阿部謹也『北の街にて』
「第3章 ヨーロッパ中世遠望」をななめ読み。
阿部先生は、その後東京に戻り、『ハーメルンの笛吹き男』で注目され、
一橋大学教授、同学長、共立女子大学学長などを歴任されるが、
大学院を出て最初に得た職は、小樽商科大学講師だった。
その、若き日々の思い出が書かれている。
他の章もそうだけど、人々の人間関係が密だ。
院生だった阿部先生は、懇意の教授の家を大みそかに訪ねて、
10時間以上、お正月になるまで話し込み、
教授夫人に怒られて、ようやく帰ったそうだ。
小樽でも、公私の境なく、同僚の先生たちと、
何時間にもわたってお酒を飲んだり話し込んだりしている。
組合活動も盛んで、ストにでた教員が給与カットにあったりしている。
教員宿舎に、朝まで飲んだ学生がやってきて、
挨拶して帰ってゆく。
濃厚な、昭和の時代、といったところか。
一方、研究では阿部先生はとてもストイックで勤勉で、
毎日朝早くから研究室に行って勉強し、
一度夕食に宿舎に戻った後、
ふたたび大学に行って勉強されている。
ドイツに直接手紙を書いて、
書籍や資料を送ってもらい、
それらを研究室に広げて、
中世ドイツの人々の生活がどんな風だったか
一生懸命想像されている。
文面にははっきり出てこないけど、
中央から、学会から、取り残されてしまう
という思いはあったのだろうか。
あったかもしれないが、
いま目の前にある研究上の問題に、
けんめいに取り組んでらっしゃったように見える。
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