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一冊の本で、休憩しよう

写真は、小中ぽこさんのエッセイ集。私の大好物の淡々とした日常エッセイで、しかもおいしいモノのエピソードがたくさん。ああ、落ち着く。

「え!お母さんの友達なの?友達の人が本を出したの?」

「この本なあに?」と聞かれて「お母さんの知り合いが書いた本」と答えたら、娘が目を輝かせてこう言った。すごいねすごいねとページをペラペラめくる。
実際には「友達」と言っては申し訳ない。noteオフ会で二度お会いしてお話をしただけ。でも、娘の様子を眺めていたら長々と否定するのも野暮なので便宜上そうしてしまった。ぽこさん、すみません。またどこかで、お茶を飲みましょうね。


紙の本は、やはり存在感がある。


まずは表紙をながめてふむふむと頷く
ウラスジを読んで、本文に期待を寄せる
表紙写真のセレクトに想いを馳せ
タイトルのフォントにこうきたかとニマニマして
絶妙な文字間や行間、レイアウトに膝を打つ
そしていよいよ表紙
光沢のある、その紙をめくる時のわくわく感

「 それでも日々はまわる  小中ぽこ 」
見返しをながめてほぅ…となる。

1枚めくり、「目次」の文字にちょっとどきどきした。「縦書き」だ。

縦書きはいい、やっぱり。
やわらかめの明朝体。このフォントなんだっけ。

本文のページを開き目に飛び込んできた文字を見て、「あー」と小さく声がもれた。


段落の一字下げが美しい。


もうずいぶん長いこと、一字下げが必須の仕事をしてない。クライアントにもよるけれど、webの横書きのテキストにはさほど一字下げが重視されない。かえって読みにくくなる場合があるからだ。

ぽこさんの文章をnoteマガジンではずーっと横書きで読んでいたので、縦書きの形が新鮮だ。推敲は重ねているだろうけど、基本的には同じ文章のはずなのに、趣が違う。読者の受け止め方が違う。

これはもう、noteの文章ではない。


くう……(感動している


一冊の紙の本。
本文を読みに入るまでにこの手間である。感情の起伏が忙しい。あえて言うなら、noteでは得られないこの時間。紙に印刷された文字は、とても目で追いやすい。「読む」が能動的になる気がするのだ。

画面の向こうにある文字は、いつだって私を急かしてくる。おそらく、エッセイであれ小説であれ、それは読み物ではなく「情報」に姿を変えているからだ。

読まなきゃ。読まなきゃ。読まなきゃ。

面白かったらシェアしたい。
楽しんだら感想を伝えたい。
読んだよ!ってお知らせしたい。
世の中の皆に、こんな興味深い話があるよって知らしめたい。

なんだこりゃ。
なぜ私は「読むこと」にこんなに支配されているんだろう。いや、違うな。「読んだ自分」を他人に知らせたかったのかもしれない。

ちょっと休憩しよう。ぽこさんの本で。


紙の本は決して私を急かさない。
手に取ってくれたら嬉しいねと、ただ、そこにあるだけ。

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