見出し画像

キャリアに違和感がある(て中で半生を語ってしまった..)

キャリアに違和感がある。
この「やまだくにあき」という人物と全く同じスペックの人がいたとして、僕よりキラキラなキャリアを作れる人はいないんじゃないかというくらいには違和感がある(ただし今後は全然超えられそう)。

思い返せばキャリア的なものを「自分で選んだ!」と思える最初は、高校受験。当時中学校がいやでいやでいやでいやで、教室のスミで空ばかり見てたとき、当時唯一好きだった担任の先生に「やまだは目が死んでるな」と言われ、目が死ぬのは目標がないからだとその地域で一番難しいとされる高専の過去問を渡された。パラパラ見てみるとちょっと解けそうなものとかあって、解いてみるとできるものやできないものがあって、できないものがあるとどうやるのか気になって、、と過去問を結局5年分ずっとやってた。多分外見るよりは楽しかったんだと思う。

でもこの頃成績というやつは、5教科で300点くらい。全部できずに100点台からの大逆転とかの方がドラマチックなんだけど、この微妙な感じ。らしいといえばらしい。数学と国語(漢字以外)だけはなんかできた。過去問やってもそこまで上がらず、ただ同じ問題が出たら解けるようになってきたらいっちょやってみるかと勉強を開始。当時、何かの漫画で「量をこなせ、いつか質に変わる」みたいな話をみて限界までやってみるかと一日八時間勉強をしてみた。できたけど死ぬほどくたびれて、こんだけやってるのは自分だけだろうという自信みたいなのを手に入れた。

でも全然違って、デフォルトでこんだけやってる人もいて、世界の広さを知った。というかクラスで成績いい子が当たり前にこんだけやってるのに密かに感動した。すごいなぁと。なんかこの頃から結果とかよりも、自分ならしんどくて投げ出しそうになってることを淡々とやりつつ、それでも普通にしてるって人がかっこいいという価値観生まれた気がする。

八時間、自分にとっては未知のチャレンジを終えた後、家庭内でも反抗期真っ只中だったが、疲れて、熱出して、頼って、ちょっとずつ家庭環境も修復されてきた。お小遣いもいらねーよ!的に新聞配達のバイトをして、なんでも自分でできるって思ってたところから、自分だけだとこれは無理だぞ?と思ったんだと思う。なんとか生き残るために、環境の改善に努め始めました。

そうして無事合格したんですが、別になんというか憧れて入ったわけでもなんでもないので、「プロトコル?」状態なわけです。もちろんインターネット自体は楽しかったし、その頃一番「インターネット」が来る感じの空気感。その中にいたのは知的に面白かった。同級生からすごいエンジニアとかいっぱい生まれてるし。ただ、まぁそこにそんなに興味も持てず、当時身につけた「過去問をやればなんとかなる」という思想のまま、先輩と仲良い同級生から過去問をもらい、無難にテストをこなしてました。

高専3年生になり、共学に行った友達たちが進路を選んでる時、ぼくもどうしようかなぁって思ってたら校内に張り出されてた「イケてる大学ランキング」みたいなやつに、筑波大学が入ってて、他は全部「東京大学」とか「京都大学」とか「神戸大学」とかの都道府県名なのに、なんだこれ?と興味を持ってちょっとだけ調べた。そしたらなんかすごそう。そして編入で3年に入れそう。しかも理系というやつにうんざりしてた僕からすると文系と理系の融合みたいなテーマがガチ刺さり。目指すことに。試験科目も数学と英語だけだったので、まぁいけるでしょと。

ただ今まで過去問でどうにかしてた中、マジで基礎ができてなかったので勉強することに。やればできるなって思ってたのでとりあえずできるようになるまでやってみた。モチベーション上げるために実際に筑波に行ってみて、そこにいる人に声かけて、過去問もらったりしてた。当時は行動力あった。なんか本にそうした方が人生うまくいくよって書いてあったから真似しただけだけど。

この頃から、頑張ればなんとかなるという考えが僕に染みついてた(そしてそれは未来の僕を相当苦しめるんですが)。そんな中、当時の彼女に振られ、苦しくて、寝れないから夜中走って、死んだように寝て、でも走ってるうちに体力ついて寝れなくなって、みたいな生活が始まり、リフレインするわけですよ。「お前の目が死んでるのは目標がないからだ」を。

受験しようとしてるからそこそこ目標あったつもりなんだけど、どうもそういうことではなくてもっと高いのがいるのかもしれないと、日本で一番難しい試験である「司法試験」を目指すことに。「だから、あなたも生き抜いて」って極道の妻から死ぬほど勉強して弁護士になった人の本を読んでて、僕の中に「最も難しい、でも目指す価値のある資格」みたいなイメージが司法試験にあったんだと思う。

その頃ちょうどロースクール制度みたいなのがはじまって、他分野の人も弁護士になろうぜ、その方が活躍できるぜ!みたいな感じだったのも後押しした。だから一旦筑波に入った後、どっかのロースクールでも行って弁護士になるかと思ってた。逃げの、司法試験。


筑波大学に編入という形で入り、どーせなら授業もちゃんと受けるかと最前列で授業を受けていた。ちなみにその頃の人生の目標は「えぇ男になること」。いい男ではなく、えぇ男。なんか酸いも甘いも噛み分けてそうじゃないですか?きついな文章にすると。これを真面目に言ってたのか俺は、、、。

まぁ大学でみんながヘラヘラ遊んでる時に、授業も遊びも全力で的なのがかっこいいと思っていた僕はそれを体現するためにとりあえず全部Aを取るか、みたいな短期の目標をセットして走り続けてたわけです。俯瞰して今から見ると、これは僕の処世術だっただんでしょうね。本当にやりたいかどうかとは関係なく、目標に向かって走るというそのことが価値があり、周りからも認められる、という。

編入した友達の中には研究者になりたくて入ってきた子もいて、そういう子たちの「まだ誰も知らないことを知りたい」という目を今でも思い出します。たぶん、当時の僕も何かを感じてたんでしょうね。


ロースクール行くかと、パラパラ見てたら、ちょうど過去問をみることになって、それ見るとなんか知能テストみたいなやつと小論文だけでいけそうだったので、これは簡単だなと思って、一回模試を受けたら、その知能テスト(適正テスト)ボロボロでした。あれ全く勉強しなくても楽勝だよね、みたいなことを言ってる奴らを横目に、普通に悔しくて家に帰って泣きました。自分は頭がいいけどやってないだけ、だからやれば誰よりもできる。みたいなこと思ってたのに、そうじゃなかったんだって涙だと思います。ちょっと自分の土台みたいになってたんでしょうね。つら。

そしてまたその「楽勝でしょ」って言ってる奴がなんかチャラチャラして、何にも真剣に向き合ってないような奴だったんですよ。今なら彼も彼にしかわからない仄暗さがあるんだと思えるんですけどね。ただ今思い出したらちょっとむかつきました。全然成長してなかった。あー腹立つ。


ま、でも最初からできる人がいるとわかった適正試験も、過去問数年分+過去問類似問題集1000問みたいなやつをやることで、究極のパターン処理だなってわかったので地道にそれを積み上げてできるように。

で、どこ行くかなぁって思って、まぁここまできたら日本でいちばんのところか?と東大を見てみたんですが、なんか違って、なんかこんなど真ん中ストレート感じゃないと思い、じゃあ私立か?と早稲田と慶應みたけど、うむ、と。コレジャナイ感。学費も高かったし。で、京大みたときに、息できるダサさがそこにあって、あ、ここにいこうってなりました。

小論文が難しいってことだったので、過去問見る限り、まぁ本いっぱい読んでおけばいけるでしょ、と年間500冊読むことに。ここにも僕の悪癖が出てて、本を読みたくて読むんじゃなくて、500冊読むために読んでました。文庫本持ち歩くのがかっこいいと思ってたのも影響がありそう。もっと味わえばよかった。

そうして無事合格し、法律の勉強が始まるわけです。プライド高くて、誰とも仲間になれない僕は、ほんと一人でずーっと勉強してました。もちろん気にかけてくれる友人や、支えてくれる人たちはいたんですが、彼ら彼女らが自分よりも圧倒的にできることにずっと拗らせたコンプレックスをもって、うまく笑えてなかったです。

自分を「できないやつ」と認識して頑張ることは本当に辛かった。何を言ってるのか全くわからない授業で当てられて、答えられなくて、あんなに予習も復習もしたのにって凹んでる中、京都の街で遊んでるあいつはなんか本質っぽいことを答えてる。きつかったですね、あの頃。急速に老けました。ロースクール時代たのしかったですね、っていうやつ全員嫌いでした。

とはいえ、まぁやれば受かるでしょと地道に勉強して受けた司法試験。落ちました。衝撃。あと2点。え、あれだけ狙いすまして、他のことやらずにコミットして落ちるの?ってちょっとよくわかんなかったですね。ちょっとしたアイデンティティの崩壊。当時は「終わった」って思いました。見返してやりたいとかも入ってたんでしょうね。受かればこっちのものだと。でも落ちた。よくわかんなかったです。人生で初めて不合格を見た瞬間でもありました。

とはいえあと2点だったんで、まぁ次の年は受かるかなという風に思って、あまり深く考えないように再度勉強を開始しました。ここ今ならわかるんですが、逃げましたね。自分の人生と向き合うことと。「とりあえず」今は勉強しよう、と。彼女に振られて夜中走ってたのと一緒です。頭の中に大量の情報を入れることで、他のことを考えないようにしました。


翌年、無事合格し(択一ギリギリでめちゃ焦った)、司法修習生に。当時は弁護士の就職難で、普通に募集1のところに100件とか応募あって、弁護士事務所に所属するのに倍率100倍というわけわかんない状態でした。いくつか弁護士事務所に見学に行ったんですが、そこで働いてる自分のイメージが全く湧きませんでした。というか端的に先輩弁護士がカッコ悪く見えました。今だとその人たちがカッコ悪いんじゃなくて、自分がその業界に魅力を感じてなかったんだってわかるんですが、当時は「なんだこのクソダサい大人は」みたいな感じでした。クライアントの文句を言って、夜の女の人に威張ってるだけの人生なの?と。あれ、今考えてもこいつはダサいな?

そんな中、唯一くらいかっこよかったがGVAって事務所で、スタートアップ専門の法律事務所でした。他の人がクライアントの悪口を言う中、GVAの人たちはそのスタートアップがどうやったらもっと成長するのか?ということを真剣に考えてて、あー、こういう働き方かっこいいな、と。

そうしてGVAで働き始めたんですが(ちなみに倍率100倍とかだった気がします、頑張った)、開始2ヶ月目で筑波時代の編入の同期がつくったアカツキって会社で業務委託の法務みたいなことをやり始めました。それが週1から週5になるまで、3ヶ月もかかりませんでした。そうして、アカツキの社員になり、経理の子しかいなかったような管理部をIPOに耐えられる管理部っぽくみせる仕事をし、激務のIPO業務を社会人1年目で主担当としてやりきりました。

「まぁとはいっても仕事はできるでしょ俺」とか思ってましたが、ビビるくらいできませんでした。いやぁびっくりした。こんなにできないの?って毎日思ってました。心、死にそうでした。カウンセラーの方にいつも相談してました。その頃、自分が自分に高すぎる期待値を持ってる発見をして、できない自分をようやく受け入れられ、ちょっと楽になりました。その自分への期待値の高さに気がついてから、自分の能力を冷静に見極めて、弱音を口に出すようになり、周りに助けてもらえるようになり、なんとかって感じでしたね。僕がいなくても全然IPO行けたと思うんですが、あのチームでIPOに向けて働けたことはマジで僕の宝物です。深夜に発見した書類の不備を笑いながら直した経験は、今思い出しても心がじーんってなります。


で、ここにきてようやく自分の人生と向き合うことにしました。いや、しましたっていうと自発的な感じがするんですが、そうじゃなくて、向き合わざるを得ないというか、そういう感じになりました。というのも、ここまで読んでくれてる人ならわかるように(いるんですかね?)、同じこと繰り返してるんですよ。目標を作ってそれに直走る、ということだけをやり続けてます。その目標を叶えて嬉しいのは数日間。また新たな目標を探して走る、と。なんかそのラットレースに限界を感じました。上場以降会社はもっともっと成長するし、今まで見えなかったようなことを見ることもできるんだろうけど、多分この自分の性は、そうなっても今の延長線上でしかない。なんかどっかが狂ってる。そんなことを思いました。
だからこのタイミングで、一旦全部捨ててみよう、と。

色々と捨てていった中で、捨てられなかったものが「家族」と「友達」と、意外だったんですが「地元」でした。なので、特に仕事を決めず、地元に帰りました。最悪バイトしよう、そうだ昔からしたかった書店で働いてみよう!みたいな感じで。

そうして辞めた時、「株式会社アカツキを辞めました」ってブログを書いたらバズり散らかしまして、いろんなお誘いもいただき、その中の一つに西粟倉村の仕事がありました。てかそれも間接的に、シェアハウスの友人から紹介された感じで、その後、世界初自治体ICO!みたいなところに繋がっていきます(失敗しました)。

で、フラフラしてる時に、地元の企業開催のカレーパーティーに参加し、そこでなんかとっぽい兄ちゃんと強めに兄さんに出会い、FBメッセグループがやたらと三人で盛り上がり、そのうちとっぽい方とよく飲むようになり、気がついたらVCができてました(この辺りはこの辺りで色々向き合ったこともあるんですが、それはまた別のお話)。


キラキラの経歴を持ってる割には、そのどれも狙って手に入れてやったぜ!的なものはなく、その時の偶然とか、過去の偶然が繋がってたりするだけだなぁと振り返って思います。もちろん自分はその都度その都度一生懸命だった気がするんですが、割と短期でしかキャリアというものを考えてなくて、その時きたいちばん面白そうなことに都度フルベットしてるだけな気がします。

学生の方からキャリアについて相談されることがちょいちょいあるんですが、僕はこんな感じで歩んでるんで、ほぼ有益なことがいえません。ただ失敗とか後悔とか含めて1つだけ言っていいなら、一定期間でもフルコミット、フルベットできることをやった方がいいかも、くらいは言うかもしれませんね。

もちろん道草を楽しめなんですが、全然何のためになるかわかんないけど、少なくても自分は一生懸命やったって思えるのは、その後の自分をめちゃ救うなと。あ、ただこれ「いい人」のところでやるってのは大前提。それがズレるだけで、地獄になります。いい人だけは狙って。あ、2つになった。


文章のいいところは、こういう自分語りを聞きたくない人の前でしなくて済むことです。居酒屋なら抜けられないところ、文章だと離脱可能です。よかった文章があって、、。もしここまで読んでくれてる人がいたらごめん。でもありがと!


「♡」は、誰でも(noteにアカウントを作っていない方でも)押すことができます。この投稿を「いいな」と思った方は、気軽に押してもらえると嬉しいです。もちろんフォローも嬉しいです!

こういう感じのエッセイが好きならこちらをどうぞ。無料で読めます。
→『頭の中がうるさい。でも、それでいいのかもしれない。

いいなと思ったら応援しよう!

やまだくにあき
ここまで見てくださるなんて...ありがとうございます!! SNSに書かずnoteだけに書くことも多いので、フォローしておいてもらえると嬉しいです!