エッセー 「交通警察官の評価方式は検挙実績ではなく、事故が発生するたびに減点する「減点方式」にすべきだ!」
交通警察官の取締り方法についてはいろいろと思うところがあるが、特に不満なのは、隠れていてこちらのミスを誘発してから摘発するやり方。「知ってんだったら、先に教えてよ!」と言いたくなる。
まあ、もっとも、こちらにも非はある。交通規則という"法律"に違反するからだ。法律はもちろん順守すべきだ。ただ、許せないのは、現在設定されている速度制限は、明らかに現状の道路事情とクルマ事情とはマッチしていない。実態とは大きく乖離しているのだ。
この問題について交通警察は、公安委員会など必要な部署に速度制限を高くするための具申をすべきだが、自分たちの責任逃れなのか、それとも違反を誘発しやすくするために意図的に制限速度を低く保っているのか、そのままの状態だ。なにしろ、好きな時にいつでもその気になれば"集金"ができるのだから、これは便利だろう。
ところで、現在、交通警察官は「どれだけ違反者を検挙したか」によって評価されているが、このシステムは抜本的に変える必要がある。この方法では、将来もし、誰も交通違反をしなくなったら、本当に、警察官の評価はできなくなるからだ。そうなると、何がなんでも成績を上げて昇進しなければならない警察官たちは、ますます必死に、善良な納税者を陥れるような"おとり捜査的な取締り"に血道をあげることになるだろう。
交差点で正しく停止線手前で停止するクルマはここのところ少ない。都心では特にそうだ。今は目をつぶっていて特に取締りはないが、交通違反者が少なくなった"その時"が来たら、停止線をほんの少しオーバーしただけで取締りの対象になるかも知れない。その気になればいくらでも口実を設けることはできる。そうなると、考えただけでも恐ろしい警察国家の誕生になる。
そこで、だ。現在の取締り検挙実績ではなく、事故発生のたびに減点する、「減点主義」にするのはどうだろう。何も事故がなく、市民からの苦情もない時に交通警官たちは100点評価され、事故があるたびに全員減点される、というシステムに、警察を管轄している行政は変更すればいいのだ。そうすれば、事故そのものを無くさないと彼らの生活が脅かされるから、必死で無事故対策に知恵を絞る。
この不況で苦しい世の中、必死でがんばって新製品を売り出そうとしている世間の企業体と同じだ。自分たちの生活がかかっているのだから、今までのように、安全運転しているクルマの意味のないスピード違反を隠れて捕まえたりしている暇はない。そんな時間があったら、事故の多発する交差点に出かけて、信号無視や一時停止違反をしそうなクルマに注意を与える。特に一時停止違反に対しては厳しく指導もするし、取締りもする。酔っぱらい運転の取締りもしっかりやって、酩酊して危険な運転をしないよう目を光らせる・・・。
このように、本当に事故に直結する違反の指導や取締りを行うようになるだろう。そして、ドライバーからの苦情により、正しい、実態に応じた速度制限が設定され、納税者が意味もなく犯罪者になることのない、合理的で安全な"交通社会"が実現するのだ。