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日本車のヴィンテージ・イヤー
自動車の排気ガスによる環境問題と、二度のオイルショックによるガソリン価格の急騰により、世界のマーケットから、低価格で高品質な日本車が評価され、特にアメリカのビック3が苦境に立たされた1980年代の話である。
ヴィンテージイヤーは、米国貿易保護と超円高から
当時のアメリカの主要産業は、自動車産業であった。GM・フォード・クライスラーの通称ビックスリーの苦境はすなわち、アメリカ経済の苦境であった。
そんな状況下、アメリカは保護主義的様相を強めており、日本車を排斥する動きも強くなっていた。
1980年ごろより日本の自動車メーカーは、現地生産に乗り出し始め、翌年の1981年には、輸出車数を制限する自主規制を行うに至った。
その内容は、1980年の輸出台数182万台から14万台減らした、168万台という輸出枠を設定することだった。年々、若干台数が拡大して最終的には230万台になったほどだった。
そして、1985年、当時のG7でのプラザ合意を以て、日本は超円高時代に突入。
すると、国内生産で小型乗用車を作り、輸出するというビジネスモデルが成り立たなくなった。
そのため、日本のビックスリーである、トヨタ・日産・ホンダはもちろんだが、クライスラーと提携していた三菱自動車や、フォードと提携していたマツダも現地生産を開始。スバル・いすゞは合弁で工場を作り、軽自動車メインのダイハツとスズキを除く、日本の自動車が現地生産を開始するに至る。
(現地生産台数が輸出台数を超えた、1993年に自主規制は消滅)
だが、国内で生産していた230万台分の工場稼働をどうするかが、新たな課題となっていた。
課題解決策として推し進めたのが、高級車やスポーツカーのプロジェクトであった。
高級車ブランドか、スポーツカーか?
1988年にトヨタがレクサスブランドを、日産がインフィニティブランドを立ち上げ、翌1989年にそれぞれ、その国内版であるトヨタ・セルシオと日産・インフィニティQ45を国内販売するに至る。
レクサスLS400(トヨタセルシオ)
日産インフィニティQ45
ホンダは、高級ブランドであるアキュラを1986年に立ち上げ、そのフラッグシップとして、レジェンドを展開していたが、なかなか高級車市場はハードルが高い。
ホンダ・レジェンド(初代)
起死回生の一台として、NSXという、日本初のスーパースポーツが1989年にデビューした。
当時、フォーミュラー1(F1)の常勝であったホンダは、そのイメージを生かし、スーパースポーツをアキュラブランドの頂点に据えることで、ブランドイメージの強化を図った。
NSXは、フェラーリやランボルギーニ、ポルシェなどの海外競合車にとって脅威であった。日本の生産技術・製品品質で、壊れにくい、タフなスーパースポーツということと、F1のホンダのテクノロジーの結晶であった。
競合車が「品質」や、「耐久性」の向上など、対NSX対策を行わないといけなくなるなど、世界のスーパースポーツ史上に残る一台となった。
ホンダ・NSX
マツダは、当時絶滅危惧種であったオープンスポーツカーである、ロードスターを、これまた1989年に発売開始した。
マツダも、RX-7のイメージが強く、スポーツイメージが強いが、ロータリーエンジンは燃費が悪く、普通のレシプロエンジンでのスポーツ車というのも新鮮だった。
マツダは、北米よりもヨーロッパやオーストラリアでの支持が強く、特にヨーロッパ市場のイメージリーダーおよび、環境性能が問われだした北米で台数を稼ぐことを狙って、開発されたらしい。
日産は、なぜか国内専用車のスカイラインに、久々のGT-Rを復活させた。
他社なら、スカイラインを国際商品にするために、GT-Rを復活させると思うが、スカイラインシリーズのイメージリーダーとして、そして国内のモータスポーツでイニシアティブをとるため、という古来からのスカイラインの文脈の為だけに復活したのが、面白いところである。
が、のちに経営危機を迎え、ゴーンがやってきて、一番気に入ったのが、GT-Rであり、今は国際商品として日産ブランドの高級スポーツの一役を担う存在になっているのが、不思議なところである。
日産スカイライン GT-R(R32)
そして、スバルの富士重工からは、アッパーミドルクラスに進出するべく、すべてがおニューである、スバル・レガシィが登場し、ワゴン車ブームを作った。
スバルレガシィ(初代)
こんなに、日本から名車が登場した年は、空前絶後であろう。
ヴィンテージ・イヤーの頂点
そんな記念すべき年となった、1989年の日本カー・オブ・ザ・イヤーを勝ち取ったのは、その名も「頂点」を意味する、トヨタ・セルシオであった。
このクルマの偉大さと言えば、ロールスロイスが世界一高級と言われるようになった、同社のシルバーゴーストと共通する。
「世界一静かな高級車」が、そのキーワードである。
静かなクルマは、高級の証であるとした、シルバーゴーストの古典にしたがい、トヨタはセルシオを開発するにあたり、「源流対策」を徹底的にやった。
・風切り音が出ることは、つまり空気抵抗が悪い。
・メカニカルノイズが出ているということは、エンジンやトランスミッションの精度が甘いか、サスペンションを含むボディー剛性の弱さがある。
etc.
そんな要領で、すべてを見直し、徹底的に静かなクルマを作った。
だれでもわかる高級性能だが、マネするのは結構ハードルが高いらしく、ドイツのメルセデス・ベンツにBMW、アメリカのキャデラック、英国のジャガーといった欧米を代表する高級車メーカーに激震が走った。
特にメルセデス・ベンツのEクラスの売り上げは、大きく落ち込んだ。
大きな影響を受けた、メルセデスベンツEクラス(W124)
そのため、かなり思い切って、変化をしたため、古くからのメルセデスベンツユーザーは、大いに嘆いたようだ。まあ、生き残るという文脈で、やむを得ないものだったのだろう。
一方日産が、Q45のグリルレスの高級車は、革新的でしょう?と市場に説いても、なかなか理解されかった。
自動車は20世紀の恋人
21世紀にはいると、テクノロジーの進化により、人々のコミュニケーションが電子化されてきた。
いまやコロナ禍で、オフラインでのコミュニケーションが逆に珍しいものとなったが、20世紀はフェイス・トゥー・フェイス(オフライン)コミュニケーションが何よりも大事なことだった。
ほしいものに出会うため、会いたい人に出会うため、恋する人との会話のため、素敵な景色に出会う…そのための最も便利なツールは、自動車だった。
だから、自動車はまさに、20世紀(という時代)の恋人だった。
日本人にとって、最後の20世紀の恋人が、この年のクルマであったような気がするのである。
いま、この当時の日本車が、世界で値上がりしているんだという。
まさに、ビンテージ・カーになった。