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ボケた老人による前衛文学は、前衛なのかボケなのか。:小島信夫『残光』について【#2】

『残光』の話がしたい。『残光』の話をしよう。

『残光』とは何か。それを説明するのはむずかしい。とてつもなく、むずかしい。

でも、むずかしくて全容がつかめないからこそ、『残光』は魅惑的だ。わたしは『残光』の訳のわからなさに惹かれている。憧れてもいる。ずっと『残光』のことを考えている。

わたしは多分、『残光』に恋をしている。

だから、この思いを伝えたい。『残光』について。明確な結論は、この場では出せないかもしれないけれども。

『残光』


『残光』とは何か。わかることから書き出していこう。

『残光』は、日本語で書かれた散文である。これは間違いない。

『残光』は2006年に文芸雑誌『群像』に掲載された。その後、単行本として新潮社より刊行されている。こちらも疑う余地はない。

『残光』の著者は、前衛的な作風で知られる小説家・小島信夫である。『残光』は小島にとって遺作となった。『残光』を書いたとき、小島は九十歳だった。いずれも事実である。


では『残光』とは、小島信夫が最晩年に書いた「文学」作品なのだろうか。

これは本当かどうか怪しい。

「文学」である気もするし、「文学」でない気もする。あるいは、そのどちらでもある気がする。『残光』を前にすると、そんな不確かで歯切れの悪いことしか言えなくなる。


これは一体、どういうことだろう。『残光』の文章を実際に眺めてみよう。

それからあと、ぼくは、いつも妻と二人で通った散歩道を毎日歩いて、途中で前に話相手になってくれた女の人たちに会えればと思って出かけていったが、二度会うことができたのは、二人だけで、一人は老犬を連れていた人で、もう一人は地主の奥さんで畑で仕事をしていた。何日かは、妻がホームに入ったことをいうためであったが、それからあとは一人で歩いた。こうしたことについては、前にも私は雑誌などに書いたことはあるが、妻は手をつないでいるときに夫と話をすることはあったが、彼女自身は通りすがりの人と話すことは、殆どなくなっていた。

『残光』(5頁)

むずかしい語彙が使われているわけではない。だが一読しただけで文意を理解するのは不可能であろう。接続助詞で無理やりに文を繋いだせいで、ひどく読みづらい文章になっている。

それによく見ると、語り手の一人称が「ぼく」「私」で表記揺れしている。『残光』は最低限の体裁すら整っていない。


まるで推敲をしていない文章のようだ。そう思ったあなたは勘が鋭い。『残光』の文体の秘訣は、あえて構成を決めず、書き直しもしない点にある。

これは衝撃的だと思う。優れた作家であるほど、読み手に言葉をうまく伝えるべく心を砕くものだ。だから取材を重ね、構想を何度も練り直し、表現を研磨する。それが作家の仕事だと、一般的には考えられている。

ところが『残光』を生み出した小島は、そうした通念を否定した。いつ何時でも今目の前にある言葉に向き合うべき、という独自の思想によって、入念な準備や文章の手直しを強く拒んだのである。


小島にとって、読み手に文意が伝わるかどうかは、本質的な問題ではなかった。ゆえに常識にさからって、文章の手綱を放棄した。

おかげで『残光』は暴走し、言葉はまっすぐに進まない。暴れ馬のように、狂った道筋を疾走し、読み手を右へ左へと振り回す。

『残光』のデタラメな蹄の跡を、もうすこし追ってみよう。

それに叛旗をひるがえしたのは、三島由紀夫で、彼は「強い男でなければ真の作家ではない」と思っていて、自エイ隊の航空機に乗ったり、もうちょっとあとのことだったか忘れたが、自前の制服を青年に着せ、馬に乗って、銀座でパレードを行なったか、あるいは、その予定かで、川端さんにも参加を呼びかけたところ、川端さんは、「ぼくはドンパチは嫌いだよ」と断わったそうである。

『残光』(19頁)

『残光』の大部分は、小島自身の回顧録となっている。引用箇所は、若い頃の小島の作家イメージであった「弱い男性」像に、三島由紀夫が反発したという一文。

そう、たった一文なのだ。にもかかわらず、主語と述語の錯綜具合はどうだろう。並大抵の文芸では味わえない言葉の狂乱に、めくるめく思いがする。


また事実関係のうろ覚えっぷりも、文の異様さを昂進させる。小島は三島由紀夫がパレードを行った時期を忘れ、川端康成がパレードに誘われた時期も定かでないという。一文の中で二個の曖昧がある。もうお手上げだ。

あと、いま気づいたが、「自エイ隊」という半端な表記も気になる。書き直しをしないという理念にしたがって、漢字をど忘れして書いた初稿のまま、校正をせず発刊したのかもしれない。

『残光』の狂った足取りは、わたしたちが文章の規範だと信じているものを、踏みにじっていく。それは恐ろしく、どこか爽快でもある。


はたして『残光』は、小島の理念に即して紡がれた前衛的な文学なのか。それとも書き手が文学者であるから注目されているだけの、単なる悪文か。

いや、もしかしたら、そのどちらでもないのかもしれない。たとえば次の引用箇所はどうだろう。

は忘れてしまっていた。ぼくは今日はだめだ、ぼくもダメだ。眼だけでなくアタマもダメになったみたいだな、あしたの朝思いだせなかったらどうしよう、この原稿が書きつづけられるかな!
ここまで書いてきて、小島信夫は、娘の名を呼んで、

『残光』(48頁)、太字は筆者による

「彼」「ぼく」「小島信夫」。一人称の表記揺れは今までにも見られたが、ここでは猛烈な勢いで、語り手の自称が変わっている。

多くの読み手は、書き手の精神的な異常を感じとるだろう。なるほど、小島が構成と書き直しを行わず、錯雑とした文章をあえて綴っていることは分かった。でも、それを差し引いても、正気の人間がこれほど破綻した文章を書けるものなのだろうか。


ここでハタと思い出すのは、小島の年齢だ。『残光』を書き出した小島は、九十歳だった。また、『残光』を書き始める前年まで、体調的に弱っていたという。

だとすると、一つのシンプルな推論がみちびき出せる。『残光』を書き上げた小島信夫は、ボケていたのではないか。

主述のねじれ。表記揺れ。恥じることなく書き連ねられる曖昧な事柄。これらは実験的な手法などではなく、ボケた老人が彼なりに真摯に、言葉を書きつけた結果にすぎないのかもしれない。


小島自身、記憶し思考する力の衰退について、本文中にて自覚している。

私は本を読んだりして学んだことは、どんどん忘れて行っている。それらは所詮私から消えて行くものだ。私に今あるものは、エイ智と称するものだ。

『残光』(68頁)

記憶は衰退する。どれだけ面白い本を読んだとしても、やがては忘れ去られる。だが、本を読んで得た深い「エイ智」(叡智?)だけは残っている。そう小島は言う。

ところが舌の根も乾かないうちに、「エイチ」が残っているか怪しい、と発言を撤回する。

あとでカート・ボネガットが「ぼくの書いたことを信用するな。みんなウソだ」と書いた小説のことを紹介するが、「みんなホントだ」といっているのと同じだ。私には「エイチだけが残っている」みたいなことをいっているが、それもあやしい。

『残光』(70頁)

もう小島はダメなのだろうか。だが、完全にボケてしまったとも言いがたい。

同じ場面では、文学がかつて持っていた権威性を批判している。また自らが文学者として、ある種の権威を確立してしまっていることも自覚している。

つまりこの破綻した文章は、ボケ老人を故意に演じることで、文学の権威とならないように気を配っているとも解釈できるのだ。


だとすれば、わたしたちが『残光』に対して投げかけるべき問いは、こうだろう。

この途方もない文章は、はたしてボケのフリをした前衛文学なのか。それとも前衛文学のフリをしたボケなのか。

答えはつねに宙づりの状態にある。ゆえに『残光』は「文学」であり、「文学」ではない。どちらを選んでも正解になる。


狂気か、正気か。ボケた老人のうわ言か、前衛文学の旗手が放った未踏の表現か。二つの可能性が重なり合った状態の語り手から、わたしたちは『残光』を受け取っている。


ところで、小島はどのような意図から、『残光』を執筆したのだろう。破綻した文体とは対照的に、その動機は慎ましやかだった。

亡き妻のことを覚えておくために、小島は『残光』を書きとめたのだ。

小島の記憶は老化によって薄れ、死別した妻との思い出もおぼろげになった。しかし、ふとしたきっかけから、故人の輪郭が明確になる。友人の口からふと漏れ出した、小島の過去小説。そこに刻まれていた、家庭を題材にした文章と思想が、妻との記憶を繋ぎ止めたのだ。

先にも紹介した通り、小島は文章を執筆する際に、構成や書き直しを否定した。そのため自分が書いた小説を読み直すこともなかった。

だが、九十歳に至って初めて、小島は自分が過去に書いた文章に立ち戻り、妻の面影を追い求める。そして老化によって混濁した意識のなか、妻に関連する過去の記述をいくつも引用する。


妻との思い出は、美しいものではない。むしろ、生前の妻も健忘症に悩まされており、小島は介護に苦しんでいた。

しかし、かけがえのない記憶には違いなかった。

『残光』の最後の場面では、介護施設に移動した後の妻とのやり取りが、現在の小島によって描かれている。

十月に尋ねたときは、横臥していた。眠っていて、目をさまさなかった。くりかえし、「ノブオさんだよ、ノブオさんが、やってきたんだよ。アナタはアイコさんだね。アイコさん、ノブさんが来たんだよ。コジマ・ノブさんですよ」
と何度も話しかけていると、眼を開いて、穏かに微笑を浮べて、
「お久しぶり」
といった。眼はあけていなかった。

眼を開いてと書いた次の文で、眼はあけていなかったと小島は描写する。妻は一体、どういう状態なのだろう。果たしてこれは、ボケに由来する曖昧な表現なのか、それとも前衛的な表現なのか。

しかし、この最後の一節に関しては、語り手の正気/狂気を問うのも野暮であろう。文章がどのような種類のものであれ、妻を慈しむ小島の仕草だけは、真実だからだ。ゆえに読み手の胸を打つ。


『残光』はむずかしい。それは、老いた語り手から漏れ出す言葉が、常に曖昧だからだった。

だが最後になって、ふと本当のことが溢れだしてきた。この最後の一節から得られる、滑稽さと物哀しさが綯い交ぜになった読後感は、ほかのどんな健全な文章からも得ることができない。

小島にしか作り得なかったこの独創を、わたしは肯定したい。


結論らしきものを出してみたものの、『残光』に含まれる奇怪な箇所を、すべて掬い上げたわけではない。解かれるべき謎は、テキストの中にまだ無尽蔵に眠っている。

ある人はここまで読んで、『残光』について一つの解釈が得られたと納得するだろう。だが別の人は、『残光』について何も語れていないと言うに違いない。

その意味で私は『残光』の話ができた。同時に『残光』の話ができなかった。ボケと前衛がせめぎ合う小島の言葉のように、この記事内容には、矛盾した要素が重なり合っている。

でも小島の妻への思いがそうであったように、ぼくの思いだけは、分かれることなく本当である。

ずっと『残光』のことを考えている、わたしは『残光』が好きだ。

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