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昭和であった7〜そしてテレビは文化となった〜

私が小学校の高学年になった頃なので、昭和37年頃からのこと…
当時のことを振り返ってみると、私は月刊や週刊で発刊される漫画雑誌のストーリー漫画に夢中で、かつ海外から続々と到来する音楽や様々なテレビ映像に心を奪われていた。
大人たちにもレジャーや娯楽への関心が広まり、日本の高度成長はいよいよ欧米先進国の背中が見え始め、国民誰もが未来への夢に現実感を感じ始めた頃である。
SFが新しい文化として流行し始め、私は常に非日常の妄想に胸を膨らませ続けていた。

日本のテレビ業界は間違いなくマスメディアの主役となり、多くの成長企業が挙って各局へのスポンサーに押し掛ける。
市場としてもいよいよ成長期に突入したと言っていいのだろう。
その先駆者はもちろんアメリカであり、新しいテレビ番組のクオリティーの高さは圧倒的にアメリカが高かった。
日本はかろうじてそれに追随するレベルでしかなかった。
必然的に私の嗜好も輸入ドラマ番組に偏っていたと思う。
一方日本の番組もアンソロジー的な趣向が汲み入れられたり独自のクオリティーも徐々に成熟を見せ始め、いよいよ和製アニメーション番組も次々と登場することになる。
もちろん日本のテレビは局数も増え、番組のバリエーションも豊富になり、放送時間も各局深夜に及ぶようになる。
たった4人の我が家でもチャンネル争いが生じるようになった。
特に、父が家にいる時には人一倍好奇心の強い父はあちこちのチャンネルを観たがる…
そこで、狭い社宅アパートの我が家に、早々に2台目のテレビがやってきたのだ。というより、ある日突然父が持ち帰ってきた小さな段ボール箱…
そこから出現したのは、当時ソニーが初めて発売したポータブルテレビだった!

父がある日突然抱えて帰ってきたポータブルテレビ。
ソニーの第一号機だった。
未来的で無駄のない躯体にかなりビックリした。

もちろん、父が月賦で手に入れてきたのだ。母は無駄遣いだと怒っていた。
ポータブルテレビはダイニングテーブルの端っこに置かれ、父親最優先のものとなったが、父は毎日が忙しい高度成長期の企業戦士。
日曜以外は深夜まで帰宅できないのが日常だった。
つまり、我が家では同時間に2つのチャンネルの番組が見られるようになったのだ!
これはもうテレビ中毒の私にとっては鬼に金棒、気狂いに刃物…夢のような毎日だった。

ではでは、この時代の記憶の中の番組を辿ってみることにしよう…

『恐怖のミイラ』(放送・昭和36年〜)
日本テレビ放送の30分テレビドラマ。
強烈だった!
多分これが日本のテレビでのホラー系ドラマの第1号だと思う。
4000年前のエジプトのミイラを蘇らせるという研究を行なっていた研究室…蘇ったミイラが研究者を殺害して姿を眩ます… と、ここから恐怖のストーリーが始まるが、そこには何とも悲しい彼(ミイラ)の人生の生い立ちがあったのだ。
子供心にそのストーリーに夢中になった。
もちろん、ミイラのメーキャップも超怖かった。
同時間、母は居間で他の番組を観ていた。
兄は私立中学への受験勉強で机に向かっていた。
夜1人小さなポータブルテレビで観ていると何度も背中がゾクゾクしたものだ。

こんなタイトル… 子供が1人で観るにはちょっと怖い…
恐怖のミイラの一場面…
ミイラ役は体の大きな外国人が演じていた。

『じゃじゃ馬億万長者』(放送・昭和37年〜)
日本テレビ放送の輸入人気番組。
放送時間は平日夕食後の夜。
アメリカの山奥でいまだに開拓時代さながらの自給自足の生活を続けている田舎の家族。
ある日、家の敷地内から石油が噴き出す!
彼らは一気に億万長者となり、担当銀行の勧めでビバリーヒルズに引っ越すこととなる。
そこで繰り広げられる都会の文化と超田舎の文化のぶつかり合いのドタバタコメディーだ。
観ていると彼らの価値観の方が正しいような気がして、ちょっと近代文明への戒めも匂わせている。
メチャクチャ面白かった!

じゃじゃ馬億万長者のタイトル。
後ろの席のおばあちゃんが超怖かった!

このドラマの現地タイトルは『ビバリーヒルビリーズ』という。
近年『ヒルビリー』という言葉が注目されているのをご存知だろうか。
私はかねてより単なるウェスタン音楽の1ジャンルと思っていたが、実際の意味は『アパラチア山脈地方の田舎者』、しいては『田舎者』という広義の意味に使われるらしいが、実はもっと深い意味がある。
特にトランプ旋風が吹き荒れた頃、その支持者たちのコアに『ヒルビリー』文化があるというので注目され始めた。
アメリカ開拓民たちが日々の地道な労働によって築き上げた村や町や農地… 毎日額に汗して労働に勤しみ、開拓という厳しい環境の中で家族の生活を築いていった18世紀から20世紀初頭までのあのアメリカ開拓民たちの文化である。
基本的に彼らは信心深く、生活を守るということに対してとても気骨な精神が育まれている。
反面射倖心や高等教育にはそれほど関心がない。
主にアメリカ大陸の内陸部の各都市や各州の産業を支えてきたのはそういった人々なのである。
一方我々がアメリカとして認識しているニューヨークやボストンやワシントン、ロサンジェルスやサンフランシスコ等は全て海岸線の地域。
独立前から宗主国からの移民が進み、高学歴のエリートたちによって栄えられてきたアメリカの主要都市である。
ところが人口からいうと内陸部の人々の数は沿岸都市部の人口と総数としてはあまり変わらない。
そのコアとなるのがヒルビリーの人々が持つ開拓民気質なのだ。
トランプはまさにそこを支持層に狙い、見事に結果成功したことから、アメリカという大先進国の実際の国民の心情が露呈し、世界中が驚かされたのだ。

ずっと以前の1960年代に制作されたこの番組でもその価値観のギャップの面白さが毎回のストーリーの基軸になっている。
当時の日本人の子供が見ても抱腹絶倒なのである。
まあ、この人たちが支えるアメリカっていうのも、この国際化の時代に何だかなあ…と、ちょっと思う。

『ベン・ケーシー』(放送・昭和37年〜)
多分この番組が初のメディカル・ドラマだと思う。
大きな総合病院で働く若き脳神経外科医が主人公である。
『男… 女… 誕生…死亡…そして、無限…』と生物学的マークから始まり視聴者の知的好奇心を惹きつける硬質な社会派ドラマ。
毎回様々な患者の病状と向き合い、自分の医療技術と病院という医療体制、はたまた人間の愛情のあり方の間で主人公ベンの苦悩と活躍を映し出してゆく…
この番組は後の様々な医療ドラマの出発点ともなった画期的番組だった。
本国での視聴率は実に50%を超える怪物番組となり、主役のベンを演じるヴィンセント・エドワーズを一躍スターダムに押し上げた。
日本ではTBSが放送すると、同じく爆発的な人気番組となった。

ベン・ケーシー役のヴィンセント・エドワーズ

『ルート66』(放送・昭和37年〜)
ご存じルート66とはかつてアメリカ大陸を横断していた国道。
厳密にはシカゴとカリフォルニアを結ぶ旧国道である。
大学を卒業したばかりの2人の青年トッドとバズが愛車のシボレー・コルベットで大陸横断の旅に出るというロードムービーの先駆けである。
2人は毎回さまざまな街や村で色々な事件や出来事に遭遇し、それを解決しながらそこで出会った人々と一期一会の交流を深めてゆくというシリーズ。
毎回1話完結で、2人はまた次の街へと旅立ってゆく…というストーリー。
小学生の私としては何とも格好良い生き様。
シボレーのコルベットという夢のようなオープンカーにも大いに心惹かれた。

2人の若者トッド(右)とバズ、そしてシボレーのコルベット


そして何より主役の1人ジョージ・マハリスが歌う主題歌かの名曲『ルート66』である。
何から何までが超格好良かった!

『出てこいキャスパー』(放送・昭和37年〜)
もっと古くから観ていたと思ったら、日本では意外と後発だったアメリカンTVアニメ『キャスパー』である。
日本での放送はフジテレビ。
キャスパーは『お化け』、つまり幽霊。
寂しがりで、心優しく、人を驚かせるのが大嫌い、いつも友達を求めている。
なので、お化けの社会では異端の恥知らずとして孤立している、というキャラクター。
お化けなので空は飛べるし壁は通り抜けられるし、メタモルフォーズもお手のもの。
その能力で人助けをするのだが、どうしても怖がられてしまう…
これが何とも哀しくとも愛らしく、私は大好きだった。
今になって見ても、キャラクターデザインがとても良く出来ていたと思う。

哀しくも愛らしいおばけのキャスパー

『鉄腕アトム』(放送・昭和38年〜)
いよいよ日本のTVアニメ第1号である。
まだまだ日本のテレビ番組制作費が低く、アニメーション制作には無理があった時代。
手塚治虫の虫プロダクションとフジテレビ、さらに広告代理店の萬年社が三つ巴になって破格の制作費を工面し、さらに制作担当の虫プロも常に赤字を背負った状況で実現した週1回の30分レギュラーアニメ番組だった。
ちなみに、日本での本格的なキャラクターマーチャンダイジング市場第1号もこのアニメ『鉄腕アトム』からである。
業界第2位だった明治製菓がスポンサーに名乗りを挙げ、アトムシール付きのマーブルチョコレートが爆発的な人気となって、放送翌年には明治製菓は森永製菓を抜いて業界第1位の売り上げとなった。
日本でちゃんとしたアニメーションを番組制作するのはまだ早い… との世論もあって、手塚大ファンの私としては『どうせ紙芝居にちょっと毛が生えたくらいのもんだろう…』とあまり期待はしていなかった。(それまで散々裏切られてきたので…)
ところが… 第1回目の放送を観てぶったまげた!!
画像といい音楽といい効果音といい… クオリティーの高さが想像を遥かに超えていたのだ!
もう完全に私はこの番組の虜になった。

コマ数こそ節約気味だったが、画像のクオリティーは想像以上だった!
大ヒット商品となったアトムシール付きマーブルチョコレート

何度も何度も読んだあの手塚ワールドがほぼ完璧な形で映像化されたのだ!
私を含め当時の手塚ファンがどれほど熱狂したか…筆舌に尽くし難い。
なけなしのお小遣いを叩いて虫プロ友の会 に入会(会報と共に毎回セル画を一枚送ってくれる)し、毎週食い入るようにブラウン管にしがみついたものだ。

『エイトマン』(放送・昭和38年〜)
鉄腕アトム放送の年の秋からTBSで放送が開始された日本製第2弾のアニメ番組である。
少年マガジンに掲載された桑田次郎の原作漫画のアニメ版。
スポンサーはふりかけが売れ始めた丸美屋食品で、この番組の効果でふりかけの売り上げは倍増したと聞く。
設定は『ロボコップ』と同じサイボーグもの。
普段は警視庁の刑事だが、ことが起きるとサイボーグに変身し、空こそ飛べないが時速3000kmで走るなど、様々な超能力を発揮する。
動力はアトムと同じ原子力だが、エネルギーの過剰供給により頻繁に冷却材(増強材)を補給しなければならない。
これが、腰のベルトのバックルに収められたタバコ状の冷却材。
窮地に追い込まれると、ポパイのホウレンソウよろしく、タバコを吸うのだ!
そうすると人が変わって超強くなる。(ちょっと笑えない…)
今なら大ひんしゅくものだが、当時はタバコは子供たちにとって大人への憧れだったので、それを反映している。

サイボーグに変身したエイトマン
これは丸美屋食品の広告

ちなみに、丸美屋食品とは全く関係のない『ココアシガレット』や不二家のシガレットチョコも皮肉なことにこの番組の人気のせいで爆発的に売り上げを伸ばすことになった。

子供たちはタバコが大好きだった!

アトムほどではなかったが、アニメのクオリティーとしても充分な仕上がりだったと記憶している。
大変な無理をして成功した『鉄腕アトム』だったが、この『エイトマン』が日本のアニメーション番組制作を定着させるきっかけとなったと感じている。
その後、原作者の桑田次郎が銃器不法所持で検挙されたことで、連載漫画もアニメーションも打ち切りとなった。

『三ばか大将』(放送・昭和38年〜)
戦前の人気短編コメディー映画シリーズを戦後のテレビ普及期に本国でテレビ番組として再編集され、アメリカ全土で人気番組となったコメディーシリーズ。
日本ではこの年の夏から日本テレビで放送が始まるや、やはり大ヒット番組となった。
3人のコメディアングループは戦前当時のボードビリアンで、トーキー映画への移行期に活躍したということなので、私の親の世代よりもさらにずっと上の人たちだ。
3人それぞれのバカさ加減がそれぞれに特徴的。
ボケとツッコミがはっきりしていて、ビンタや目突きなど、比較的暴力的でプリミティブなギャグの連続で、とても分かりやすくテンポも良く、大人にも子供にも大ウケだった。
日本での放送だけの主題歌『ウヒハ〜、ヘンチクリン♪…』も子供には大ウケ。
毎週『さあ、今日も笑うぞ〜』と意気込んで観ていたのを覚えている。

右から石頭のカーリー、カラ威張りのモー、ポンコツのラリー

『狼少年ケン』(放送・昭和38年〜)
『鉄腕アトム』『エイトマン』に続いてかの東映動画がアニメーション番組制作に乗り出した第1作目。
放送網はNET(現・テレビ朝日)。
スポンサーはアトムの明治製菓に対抗して森永製菓。
アトムと同じくいくつかのノベルティー(シール)付きの商品が売り出されたが、明治のマーブルチョコレートほどのヒットは生まれなかった。
アニメーションに関しては映画版のフルアニメーションをモットーとしていた老舗東映動画だったが、いよいよテレビアニメの時代に突入した時勢を受け、挑戦したのだろう。
流石に東映動画、廉価版制作体制でもアニメーションとしては良く出来ていた。
狼に育てられた少年ケンがジャングルの動物たちを守るために奔走するというストーリー。
ジャングルブックとターザンとジャングル大帝の面白いところをミックスした様な作品。
放送はおよそ2年続いたので、そこそこの人気を博したと思う。

狼少年ケンの絵本表紙

特に主題歌の『ボバンババンボンバンボバンバボボボバンババンボンバンボボン♪…』は子供がみんな口にしていた。

この『狼少年ケン』で日本のテレビアニメーションが特別なものではなくなり、海外への番組販売も活性化し始める。
いよいよ日本のアニメ文化が幕開けした年と言えるだろう。

『ビッグX』(放送・昭和39年〜)
TBS第2弾目のアニメーション番組。
制作は虫プロではなく制作会社東京ムービーの初アニメーション番組となった。
花王石鹸の一社提供だったと思う。
確かに『鉄腕アトム』と比べるとクオリティーはかなり低かったが、手塚治虫の原作をアニメーション化出来ているという点で、私としては大満足だった。

ビッグXソノラマの表紙

実はこの番組、放送を前に試写会があった。
私は虫プロ友の会に入会していて、会報誌に添付してあった申し込みハガキを送ったところ見事当選したのだ。
ところが当時私は6年生。
父親の出身大学の附属中学への受験を決め、毎週日曜日は全国模試のある進学教室に通っていた。
寸前まで迷ったが、意を決して模試をサボり、学用品を持ったまま試写会に赴いた(場所はどこだったか忘れた)。
その会場で、いつも進学教室で顔を合わせる同い年の受験生を見つけ、瞬く間に友人となった。
その後、彼のお陰で手塚治虫本人と引き合わせて貰うことになるのだ!
その話はエッセイ『手塚治虫さんに会いたい!』に記してある。

『ひょっこりひょうたん島』(放送・昭和39年〜)
NHK放送の夕方のベルト番組枠。
この番組はもっと早くから始まっていたように記憶していたが、意外と遅くから始まった番組だった。
私はもう小学校6年生になっていた。
それまで小さい頃から毎日習慣的に視聴してきた『チロリン村とくるみの木』が終了し、この番組を超える人形劇はないだろうと思っていたところ、『ひょっこりひょうたん島』を初回を観た途端その杞憂は全て消し飛んでしまった!
人形のデザインのポップさや声優のバリエーションの面白さもさることながら、井上ひさしの脚本が最高だった。
この物語の舞台となるひょうたん島には多くの子供たちが住んでいるのだが、何故か親が1人もいないのだ。
設定では火山の噴火で親たちは死んだことになっていたらしいが、ストーリーにはその話はあまり語られない。
子供達の保護者は美貌の女教師サンデー先生、テレビからこぼれ落ちた政治家ドン・ガバチョは島の初代大統領に、島に流れ着いた人の良い悪徳海賊トラヒゲ、大富豪のセンターバック・スコアボード・ランニングホーマー、ギャングの生い立ちを持つ人情家ダンディー、魔女の中の魔女マジョリカ… などなど、ナンセンスかつ魅力溢れるキャラクターの目白押しで、『これは子供に見せてもいいのか…』と思わせるほど軽快なギャグがどんどん物語を盛り上げてゆく。
もちろん、瞬く間に『チロリン村』を凌ぐ大ヒット番組となり、ご存知のように名長寿番組ともなった。

ひょうたん島の登場人物たち…
最終回にはテーマ曲に『さよならさよならまた逢う日まで〜』との歌詞が加えられており、
当時もう高校生になっていた私は泣いた…


『ブラボー火星人』(放送・昭和39年〜)
アメリカでヒットした30分のSFコメディードラマ。
日本での放送は日本テレビ。
アメリカの新型戦闘機とニアミスして地球に不時着したUFO… その乗組員を助けた若い新聞記者ティムが主人公。
助けたUFOの乗組員は初老の男性… 彼は実は火星人だったのだ。
ティムは彼を伯父のマーチンと偽り自宅に匿うことにする。
あとはドラえもんとのび太との大人版関係が繰り広げられてゆく。
SFというよりもファンタジックなホームコメディーだ。
魅力的だったのはマーチンが繰り出す様々な超能力の数々…
周囲の人々を巻き込んで、毎回騒動を巻き起こす。
とにかく楽しく奇想天外で面白い。
毎週楽しみにしていた。

マーチンを演じていたのは名優レイ・ウォルストン

『逃亡者』(放送・昭和39年〜)
リチャード・キンブル… アメリカの大ヒットドラマ『逃亡者』の主人公…
当時この名前を知らない人は周囲に誰もいなかった。
日本でもそれほど誰もが観ていた連載ドラマである。
最高視聴率(最終話)は実に30%を超えた。(本国アメリカでは70%を超えた)
忘れもしない土曜の夜TBSが1時間枠で放送し、シリーズは4年もの長きに渡り私の中学受験期を飾る番組。
リチャード・キンブルは医師である。
妻殺害で無実の容疑をかけられ、死刑の判決を受ける。
移送中に列車事故に遭遇し、逃亡…アメリカ中を真犯人の情報を求めて逃げ回る。それを執拗に追うジェラード警部…
従来医師で人格者だったキンブルは、毎回逃亡中に様々な出来事に遭遇しながら、持ち前の人格でそこで出会う人々を助けてゆく… そして、追手が迫り、また果てしない逃亡の旅を続けるのだ。
毎回ハラハラドキドキの連続で手に汗を握った。

逃亡者のデヴィッド・ジャンセン

受験勉強真っ最中の私だったが、この番組だけは絶対に見逃さなかった。
ちなみに『逃亡者』は1993年にハリソン・フォード主演で映画化されているが、我々の世代にとっては、リチャード・キンブルと言えばこのテレビシリーズの主役デヴィッド・ジャンセンである。
知的で紳士的でいつも憂いがあり、物静かなキンブル像は理想の大人像として私の心に深く刻まれている。
デヴィッド・ジャンセンはその後もテレビシリーズの主役俳優を続け、多くのハリウッド映画でも好演したが、1980年48の歳に心臓発作で急逝した。

『アウターリミッツ』(放送・昭和39年〜)
受験勉強大忙しの真っ只中に始まってしまった大注目のSFアンソロジー番組!
アメリカからの輸入番組で『ターミネーター』をはじめ後の多くのSF映画制作の元ネタともなった伝説的な番組である。
要するにSFとしての脚本が素晴らしいのだ。
鳴り物入りで日本での放送がNET(現・テレビ朝日)の夜に始まった。
これは絶対に見逃すことは出来ない!
例えば…
『宇宙人あらわる』『もう1人の自分』『人間電池』『狂った進化』『地球は狙われている』… 等々
作りは『ミステリーゾーン』に似ているが、各回のストーリーは徹底的にSFに特化している。
そして、特撮もふんだんに使用されている。
毎回物凄くワクワクしながら視聴し、毎回それを裏切らない内容… 観た後の余韻も充分に楽しめた。

何とも未来的なオシログラフ風タイトル

ま、中学受験の追い込みとは言っても今時とは違って長閑なもの。
夜の勉強もせいぜい毎日1、 2時間だったように覚えている。
とはいえ、勉強嫌いの私… こういった高質で知的な輸入番組には大いに背中を押されたのである。
テレビも結構役に立つものだ。


『11PM』(放送・昭和40年〜)
昭和40年といえば、私は受験勉強を懸命に追い上げ、兄に続いて父の卒業した大学の附属中学に何とか合格。
その年に自宅も品川の社宅アパートから目黒の父の実家に引っ越した。
家にはさらにカラーテレビが居間とキッチンに導入され、父のポータブルテレビは子供部屋に置くことを許された。
丁度その頃日本テレビで放送が始まったのが大人向けの深夜情報ワイドベルト番組『11PM』である。
オープニングはお色気ニュアンスの大人っぽいアニメーションにスィングル・シンガーズばりのスキャットが流れる…
番組パーソナリティーは大橋巨泉と朝丘雪路。
冒頭では「野球は巨人、司会は巨泉の大橋巨泉と」「朝がまるで弱い朝丘雪路です」というお馴染みの挨拶。
テーマは主に『大人の遊び』…
街遊び、読書、映画、風俗、ファッション、ホビー、釣り、ゴルフ、海外旅行などなど、大人の遊び情報を中心に、当時の世相を反映して沖縄問題、韓国問題など硬派な自治ネタも特集を組み本気で取り上げていた。
思春期の私にとっては頻繁に取り上げられるお色気ネタが楽しみだった。
夜のワイド系情報番組の草分け的番組で実に20年以上の長寿番組となる。
もちろん、中学になった私には夜の就寝制限はなくなり、兄と一緒に深夜遅くまで好きな番組を視聴できるようになった時期。
新しい学校の友人たちの平均偏差値(当時偏差値という概念はなかったが…)もぐんとおませになり、世界への視野がぐ〜んと広がった。
当時の話題は発刊になったばかりの週刊誌『平凡パンチ』とこの『11PM』。
当時の私の大人の世界への入り口となった忘れられない番組だ。

番組は巨泉と朝丘の絶妙なトークで始まる…

『0011 ナポレオン・ソロ』(放送・昭和40年〜)
大ヒット映画シリーズ『007』ジェームズ・ボンドから始まったシークレット・エージェントもののテレビシリーズ。
企画に『007』の原作者イアン・フレミングが参画したことで、米国では鳴り物入りの放送となった。
原題はThe Man From U.N.C.L.E.。
U.N.C.L.E.とは秘密諜報機関の略称である。
日本では日本テレビが放送した1時間の毎回読み切りドラマ。
放送当社は『007』を意識してか相当硬質なスパイドラマだったが、主役のソロ役ロバート・ヴォーンと明らかに東欧出身風の相棒イリヤ・クリヤキン役のデヴィット・マッカラムの個性が魅力的で、途中からは少しコミカルなタッチも散りばめられる様になる。
日本では女性に弱いプレイボーイのソロよりも、常にクールで知的なイリヤの人気が絶大で、この番組は爆発的な人気番組となった。
登場人物にしろ、数々の道具立てにしろ全てが洗練されているように私には見えた。
『やっぱ、アメリカはお洒落だなあ〜』というのが当時の主な私の感想である。

ちなみに提供スポンサーはブリヂストンだったので横浜ゴム勤めの父はちょっと悔しそうだった。

『オバケのQ太郎』(放送・昭和40年〜)
いよいよ藤子不二雄アニメの登場だ!
私はもう中学生になっていた。
日本製アニメ番組は完全に定着していた。
少年サンデーの連載漫画『オバ Q』を執筆した藤子不二雄は手塚治虫のお弟子さん格とも言えるので、ファンも私より少し年下なのかもしれないが、ご存知の通り藤本弘と安孫子素雄2人のペンネーム。
この『オバ Q』までが完全な共作だったらしい。
とにかくこれが大ヒット漫画となりブームを巻き起こしアニメーション化の運びとなったのだ。
私の記憶的にはその後『パーマン』『忍者ハットリくん』『キテレツ大百科』『ドラえもん』へと続く一連の日常ホームコメディーにファンタジーを付加させた藤子不二雄アニメ王道の記念すべき第1作目となった。
もちろん大ヒットした。
このアニメあたりまでは毎回見ていたように記憶している。

おばQ… 卵から生まれたんだっけ…

『奥様は魔女』(放送・昭和40年〜)
TBS系で週1回放送された輸入ヒット番組。
結婚した妻サマンサが魔法界の女性だったという設定。
同時期に放送されていた『かわいい魔女ジニー』(日本では翌年からの放送)は偶然拾ったアラビアの魔法のランプから飛び出した魔法使いなのに対し、こちらの設定では、世人に知られず歴然と存在する魔法界があり、それが血脈として続いている。
言ってみればかの『ハリー・ポッター』と同じ設定である。
夫で真面目な事なかれ主義のダーリンはこの魔法界から訪れる義母や親族たちの存在がどうしても受け入れられない… という設定もちょっとダーズリー一家を彷彿とさせる。
サマンサは毎回その板挟みで右往左往しながらも、持ち前の魔法力でことを解決してゆきながら2人の愛を温存してゆくという運び。
まあ、そんなこんなで毎回繰り広げられるドタバタコメディーが大変楽しい。
中学生の私としてはかなり夢中になって観ていた記憶がある。
主演のサマンサ役エリザベス・モンゴメリーが大好きだった。

サマンサ役のエリザベス・モンゴメリー

ちなみにエリザベス・モンゴメリーはこのサマンサ役の人気でその後なかなか良い役が付かなかったが、社会的に重厚な配役を好み、悪役や殺人犯役など晩年まで女優としてのキャリアを積み重ねた。
1995m年に62歳で癌のため死去。

『ウルトラQ』(放送・昭和41年〜)
円谷プロが『トワイライトゾーン』や『アウターリミッツ』に触発されてか、怪獣映画で一斉を風靡した円谷プロが満を辞して制作に取り組んだ日本製SFアンソロジー番組。
TBS系で日曜の夜の放送だった。
『アウターリミッツ』ほどのクオリティーではなかったが放送当初は主に怪奇現象をテーマの中心として、それなりに脚本に重点を置いたSF的硬派を保っていたが、途中から怪獣特撮ものに変化していってしまった。
そして、この枠は後すぐにヒーロー怪獣もの『ウルトラマン』に変貌してしまうのだ。
まあ、視聴者層が青少年から子供に変わったということなのだろう。
もちろん私の興味も急速に消滅してしまったのだ。

不可思議でグラフィカルなタイトルは象徴的だった
現在も販売されているDVDの表紙。
途中から怪獣ものに変わっていった…


『それ行け!スマート』(放送・昭和41年〜)
私の中学時代、世は映画『007』ジェームズ・ボンドシリーズやテレビ番組『0011 ナポレオン・ソロ』が席巻していた。
秘密諜報員ブームである。
それを真っ向からパロディーにしたコメディー番組が『それ行け!スマート』である。
アメリカの秘密諜報機関『コントロール』のエージェントNo.86、マックス・スマートは超が付くお間抜けな諜報員。
相棒のNo,99、女性諜報員(これが微妙に美人ではない)の助けを借りて犯罪組織『ケイオス』に立ち向かう。
靴を脱いで無線機に使うなど毎回変な秘密道具が登場する。
失敗の連続のくせに何故か毎回任務に成功してしまうという痛快な成り行きはいつも約束されていて、安心して毎回抱腹絶倒していた。
書き下ろしていたのが、かのメル・ブルックスであったのは後に聞いて、『なるほど〜』と頷かされた。

『宇宙家族ロビンソン』(放送・昭和41年〜)
アメリカでは『逃亡者』のシリーズの合間の制作期間に交代で放送されていたSF冒険物語。
後の映画『ロスト・イン・スペース』の原作版である。
日本ではTBS系で放送。
宇宙移民計画を任されたロビンソン一家… コールドスリープでの航行だったが、移民政策を阻もうとするスパイの科学者ドクター・スミスのせいで軌道を逸脱…
宇宙を彷徨うことになる。
そこで毎回軌道を探索回復しようとするロビンソン一家とドクタースミスのせめぎ合いに加え、途中立ち寄る色々な惑星で遭遇する謎の生物やら天変地異の冒険が絡み、毎回急死に一生を得る運びとなる。
このロビンソン一家が皆大変なオープンマインドで正直でお人好し、一方のドクター・スミスはコス辛い偏屈ものなのだが、そこに微妙な人間関係も生まれてくるというヒューマンコメディーにもなっている。
特筆したいのは宇宙船の乗組員のロボット『フライデー』… ロボットなので大変融通が聞かない。
毎回ドクター・スミスが行う悪巧みをフライデーに手伝わせようとするがなかなか上手く行かない… それでもスミスとフライデーには妙な友情があるのだ。
そこが微妙で面白い。
安心してして観ていられる大好きなSF冒険番組だった。

宇宙移民計画のロビンソン一家
ドクター・スミスとロボットのフライデー

『モンキーズ』(放送・昭和42年〜)
前にも書いたが、中学の頃ビートルズが日本にやってきた!
私は学校をサボって武道館に観に行った(ほとんど嬌声で音は聞こえなかったが…)。
その感激が中学時代私の音楽好き魂に火をつけ、私は日々ギター三昧… 周囲からもギター小僧と認められるようになった頃、この番組が始まった。
最もアメリ本国のビルボード誌やキャッシュボックス誌で既にモンキーズというバンドがティーンエイジャーたちに人気を博し始めていることは噂で届いていたが、実態はあまり知らなかった。
後で知るところによると、このバンドは完全にオーディションバンドでアイドル番組制作のために集められた役者の4人。
ミュージシャンはあくまでも役どころで歌唱は自分達だが演奏は吹き替えだった。(人気が高まり、最終的にはライブでも自分たちで演奏するようになった)
デビューも番組開始を見越して1枚目のシングル『恋の終列車』をリリース… その直後に放送が始まった。
日本でもあまり時期を置かず放送が始まったと思う。
番組の内容は共同生活を続ける若いバンドメンバーの生活がコメディータッチで描かれ、毎回きっちり演奏シーンがあるという作りで、ストーリー的には大した内容ではなかった様な気がする。
というか、あまり詳しくは覚えていない…

番組用に創られたアイドル、モンキーズ

ただ…楽曲が素晴らしかった!
書き下ろしていたのは、若い頃のニール・ダイアモンドやソングライターチームとして数々の名曲を生み出したボイス&ハート。
とにかく当時のアメリカの若き一流どころをずらりと揃えて音作りを固めていたのだ。
初シングルの『恋の終列車』はなんと500万枚の売り上げを記録し、続く楽曲もリリースごとに次々とミリオンセラーとなる。

この『モンキーズ』は純然としたミュージシャンとしてではなく、音楽がプロジェクトとして成立するものであるという事実を強烈に思い知らされた。
思春期の私には、ビートルズ以上に色んな意味で夢中になった番組であった。

相当長くなってしまったが、これでも私が紹介したかったこの時代の番組、当初の考えから1/3ほどは削っている…
放送される番組のバリエーションはどんどん広がり、それぞれのジャンルで日本独自の文化も生み出す様になる。
テレビっ子の私も徐々に思春期に入り、その嗜好も漫画やテレビから音楽や異性やファッションへと触手を広げてゆき、テレビ文化一辺倒でもいられなくなってくる…
この辺りで私の記憶の昭和のテレビについては一度筆を置こうと思ったが、この先、どうしても書き残しておきたい番組が2つある。
その2作の番組については、次回の紹介としよう…

昭和であった8 ~特筆したい2つの番組〜 へ…





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