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【#一日一題 木曜更新】阿保がいいね
山陽新聞の「一日一題」が大好きな岡山在住の人間が、勝手に自分の「一日一題」を新聞と同様800字程度で書き、週に1度木曜日に更新します。
「それは誠」という青春小説がある。修学旅行の行程を抜け出して、東京の叔父に会いに行こうとする高校生の話だ。班分けで一緒になったクラスメイトを「妙なメンバー」と言ったり、だけど共犯者になることで次第に打ち解けていったりと、冒険とまではいかないけどある種のワルイコトの共有の中でうまれる、人の機微が書かれた物語。
SNS知人が子の修学旅行に物申していた。結果的に「修学旅行のような同調圧力ではなく、有意義な旅行をさせる。そちらにお金を使う。無理して人に合わせて興味のない京都奈良になんて行ってお金と寿命を奪われるなんて。人生は有限」。ほほう。そして行先は子どもの意志で「大好きな東京の友達とディズニーランド」だそう。
価値観で片づけてしまえばそれまでなのだが、なんなんだろうこのもやもやは。クラスメイトと行く修学旅行、行けば楽しいよぜったい? 京都奈良の歴史あり神社仏閣、修学旅行ででも行かないと一生行かない人もいるよきっと? 修学旅行という学校行事でやっと旅行ができるような経済状態の家庭があるのよ知ってる? いや、どれも正論だけどもなにか違う。
阿呆さが足りないのだ。
合理的で、理知的で、とても賢いのだ。損をすることもなく、あやうい橋を渡ることもなく、正しく安全にお金を使ってディズニーランドへ行くのだ。
そういや私は、修学旅行先の京都で映画村の行程を抜け出して友人と古着屋とコーヒー屋へ行ったっけ。友人は雑誌に載っていた店で517を買うと張り切り、私はたっぷりお小遣いを持たせてくれたおばあちゃんに大好きなコーヒー豆を、ちょっとよい豆を買うつもりでワクワクした。ばあちゃん子だったのさ。で、夕方、ほくほくしてホテルに帰ったら担任が玄関で仁王立ちしていて、えらい怒られました。そりゃあもうかなり。携帯電話もない時代。当たり前である。
ある友人は、修学旅行そのものに行かない!と親にも言わず担任に直談判したという。その理由が、「三年生のクラス分けで、仲よしグループから自分だけが違うクラスになったから」。でも結局行ったらめちゃくちゃ楽しくて、写ルンですの写真がたくさん残ってて。しかもそこまでこだわっていた仲良しグループとは修学旅行中に喧嘩をしてもう何がなんだか、と笑っていた。
世間を知らないからこその、無知であるからこその阿呆な行動。そこから生まれる機微(機微か?)を味わえるのも、子どものうちだけ。人生は有限(おおわらい)。
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