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嫌われる勇気と自分である価値

 ども、一週間ぶりです!
 バリュー・リノベーションズ・さの(VRS)が一般社団法人になってから、色々な手続きの変更に追われていて、なかなか次の展開が打ち出せていません💦
 それよりなにより、肝心のことも全く手つかず状態で、まずはそこから手を付けていかないといけない今日この頃です💦💦
 新制VRSは、おかげさまで、行政より3つの委託を受ける予定になっておりまして、これに「SHARE BASE つむぎや」と「つむぎやAmenity」の利用料とで、4月以降も継続して事業が続けられる見込みです。
 ほんと~にありがたいお話です!
 一般社団法人になって、有料noteはいったん休止しましたが、このnoteも終わるのではと、ちまたでは噂されていますが・・・

ノーコメント

でお願いします(笑)
 正直なところ、今の段階では続けるとも、辞めるとも言いがたい状況です。
 手付かずの肝心なことの中のメニューに、このnoteを続けるかということも入っていまして、その協議が整ってから、次週以降のnoteを続けるか決めさせていただきます。

 さて、こちらのnoteですが、最近「スキ」が減ってきており、読者離れが進んでいるのかなと思っていたところ、結構、見ていただいてる方がいてくださって、その方に感想を聞きましたら、「読んでいるんだけど、なかなか辛辣しんらつな表現があって、「スキ」をしにくいんだよね~」と言われちゃいました💦

でも

これには理由わけあってしているわけでして、もしかすると今回で最後になるかもしれませんので、その理由をカミングアウトさせていただきます!

キツイことを言って嫌がられている様子(イメージ)

◆世界観を変えるひと言

 もともと大阪南部から和歌山にかけては口は悪いので有名な地域で、そこで生まれ育った私としましては、その環境に馴染んでいたので、口は悪いほうです(笑)

が、

輪をかけて口が悪くなったのは、きっかけがあります。

それは

VRSが活動を始めて1年も経たない頃、VRSと同じく大阪泉佐野市で活動している団体の活動に頭打ち感があり、このままだと行政からの支援が打ち切られる状況まで陥っていたことから、その建て直しを行政が民間事業者に委託していました。
 その業務の一環で、カンフル剤となる人を呼んで、マインドを引き上げていこうということで、人選をしていただいたのですが、民間事業者から提案のあった人は、あまり著名でもなく、またやっていることは建て直しをする団体とフィールドが異なる分野で活動されている人で、「こういう人で伝わるのか?」と言ったところ、「結構活躍はしています」と一点張り。
 「何をその団体に伝えようとしているのか?」と詰め寄ったところ、「そこまでの委託料をいただいていないので、このくらいのレベルになってしまいます」と開き直る次第。
 あきれ果てて、こちらが人選したところ、「そのくらいの金額となると、こちらでは出せません」と、さらに開き直る次第。。
 やむを得ず、VRSの予算が多少余る見込みだったこともあって、「こちらも負担するので、この人と調整してください!」と言い切り、呼んだのが、「狂犬」木下斉さんです。
 以前に本を読ませていただき、何を主眼に置いて取り組めばいいのかとかの内容がわかりやすく、歯に衣着せぬ言いっぷりも気に入ったのもあり、2回ほど講演会にも参加させていただいたこともありまして、講演会も著書以上にわかりやすくお話をされていて、「すごい人だな~」と感じたものでした。
 いつか、この人に来ていただければなぁ~とぼんやりと考えてはいたのですが、まさか実際に来てもらう日が来るなんて、その時はこれっぽちも考えていませんでした。
 とは言うものの、委託事業者が全くやる気ナッシングのため、VRS側もお金を出している手前、人選をこちら主導でし、やりとりも含めてVRSが中心になってさせていただきました。
 VRSとしても、そもそも他の団体のために使う予算を行政から支援してもらっているわけではないので、その理屈が立つように考え、VRSの活動のアドバイスもメニューに含めて木下さんにお願いしました。
 その時の講演会の案内で使ったチラシが下のものです。

稼ぐまちが地方を変える@泉佐野(催しは終了しています

 ちょうどコロナ禍による緊急事態宣言が発令された直後だったので、オンラインで講演会を開催することになりました。
 その講演会前に、VRSとその団体をアドバイスしていただく時間をいただき、最初にVRSが木下さんとオンラインで面談をし、VRSの活動を紹介させていただいたところ、木下さんからひと言

「いい人になりたいんですか?」

と言われました。
 当時のVRSはまだ講演会と、まちやど実践ワークショップに関わった程度で、活動から大した実績につながっていなかったこともあり、このひと言はさすがに刺さりましたね💦
 結局1時間くらい時間をいただきましたが、言葉の重みに圧倒されるばかり・・・
 まだまだ自分たちが未熟であることを痛感させられた瞬間でした。

 後日談として、木下さんからプロジェクトマネージャーとして関わってもいいというお話をいただきましたが(こちらは頼んではないのですが💦)、自分たちがまだまだそのレベルに達していないことを痛感したことや、その当時、VRSには嶋田洋平さんがアドバイザーで関わっていただいていたので、2人から指導を仰ぐと、それぞれのニュアンスや考え方が違うことから、VRS自体、バラバラになりかねないと考え、今は嶋田さんに関わってもらうべきだと判断し、失礼ながら「しばらく考えてお返事します」と残し、返事を返さずにそのままになっています。
 たぶん、木下さんは二度と関わってもらえないでしょうねw

◆いい人になることの弊害

 今から20年以上前に発表された「みんないい子」という歌に、こんなフレーズがあります。

愛される事ばかり期待するその前に
忘れていないよね
君が自分であることを

みんないい子(作詞:桑田佳祐)

 愛されること(=他人の評価を求めること)を期待して、無理に自分をつくってしまう人って、自分の周りでも多いのですが、えて嫌われることを、率先して言う必要はないものの、かと言って全ての人にいい顔もする必要もないのです。
 確かに人に、本当のことであっても嫌なことを言うことは、心苦しいです。
 でも、自分の気持ちに反して、いい人になっても、自分の気持ちがしんどくなるだけです。
 ましてや、自分の気持ちに反していい人になって、それが他の人から評価されても、本当の自分ではない部分を評価されているわけですから、嬉しくともなんともないのです。
 加えて、いい人になってばかりいて、しんどくなって本当の自分をさらけ出した瞬間、人は去っていったりします。

そう

芥川龍之介の作品「杜子春」の主人公がお金のある時は人が寄ってきて、お金が無くなった瞬間にクモの子を散らすように去っていく、そんなような感じです。

 無理して自分をつくって、仮面をかぶった自分が評価されて、その評価を維持するために、ずっと仮面をかぶったまま生活をいられることになる、

そういう人生ってしんどくないですか?

仮面をかぶっている人生

 それであれば、本当の自分をさらけ出して、本当の自分を認めてくれる人と一緒に活動するほうが、ずっと楽ですし、よりいいものが創りだせると思います。

 前回のnoteでも言いましたが、誰とやるかが大切なのであります。

 周りの評価が欲しいがために、無理していい人になって、結果的にどうでもいい人になってしまうのがオチなのです。

◆いい人になったとしても

 人に嫌われたくないという思いから、無理していい人になったところで、周りからは、いいように利用されるだけです。
 いい人になったとしても、周りの人が、そんなあなたを最後まで守ってくれるのでしょうか?
 親ですら、自分の子どもを一生面倒見ることができないのに、他人がいい人であるあなたを最後まで面倒見てくれるのでしょうか?

それはほぼ無いです

 その時限りの心配はしてくれ、その場ではいいことを言って慰めてくれるかもしれませんが、本当に困った時に、多少は手を差し伸べてくれることはあっても、それは自分に余裕のある範囲までです。
 それより、自分のことを悪く思われても、親身になってあなたのことを注意してくれる人こそ、大事な人だと思います。
 確かに、その時は頭にきて腹が立つでしょうが、冷静になって考えてみれば、自分ができていないからその人は注意してくれているのだと気づくはずです。
 確かに、自分の価値観を押し付けるために、𠮟りつけるハラスメント野郎はいてますが、そんな人でないなら、あなたの存在に価値を認め、そしてあなたに期待しているからこそ、敢えて悪人を買って出てきてくれている貴重な存在なのです。

心を鬼にして叱っている様子(イメージ)

そういうことを長い人生経験で周りの人から教えていただきました。

◆捨てる神あれば拾う神あり

 ここまで言っても、人に嫌われたくないと思ってしまう人も、まだまだいてると思います。
 ここからは実体験に基づくお話です。
 ここまで辛辣な言葉を発しているにも関わらず、自分の周囲にはそこまで人が少ないわけでもないです。(もちろん多くはないですがwww)
 よく人から言われる言葉があります。

「こいつは口は悪いけど、筋だけは通っているんだよね」

 口は悪いことは認めますwww
 筋が通っているかどうかはわかりませんが、自分の中でルールは決めています。

自分が決めたり判断したりすることには、ブレないこと

 ブレると人から突っ込まれるだけです。そうなると単に口が悪いだけでなく、頭も悪いと思われても仕方ないです(あっ、また口が悪くなっちゃいました💦)

 自分自身の筋を通しておけば、他から突っ込まれた場合でも自分の意見が言えるのです。
 正しい判断ができているかどうかはわかりませんが、正しい判断ができるよう、できるだけ色んな情報を仕入れたり本を読んだり、色々な人と話をする機会を作ったりしています。
 そのことでいろんな情報と表現力が身につけられるのです。

 誤解のないように言っておきますが、人を外見で判断したりはしませんし、それぞれの人の持つ可能性を信じています。
 ですので、その人を第一印象だけでダメな人と思うことはないです。
 ただ、話をしていくうちに自分とは合わないなと思うシーンは何度もあります。
 まぁ、こういう言い方をしているうちに、関わってもらいたくない人が近寄って来ないという利点もあるので、無駄な口論を避ける予防線にもつながりますw

量より質を大切にしましょう!

量より質(イメージ)

◆まちづくりも同じ

 いい人になろうとして、無理して仮面をかぶるのはしんどいのと同じように、その地域の良さがあるのに、どこにでもあるようなまちにしてしまうと、その地域の良さを失い、失敗している事例はたくさんあります。
 いいまちとは、その地域でしかない財産(=資源)をどう活かしたまちづくりをするかということです。
 他の地域でもあるようなまちにしてしまうと、便利さだけでしか選ばれない残念なまちになってしまします。
 数にこだわるのではなく、質にこだわることが、人口減少化社会に突入した時代には必要なのではないでしょうか?
 それは、まちだけでなく、商売もそう、そして人付き合いもそうだと思います。
 見た目だけで判断する人は、その価値をわかっていないだけです。

見た目で判断する(イメージ)

 そういう人と付き合うのも時間の無駄だと思います。
 もちろん、自分(=人orまちor仕事)の価値を伝えていくことは必要です。そのためには自分の価値観を伝えてわかってもらえる人とつながっておく必要はあります。
 この努力をしても、その価値を伝えてもわかってもらえない人は、そもそも自分とは合わない人なので、敢えて関わっていく必要がないのです。 

◆最後に

 こういうことをモットーに、今までnoteを書かせていただきました。
 確かに昔は「いい人」になろうと無理して、自分がしんどくなった時期があったからこそ、人の評価を気にすることを辞め、自分の人生は、自分の信念をもって活動しようと思ったから、今につながっています。
 先ほど紹介しました「みんないい子」の歌詞のように、「自分であることを」忘れてはいけません。
 何回かこのnoteでもお話していますが、「スキ」の数にはこだわっていないのは、そういうところです。
 たとえ「スキ」をしてくれたとしても、次のアクションにつながっていなければ、その「スキ」の数を自分で評価するだけの自己満足だけで終わってしまっているのであって、次のアクションにつながって初めて「成果」と呼べるのです。
 この信念をもって、新制VRSは活動を続けていきます。
 よろしくお願いします。<(_ _)>

◆お知らせ

 冒頭でお話しましたが、泉佐野市から「佐野まちライブラリー」の運営をVRSでお手伝いさせていただくことになりましたが、来る4月16日(土)9時30分にオープンすることになりましたので、ぜひお越しください!

佐野まちライブラリーOPEN(チラシ)

 それと、この佐野まちライブラリーの運営のお手伝いをしていただけるスタッフも募集中ですので、ご興味のある方は下記より諸条件をご確認の上、応募をお待ちしております。


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