幸福について
先日あなたは私に、どのような状態が幸福なのかを尋ねました。その問いに関して、私は単純かつ明確な基準を示そうと思います。幸福とは、心身ともに満ち足りた状態のことです。そして、その満ち足りた状態はあなた自身が定義することができるのです。
例えば、来る日も来る日も豪遊している人がいるとしましょう。彼は、著しい額の金を毎晩失い、体に悪影響が出るほどの酒を呑み、彼を金を出す人間としか思ってもいない輩に日々取り囲まれています。そして、ここが重要なのですが、彼はそのような不幸な状態によって幸福を感じています。彼が、ある日誰でも起こる類の突然の災難に見舞われ、築き上げてきた財産や人間関係をことごとく失ったとします。彼は不幸でしょうか?あなたはおそらく、彼は間違いなく不幸な状態に陥ったと答えるでしょう。
では、全ての物質的欲望から解放され、日々質素に暮らし必要最低限で満足する人がいるとしましょう。彼は、日々自分の選択することのできる範囲で改善や進歩を目指し、自分の持つものや築き上げてきたものは一時的に借り受けているものだと捉えています。さて、この国ではいつ起きても不思議ではない災害で彼が家や財産や愛する人を失ったとします。彼は、しばらくの間悲嘆にくれるでしょうが、逆境を物ともせず立ち上がり、自分のできる最大限の行為を積み上げます。彼は、自分を不幸だと感じていません。
実際のところ、私たちができることは日々非常に小さいものです。しかし、それらを長い目で見た場合、大きなものになります。私があなたに進める幸福はこのように、自分の選べる範囲で最大限時間を有意義に使い、贅沢を軽蔑し、学問や社会活動など人間の英知を広げる営みにより積極的に参画することです。この国はもうだめだと絶望に浸る前に、どのような行動を取るべきか、客観的事実に基づいた判断を下しましょう。自分の生まれを嘆いて空を眺めるよりは、今の苦境から脱出できる方法を探しましょう。
くれぐれも注意しておきたいのは、幸福を自分以外の何者かに定義させることです。フェラーリ、メルセデスベンツ、タワーマンション、一晩でいくら使ったか、どれだけ高い時計をつけているか、自分はどれだけ株でもうけたか、自分が他者と比較してどれだけ優秀なのか、などこれらは全て虚飾や見栄にまみれた醜悪なものです。幸福をより小さく、より単純に設計すれば、このような唾棄すべき悪徳には近づかずに済みます。
必要ないかもしれないので読み飛ばしていただいてもかまいませんが、私の幸福は、日々毎朝を無事に起き、夜にぐっすりと眠ることです。そのような日常に、1杯の珈琲や友人との談笑があれば何も望むことはありません。 そして最後に、あなたの欲望や向上心を利用する人には警戒を怠らないようにしてください。それらは平穏な日常と幸福な人生の敵となります。お元気で。