冬の声
僕は今年で23歳になる大学生だ。世間から見れば二十歳を超えてもなお親のすねを齧る穀潰しだと思われる方もいらっしゃるだろう。おっしゃる通り。僕はまだ社会の厳しさも責任の重さも知らない子供なのだ。
そんな僕でも20年以上生きてくると時々、本当に時々大人になったなあと思うことがある。
それは塾講師のアルバイトをしている時のこと。僕はいつもと同じく生徒に勉強を教えていた。するとその子が言うのだ。
「勉強って何のためにするの?」
天井を見上げる。少し悩んだあとその問いに答えようと口を開いた瞬間、僕の頭は雷に打たれたような強烈なデジャビュとさざ波のような刺激で満たされていた。
その言葉は僕が昔大嫌いだった小学校の担任の言葉と一言一句たがわぬものだった。
「自分の為にするんだよ。」
この言葉を今度は僕が生徒に告げる側になっていた。自分の頭で悩んでひねりだした言葉はあの日、苛立つ僕が受けた言葉と何も変わらないものだった。
いつのまにかそれほどの時が過ぎていたんだと思うと虚しいような、しかしどこか嬉しいようなそんな気持ちになるのだった。
大人が良かれと思って子供に告げた言葉は子供が子供である以上うわべは分かってても心には届きにくいものだ。その真意がわかるのはその子供が大人になり、子供へ同じ言葉を告げるときなのだ。
先生、今、僕は大人になれているだろうか。
僕の白い息は冬の空に消えていった。