好きじゃなきゃ意味ないからね。どうなの?」
奥から女将が出てきて、お茶を持ってきてくれた。
「あら、可愛い娘さん二人が何を揉めてるの」
「女将、百合に良い人が出てきたんです。でも敵がレべチで」
「あら、そうなの?!それは嬉しいことだね」
女将はまるで自分の事のように嬉しそうな顔をしていた。
「いや、まだ私は何も言ってないでしょ。違うんです女将〜」
その後も三人でなんともない話で盛り上がった。
香澄のスマホからバイブ音が聞こえ、なかなか止まない様子だった。あれ、電話かなと画面を見ていたと思ったら驚きの表情でこちらを見た。
「え!なんか問題が解決したみたい。日下部さんも時間とったから、これから四人で会わない?って」
「おお、なんだよかった。ニュースにならずに済んだのかな」
「どうだろう、前に事件があったときはこんなすぐに終わらなかったし。なんか平和的に終わったのかもね」
「そうか」
「あ、この前話していたリゾートビアガーデン行こうって!」
「おお、良いね。すぐ地下鉄で向かおうか」