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大阪ノスタルジック

朝8時、布団に籠城を決め込む私を容赦なく叩き起こすのは昨日の自分そのもの。
私は私を叩き伏せたのち、支度を済ませると重々しくもどこか楽しげな足取りでそそくさと家から出かけていった。

今日は大阪で野暮用があった。何、30分くらいで終わる用事だ。webを使えば大阪下りまで行かずとも済んだのだが何分内気な性格を少々なりとも憂いていた時期だ、丁度良いと大阪に行く事にした。

最寄駅から乗り換えを挟んで二本で名駅に着く。
名古屋という街は良くも悪くも狭いのだ。小さくまとまってるから交通の便も良い。

——お客さんどちらまで?

難波まで学生一枚片道で

近鉄の駅は休日のわりにはそこまで混んではいなかった。いつもこんな感じなのだろうか?
心なしか駅員の方も余裕があるようだった。
それにしても学割というのは良いものだ。欲を言えばもっと割り引いてくれてもバチは当たるまい。少子化なんだから。

いつもは朝といえば和食とこだわる私だが目の前に見慣れないパン屋があるとなれば話は別だ。
名前は忘れてしまったがどうやらフランスパンにグラタンのようなホワイトソースが詰まっているらしい。
私のこだわりなぞ偏に風の前の塵に同じだった。

流れる車窓、覗く景色は農村と工場。たまに見える残雪は冬もそろそろ終わりだと告げるようだった。

試験の疲れからかはたまた腹拵えが済んだからか、いつのまにか寝てしまっていた。
そんなこんなで大阪まで着いたが用事まで時間がない。
私は急いで向かうのだった。



用事は済んだ。さあ帰るか。

——待て、急くことはない。

それもそうだ。大阪まで来て何も楽しめないようじゃいよいよ人間お仕舞いだ。そんなつまらん人間に育った覚えはない。どれ、たこ焼きの1つでも食べようじゃあないか。

難波でたこ焼きを頬張る。やはり美味い。胃袋は8個のたこ焼きを収めつつも更なる空腹を私に訴えていた。
適当に空いていた串カツ屋に入る。カウンターに座る。
ふと何か変な感覚に陥る。何だろうこの感覚は。
まるで夢のような、そこに自分が居ないかのような。
いやいるのだがいない。私の意識はそこにはない。
私が私を操作しているようだった。私は自身を客観していた。
しかしそれは同時に私という存在を保証するものでもあった。そう考えると串カツ屋に座りレンコンやらうずらやらを注文している冴えない青年はまさしく私であった。
嗚呼、人は自身に会いたくて旅をするのだ。自身の存在を証明するために慣れない地へ赴くのかもしれない。

自己の探求というこの衝動こそ人間がこの世に栄えた原動力なのかもしれない。
カツをソースに付けながらそんなことを考えて僕はまた一口蓮根を頬張るのだった。

#日記 #大阪 #旅 #戯言 #随筆

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