ナイトキャップノベル 1 〜アン・シャーリー 編〜
ナイトキャップノベルは私の習慣である。
従来寝つきはもの凄く良い。
どんなに悩みを抱えていても、場所が変わっても、寝心地の悪い場所でも、『眠れない』ということはほぼない体質なので、ベッドに入り前夜の続きを読み始めても、数ページも辿るともう眠気が襲ってくる...
余命宣告を受けた晩もすんなり眠れた(笑)。
なので私のナイトキャップノベルは一冊を読み終えるのに結構な日数を費やすのだ。
いつも仰向けで読むので、あまり重い単行本でなく、文庫本が良い。
単行本しか手元にない場合(童話が多い)は仕方なく頑張る。
物凄く面白く、少しでもストーリーの先を追いたい場合には、その本は日中の読書の時間に昇格となり、一気に読み切ることになるが、もう一度読み返したいものは再びナイトキャップに戻ってくる。
一度読んだものなので、安心してゆっくりじっくりと読み進められるからだ。
これまで気にはなっていたものの、遂に手に取ることのなかった古典的名作や、思春期や若い頃に夢中になったモーパッサンやゾラ、スタンダール、モームの名作、筒井康隆や星新一などを再読するの良い。
あとは眠気との相談だ。
面白さが勝つか眠気が勝つか... その狭間の感じが丁度いいのだ。
もちろん、疲れていて物凄く眠い時は『昨夜はどこまで読んだんだっけかなあ...』と確認作業くらいで終わってしまう。
物凄く稀に読書中寝落ちすることもあるが、普段は滅多にない。
寝落ちする位なら、その日は最初から読まない。
生前父から言われた...
「どんなに疲れていても、どんなに眠くても、どんなに怒っていても、どんなに楽しくても、どんなに悲しくても、どんなに痛くても、どんなに不安でも、どんなに酔っ払っていても、20%は必ず自分を残しておけ」と。
なので寝落ちすることは滅多にない。
おっと... 話が逸れそうになった...
という訳で、いつの頃からかナイトキャップノベルは私の習慣なのである。
本を読むとそこには必ず『出会い』がある。
出会うのは小説の主人公であったり、作者本人であったりする。
その1つ1つの出会いに触れてみたいと思う...
今回は『アン・シャーリー』である。
モンゴメリー著の『赤毛のアン』は私の世代では女子の読み物とされていて、男性が読むものではないと当たり前の様に思っていた。
ジェンダー意識が現在よりもずっと強かったのだろう。
子供の名作本でも男子は『小公子』を読み、女子は『小公女』を読んでいた。
なので、『赤毛のアン』の存在は知ってはいたが、仲良しの女子の家でパラパラと流し読みしたくらい... あとはテレビアニメでところどころ眺めたことがあるのがせいぜいで、ちゃんと接することは殆ど無かった。
次のナイトキャップに何を読もうか考えていた時に、この『赤毛のアン』をちゃんと読んだことがないことを思い出した。
早速ネットで文庫本を探し出し、読み始めた...
主人公の『アン・シャーリー』に接するにつれ、その天衣無縫な(?)キャラクターに驚愕し夢中になってしまった。
多分、自分がまだ子供だったら、あの女子的な妄想性・楽天性には付いて行けなかっただろう。
私はもうすっかり大人以上になっていたので、この時代にこの斬新なキャラクターを生み出したモンゴメリーという作家に大いに驚かされた。
とんでもない逆境の生い立ちを持つ少女アンは、常に自分の頭の中に楽園を持っている。
どんな逆境にもこの妄想力が彼女の自我を守ってくれる。
暴力の裏側に恐怖感があるように、楽天家の反面は不安症だ。
明るく振る舞う社交的な人物にはその裏側に繊細な不安を抱えている方が多い。
ところがアン・シャーリーの楽天的妄想力はその法則を遥かに凌駕しているのだ。
彼女は決して愛らしく美しい少女ではない。
痩せギスでソバカスだらけで赤毛...どこにでもいる普通の少女だ。
しかし、彼女の妄想の中では常に自分はトップレディー。
しかも現実とのギャップを埋めても有り余る想像力を持っている。
それは彼女の頭脳の回転力の速さに起因している様に思える。
とにかく、ありがちな夢大き少女の枠を遥かに超えているのだ。
周囲の人々や子供達も『この子は頭がおかしいんじゃないか...』と当初は感じるものの、次第に彼女のペースに引き込まれ、頬が緩み、愛情を感じる様になる。
その独特の法則と経緯が超おもしろい!
良くもまあ、こんなに面白い主人公を生み出せたものだと作者モンゴメリーの発想力に感嘆する。
もしかしたら作家自身の自我から生まれたものなのか...そういう要素ももちろんあるだろうが、その膨らませ方が絶妙なのである。
彼女はやがて思春期を迎え、その内面的な自己演出力も手伝ってか、美しい女性に成長する。
教師となり、伴侶を迎え、戦時中は看護師となり、母親となって子供を育ててゆく...
その間にも様々な逆境が彼女を襲うが、アンはその全てを受け入れ、消化し、跳ね返しながら人生を進めていくのだ。
もちろん、本人の成長もあってのことだが、根底にある独自の妄想力は最後まで彼女の人生の支えとなってゆく...
結局私は依存症にかかってしまい、写真にある様にシリーズ全てを読破することになり、何冊かは2度3度と読み返す羽目に陥ってしまった。
私のナイトキャップノベルとしては筆頭に挙げられるシリーズであった。