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~mother 結婚相手への3つの条件~
母は小樽市出身で2人姉妹の長女。当時の女性には珍しく、結婚願望がまったくないタイプの人でした。
親にお見合いの話を持ち出されても「願望がないのに失礼だ」と見合いする事を断り続けていたそうで。30を過ぎるとさすがに何も言われなくなったと聞いた事があります。
30代も半ばに差し掛かったある日、読書好きの母はある本を読み「夫婦って良いもんだ」と感動したらしく。
突如、「よしっ結婚しよう!」と思い立ったそうです。両親は喜んでお見合い話を探してくれ、さっそく相手と出会う事に。
母は滅多に人を好きになるタイプではなく、いわゆる恋愛体質とは真逆。本や映画と宝塚が大好きで、今の時代で言う、推し活で生き甲斐を感じられる人。
今なら共感を得られるだろうけど、当時は変わり者と思われていた可能性が・・・。
40年ほど前の1980年代末、バブル景気全盛期。女性たちはボディコン姿で踊り、お金のある男性も溢れていたと聞いた事がある。
女性の主流層が三高(さんこう)を結婚相手の条件にしていたのも有名な話。
三高とは、高学歴、高収入、高身長。
母が選んだ相手は、もちろん今の父。
父は、なんと。
三高のどれも持っていなかった!!
それどころか、ど田舎に住み弟妹たちを安月給で養っていた時代も長く、貯金はなし。
主流の三高とはかけ離れた人。
母から父と一緒になった理由を聞いた事がありました。
「え?なんで結婚したか?そうね、最初に3つの条件を決めていたのよ」と言った。
これは気になる。
1つは、誠実な人。2つ目は苦労をしている人。3つ目に芯の強い人。
当時、子供だった私は、まったく納得いかなかった。(足の速い子や可愛い顔の男の子がモテる年齢の頃)
それでも、父は母の条件3つをクリアした男性。本来は大学への進学希望で教員が夢。高校の担任が「彼を大学に行かせてあげてほしい」と両親にお願いをしに来てくれたという。
そのとき、父の母親、私にとって亡き祖母が4人の弟妹の生活を支えるために働いてもらわないと困る、と言って断ったと聞いた事もありました。
母は、父の収入が少なかった事で、両親から「人から勧められた人だけど、将来のお金が心配だから」と懸念されたらしく。
それでも、母は父を選んだのでした。
幼い頃、我が家の貧しさを感じていた私は、なぜだ?!なぜなのだ?!と理解出来ませんでした。
もし、お金もちなら、好きなだけおもちゃが買えたのに!
クリスマスも誕生日もお祝い出来たはずなのに!!
おもちゃも、洋服もいつも親戚や知り合いからの御下がりでした。
そう、今で言うSDGsの走り。
どこの誰よりも、先端をいっていたのだ!スウェーデンよりも、ここ北海道でもっと早くから我が家は地球に優しい生活を送っていた!!
(今だってユニクロで買ったカーディガンを20年くらい着ているから、大人になっても継続中。というか、まだ着られるユニクロってすごい!)
貧しい中、両親は私と弟を私立大学まで出してくれました。
田舎から都会に出ての大学生活。一人暮らし初日の夜、寝ようとしたけど、ベットから部屋を見渡していました。両親が購入してくれた私のベットに冷蔵庫、洗濯機。何も買ってもらえなかった幼少期を思い出して涙が出てきました。
貧しい経験って、やがて思い出と強さになるんだなぁ。
我々が社会人になると、両親は家をリフォームし、家具もすべて新しいものになっていました。
昔の貧乏が嘘のよう。子どもの頃、家具はもらいもの。家電はお店の中で一番安いものが定番だったのに。
母は「この食器棚、けっこうしたんだよ。ニトリで一番高かった」と嬉しそうな笑顔で私に話してくれました。
贅沢をする癖はついていないんですね、『お値段以上、それ以上』で1番高額という謙虚具合。
そうそう、母から小学生の時に2回ほど、「もう離婚する!」と言われ「どちらに付いて来る?」と問いかけられた事も(笑)
母はいつも元気で笑顔だったし、誰なのかわからない苗字の入った上下の学校ジャージにエプロン姿。日々、PTAやボランティアに出歩いていました。(あのジャージは本当に誰のだったんだ?!)
ブランドバックなんて見た事もない。
娘にとって、今では伝説となった高校時代の参加日があります。
友人たちはどうやら両親に来なくて良いと言っていたようで、誰も来ていませんでした。
誰もこなさそうだなと授業に集中していたら、後ろから小さな声でゆっくりと何か言っているのが聞こえてきました。
「かりんー、かりんー」と呼ぶ声が聴こえたのです。
振り向くと、母がWピースを前後に動かしながら、こちらを笑顔で見ていたのです。
私は絶句。
思春期真っ只中のJKにおきた悲劇!
いや、喜劇?
父は、現在73歳。
昭和の古い考え方がこびりついて、なかなか消えない世代。素直に感謝の言葉を伝えるのが苦手なタイプ。その父が男泣きして言いました。
「母さんは、父さんにはもったいないほどの人だった」
2020年、1月初旬の雪の降る日。
母は交通事故で亡くなりました。
初七日に、そんな台詞をパートナーに言われた母の人生は、幸せだったに違いないと思う。
でも、お父さん。
今更もう遅いよ。もっと早く言える時はあったのに。
子どもの頃、理解出来なかったお母さんの条件3つ。大人になって、やっと理解出来るようになりました。
知らない名前の書かれたジャージを気にせず着用するし。
思春期に友人たちの前でWピースしちゃうような人で。
ブランドバックじゃないのに、どのバックもあなたが持つと素敵だった気がする。
尊敬する最高の女性です。
私が一番、今さら遅いのかも知れない。
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今回は、私にとって宝箱にしまっているダイヤの指輪をそっと取り出して、誰かにプレゼントするような気持ちでエッセーにしました。
その誰かの心に、母の優しさや強さが届いたら嬉しいなと思います。