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私がわたしである理由15

[ 前回の話… ]


第九章 密談の風景


海軍省の正面玄関を出た大通りの向こう側、奥行きのある木造二階建ての建物が仮眠所のある兵舎だった。この兵舎は海軍省詰めの下士官用兵舎だったが、一部は地方からの登省兵や夜勤明けの軍属の為の部屋も用意されていた。潤治と伊東が来舎した時刻には夜勤の警備兵以外は全て任務中で兵舎の中は閑散としていた。引率の下士官が2人を管理人らしき中年の男性に引き渡すと、彼は一階の外れにある小さな宿泊室に2人を案内した。
室内には小さなテーブルが一つと小さな窓、両壁にはそれぞれに木製の寝台と布団が据えられている。

「廊下に出て左奥が便所と洗面所だ。右側一階は兵隊たちの食堂。昼にはわんさと戻って来るからちょっと騒がしいが、兵隊たちは直ぐに任務に戻る。あんたらの食事は別にと聞いてる。兵隊たちが任務に戻ったら用意して声をかけるから。いいね。じゃ、ゆっくり身体を休めなさい」国民服姿の管理人は無表情のまま極く事務的に説明を終え、部屋を出て行った。

伊東は潤治とはそれぞれ反対側の寝台に腰掛け、静かに何かを思案している様だ。
「伊東さん、すみません。大変なことに巻き込んじゃって。でも、お陰で凄く助かりました」潤治が声を掛けると、伊東はおもむろに顔を上げた。
「あ、あの…か、川出さん…昨夜見せてくれた、あ、あの、き、機械を…も、も、もう一度、み、見せて貰えませんか?だ、駄目ですか?」
「そうか…そうですね。ここ、今は人も少なそうだから…ただ、野瀬さんからは、絶対に鞄から出すなと言われてますんで、少しだけ。あ、音は消しておきます」潤治は鞄を持って伊東の隣に座り、パソコンを取り出して膝の上で電源を入れた。

「こ、これは、い、陰極線管ですか?でも…ど、ど、どこから映してるんですか?な、な、何故、こ、こんな薄っぺらい画面に、こ、こんなに綺麗な画像を、う、映せるんですか?」伊東はパソコンのつるりとしたメタリックな躯体から15インチモニターへ顔を近付け、舐める様に視線を這わせる。

「いや、これはブラウン管ではなくて、液晶という全く違う技術なんです。細かいことは今度機会があったらゆっくり話します。取り敢えずそんなに長い時間は、これ出しておくのは危険ですから、この計算機をどんなことに使うかだけ、ざっくり説明しますね」
「あ、は、はい…じ、じ、自分には、ふ、不思議すぎて、訳が分からないんで、よ、よろしくお願いします」

潤治はキーボードと画面上のカーソルを操作しながら、文書、表計算、画像、映像など様々なアプリケーションを立ち上げてゆく。デスクトップの構造についても説明しながら、潤治の時代に人々がコンピュータをどう利用しているのかをできる限り簡略に説明した。電気技師である伊東の興味ははち切れんばかりだった。潤治は次々に浴びせられる伊東からの質問を諌めながら話を進めたが、それでも説明には小一時間も掛かり、無事パソコンを鞄の中に片付けた頃には、そろそろ昼休み時刻に近づいているらしく、扉の向こう側から厨房の慌ただしさが伝わり始めていた。

「あ、あの…いつか…もっと、もっと、は、半導体というものの、お、お、お話を、き、聞かせてくれますか?」伊東が潤治の鞄を名残惜しそうに見詰め、遠慮がちに尋ねる。さすがに伊藤は技術者だ。根本的な技術の発展ポイントを的確に掴んだ質問だ。
「ええ、もちろん、いいですよ。ただ、ここでお話しするのはこの位で。誰かに聞かれたら面倒ですからね。そのうち機会を作りましょう」
「じ、自分は…身寄りも居なくて…か、家族も、亡くしてしまって…も、もう、戦地に、行って、死ぬだけだと、お、思ってたんです。でも、ま、前に、か、川出さんと、あ、会って…じ、自分にも、未来が、あ、あると、あるかもしれないと、お、思える様に、なりました。ふ、不思議な、人だと、お、思っていましたが、今日、そ、その理由が、わ、分かりました。じ、自分は、とても、こ、こ、幸運なんだと…こ、これは、きっと…な、な、何か、お、大きな、力に、じ、じ、自分は、え、選ばれたのかも、し、知れないと…」
生粋の電気技術者である伊東にとっては、潤治が未来人である以上に、この先数十年に及ぶ電子工学技術の発展の道筋を聞かされたことの方が大きな衝撃だった。終戦後、自分が進むべきはっきりとした目標…それを与えられた幸運に、伊東は興奮を抑えられない様子だ...


丁度潤治と伊東が兵舎で遅めの昼食を摂り始めた頃、軍務局の階上の一室の扉を緊張の面持ちで潜ったのは潤治直属の班長山辺中尉だった。山辺が訪れた部屋の扉上には『兵備局第一課・課長室』の札が掲げられている。

「特務の山辺、入りますっ」奥の執務室の扉を開けて、山辺は中に入る。
執務デスク手前の応接テーブルに向かい合っていた2人の男が立ち上がって山辺を迎えた。山辺に比べても決して引けを取らない大柄な体格で、丸刈り頭の初老の将校が軽い敬礼を山辺に返す。

「ご苦労。冴島さえじまくん、軍務・二課の山辺中尉だ」初老の将校は同室の若い憲兵将校らしき男に山辺を紹介する。
「はっ、初めまして。自分は憲兵隊本部の冴島中尉と申します」山辺に対し直立の姿勢で敬礼した冴島は、いかにも憲兵将校に相応しい鋭い眼光の細身で長身の男だった。
「自分は軍務局二課・特務班の山辺と申します。よろしくお願いいたしますっ」山辺も負けじと姿勢を正して敬礼を返した。

「まあまあ、2人ともそこに掛けなさい。今日は内々の相談がある…」課長の石田いしだ大佐は穏やかながら凄みのある口調で話を切り出した。
「山辺くんは何故ここに憲兵隊がいるのか不思議に思っとるだろう?」
「はっ、自分が今調べている省内のことと関係があるのでしょうか…」
「ま、そういうことだな。聞き及んでいるとは思うが、月を明けてこの兵備局は軍務局に併合される。ついては儂は任を解かれることになった」
「大佐殿も軍務局に残られるのではないのですか?では、いよいよ軍令部の方に…」
「いやいや、今はもう進軍体制という戦況ではない。一応軍務局に籍は残すが、任務には当たらず一時待機…つまり、ま、ていのいい隠居だな。いよいよ本土決戦の折には声が掛かるのかも知れんが、特にこのところは省内には戦争終結論も強まっている。ただ儂は今講和を持ち掛けても我が国は降伏せざるを得ないと考えている。降伏となれば、皇国の存続も危うい。山辺くんにも常々話しているが、今我々には敵を押し返す力はない。ただ、昨年の南方戦線以降、米英も深刻な経済危機に陥っているのも事実。どの国も莫大な戦時国債で凌いでいる状態だ。民主国家の弱点はまさにここから先だ。経済の困窮が長引き、民意が反戦に傾けば、彼等は必ず講和を申し入れてくる。それまで敵を本土決戦に引き摺り込んで凌ぐ…我が皇国を守る方法は、もはやこの一手しかないと儂は考えている」
「自分もまさに同感でありますっ」山辺が感に打たれた様子で相槌を打った。

「うむ…だが、儂も間もなく任を解かれる身だ。軍部内の終結論者たちの動きも活発化する今、忸怩じくじたる思いだが、不穏な軍属たちの動きが終戦論者を煽動せしむるのをこのままにしてはいかんと思っている。そこで、日頃懇意にして頂いている憲兵隊本部司令から、内密にその右腕とも言える冴島くんに協力して貰うことになった。ただ、このことは軍幹部もごく一部しか知らん非公認の協力体制だ。ことはくれぐれも秘密裏に進めて欲しい。儂が居なくなった後は、山辺くん、冴島中尉と協力して省内の内偵を進めて欲しい」
「はっ、畏まりましたっ。冴島中尉、どうぞ宜しくお願い致します」
「こちらこそ宜しくお願い致します。何なりとご用命頂きたい。自分の方は司令の了解を得て数名の部下も待機させておりますので」冴島は一切表情を崩すことなく応えた。

「ところで…君が目を付けている、上級軍属の…えー、何と言ったか…」
「野瀬翻訳官でしょうか?」
「そうそう。確か、軍務の日枝中佐と随分懇意にしている様子だが、その後野瀬の動きについては何か変化はあったのか?」
「はっ、実は昨日からの話なのでありますが…」山辺は甲一郎が班に押し込んだ新任の翻訳官・潤治が掴んだ連合国による帝都大空爆の情報について、その経緯を詳細に説明し始めた…

山辺中尉の説明を聞き終えた石田大佐は、少しの間椅子の背もたれに背を預け腕を組み目を閉じて考えを巡らせている様子だったが、やがてゆっくり目を開くと静かな口調で山辺に語りかけた。
「山辺君...それはまずいな...非常にまずい...君はどう考えたのかね?」
「はっ、マリアナ、パラオの南方基地が奪われて、いよいよ敵は爆撃機を集結させていることは確かであります。本土空爆も大規模化してくるのは必然かと...ただこれまでは我が軍の高射砲もある程度は迎撃効果を上げていますので、敵もそうそう迂闊にはいきなり大編隊を送り込むことはないのかもと...」
「ふん...確かにこの戦局では大規模な空襲がいつあっても不思議はないだろう。だが…儂の憂いはもはや戦局ではない。本土八千万の国民の戦意だ。敵も必死。民間人の被害が拡大することは止むを得んが、問題はそれによって敵に背を向ける風潮が広まることだ。本土決戦ともなれば、一千万、二千万の犠牲は覚悟しなければならん。敵軍を上陸させ、長期戦に持ち込み、徹底的に疲弊せしむることが肝要だ。そう思わんか?」
「はっ、おっしゃる通りですが、このところの各地への空襲の影響か、民間の中にも軍部への不満分子が増え始めている様で、我々も取り締まりに力を注いでおります」憲兵将校の冴島が無表情のまま賛意を示す。
「軍務局内にも軍令部でさえも、終結論者は増えてきている...これが民間の世論に広まってしまうことが、最も恐れるべきことだ。軍内部と世論…儂はそこを繋ぐのは、予備将校と軍属、特に中枢に関与する軍属には充分に目を光らせるべきだと思う。山辺中尉からの報告によれば、軍務二課の日枝中佐、直属の予備将校小野少尉、翻訳官の野瀬は要注意だ。もちろん日枝の後ろには軍令部の将官が付いていることは明らかだ。山辺中尉、心当たりはあるか?」
「は、これはまだ憶測でありますが、日枝中佐殿は元大本営の大森中将殿と比較的頻繁に面談されている様であります」
「大森中将か…あの方は陛下の信任も厚い…いよいようかうかしてられん…軍務局内の終戦論の芽は早々に潰しておかねばなるまい。山辺君には引き続き省内での日枝中佐一派の動きを注視して貰うとして、冴島君には軍属の野瀬の外での動きに注意して欲しいのだ。もしも不穏な行動があれば、直ちに連行、あるいは排除しても構わん。容疑は漏えいでも騒擾そうじょうでも陰謀でも何でも構わん。何らかの容疑が浮上したら、直ちにだ。どうだ…」
「はっ、直ちに人員を配置いたします」


「…これは、確かな情報なのかね?それともまだ憶測の範疇なのかね?」
日枝中佐と甲一郎は軍令部の一室で白髪を整えた老齢の将官の前にいた。
中背の大森中将は細身で、まるで学者の様に知的で穏やかな物腰の人物。日枝から渡された報告書に目を通し、落ち着いた表情で尋ねた。
「は…傍受内容はそこに記録された通りであります。詳しくは翻訳官の野瀬から…野瀬さん、ええか?」
「はい。実際に傍受に当たったのは新任の川出翻訳助手です。彼によれば、ある部分は確かですが、ある部分は推測であります。3月9日までにマリアナ地域におよそ300機の出撃準備が進められていることは確かでありますが、10日未明の空襲時期と爆撃目標が帝都であるかどうかは、あくまでも推測ということです」
「傍受は基地の兵士同士の雑談から得たものですから、時期と目標についてまでは詳しくは分からんのですわ」
「これは…いよいよ大きな局面になるな…日枝君、このことは軍務局内ではどの位の人間が知っておるのかね?」
「傍受は昨夜ですよって、自分の課員と…ただ、山辺が兵備の石田大佐殿と懇意にしておりますので、その筋にはもう既に伝わっているかも知れません…」
「そうか…急ぎ軍令部として対応を擦り合わせねばならんな…早速陛下にもお伺いを立てなければ…」
「急を要しますんで、宜しくお願い致します。軍務局の方は如何したら、よろしおますやろか?」
「それは私の方で考える。一両日の間は、局内でこの話はなるべく控えて貰えるか?陛下は…被害が民間人に及ぶことにことの外御心を傷めていらっしゃる。もしも、大規模な空襲が現実となった場合は、間違いなく大きな局面となるだろう…もちろん傍受の方はこのまま続けて、何か新たな情報が掴めたら、直ちに報告してくれ」
「はっ」
「わかりました」

大森中将は甲一郎に視線を移す。
「もう1つ、野瀬さん」
「何でしょうか?」
「知っての通り、儂や日枝の様な終戦論者はまだ多数派とは言えないが、これから戦局がいよいよ悪化すれば、近々体制も変わるだろう。ただ、そうなると戦争継続論者たちは躍起となって我々を潰しにかかると思う。我々はともかく、あなたの様な軍属の方も、常に身の回りに危険があると覚悟して頂きたい」
「もちろん、それは覚悟しております」甲一郎は神妙な面持ちで大森を直視する。
「ついては頼みがあるのだが…孫の川出誠治には危険が及ばぬ様に、この件には深く立ち入らぬ様に気を配って頂けないだろうか。何しろ誠治はまだ中学生で、娘も大変心配していてな…」
「はい、確かに承りました。助手の川出の方にもきちんと伝えておきます」
「くれぐれも、宜しく、頼む…」
老中将は深く頭を下げた…


つづく…



この小説では、さる7月7日に急逝されたイラストレーターのTAIZO デラ・スミス氏に表紙イラストを提供して頂いております。
本編掲載中は氏のイラストを使わせて頂くことと致します。
故TAIZO氏のProfile 作品紹介は…






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