ボケた老人による前衛文学は、前衛なのかボケなのか。:小島信夫『残光』について【#2】
『残光』の話がしたい。『残光』の話をしよう。
『残光』とは何か。それを説明するのはむずかしい。とてつもなく、むずかしい。
でも、むずかしくて全容がつかめないからこそ、『残光』は魅惑的だ。わたしは『残光』の訳のわからなさに惹かれている。憧れてもいる。ずっと『残光』のことを考えている。
わたしは多分、『残光』に恋をしている。
だから、この思いを伝えたい。『残光』について。明確な結論は、この場では出せないかもしれないけれども。
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『残光』とは何か。わかることから書き出していこう。
『残光』は、日本語で書かれた散文である。これは間違いない。
『残光』は2006年に文芸雑誌『群像』に掲載された。その後、単行本として新潮社より刊行されている。こちらも疑う余地はない。
『残光』の著者は、前衛的な作風で知られる小説家・小島信夫である。『残光』は小島にとって遺作となった。『残光』を書いたとき、小島は九十歳だった。いずれも事実である。
では『残光』とは、小島信夫が最晩年に書いた「文学」作品なのだろうか。
これは本当かどうか怪しい。
「文学」である気もするし、「文学」でない気もする。あるいは、そのどちらでもある気がする。『残光』を前にすると、そんな不確かで歯切れの悪いことしか言えなくなる。
これは一体、どういうことだろう。『残光』の文章を実際に眺めてみよう。
むずかしい語彙が使われているわけではない。だが一読しただけで文意を理解するのは不可能であろう。接続助詞で無理やりに文を繋いだせいで、ひどく読みづらい文章になっている。
それによく見ると、語り手の一人称が「ぼく」「私」で表記揺れしている。『残光』は最低限の体裁すら整っていない。
まるで推敲をしていない文章のようだ。そう思ったあなたは勘が鋭い。『残光』の文体の秘訣は、あえて構成を決めず、書き直しもしない点にある。
これは衝撃的だと思う。優れた作家であるほど、読み手に言葉をうまく伝えるべく心を砕くものだ。だから取材を重ね、構想を何度も練り直し、表現を研磨する。それが作家の仕事だと、一般的には考えられている。
ところが『残光』を生み出した小島は、そうした通念を否定した。いつ何時でも今目の前にある言葉に向き合うべき、という独自の思想によって、入念な準備や文章の手直しを強く拒んだのである。
小島にとって、読み手に文意が伝わるかどうかは、本質的な問題ではなかった。ゆえに常識にさからって、文章の手綱を放棄した。
おかげで『残光』は暴走し、言葉はまっすぐに進まない。暴れ馬のように、狂った道筋を疾走し、読み手を右へ左へと振り回す。
『残光』のデタラメな蹄の跡を、もうすこし追ってみよう。
『残光』の大部分は、小島自身の回顧録となっている。引用箇所は、若い頃の小島の作家イメージであった「弱い男性」像に、三島由紀夫が反発したという一文。
そう、たった一文なのだ。にもかかわらず、主語と述語の錯綜具合はどうだろう。並大抵の文芸では味わえない言葉の狂乱に、めくるめく思いがする。
また事実関係のうろ覚えっぷりも、文の異様さを昂進させる。小島は三島由紀夫がパレードを行った時期を忘れ、川端康成がパレードに誘われた時期も定かでないという。一文の中で二個の曖昧がある。もうお手上げだ。
あと、いま気づいたが、「自エイ隊」という半端な表記も気になる。書き直しをしないという理念にしたがって、漢字をど忘れして書いた初稿のまま、校正をせず発刊したのかもしれない。
『残光』の狂った足取りは、わたしたちが文章の規範だと信じているものを、踏みにじっていく。それは恐ろしく、どこか爽快でもある。
◇
はたして『残光』は、小島の理念に即して紡がれた前衛的な文学なのか。それとも書き手が文学者であるから注目されているだけの、単なる悪文か。
いや、もしかしたら、そのどちらでもないのかもしれない。たとえば次の引用箇所はどうだろう。
「彼」「ぼく」「小島信夫」。一人称の表記揺れは今までにも見られたが、ここでは猛烈な勢いで、語り手の自称が変わっている。
多くの読み手は、書き手の精神的な異常を感じとるだろう。なるほど、小島が構成と書き直しを行わず、錯雑とした文章をあえて綴っていることは分かった。でも、それを差し引いても、正気の人間がこれほど破綻した文章を書けるものなのだろうか。
ここでハタと思い出すのは、小島の年齢だ。『残光』を書き出した小島は、九十歳だった。また、『残光』を書き始める前年まで、体調的に弱っていたという。
だとすると、一つのシンプルな推論がみちびき出せる。『残光』を書き上げた小島信夫は、ボケていたのではないか。
主述のねじれ。表記揺れ。恥じることなく書き連ねられる曖昧な事柄。これらは実験的な手法などではなく、ボケた老人が彼なりに真摯に、言葉を書きつけた結果にすぎないのかもしれない。
小島自身、記憶し思考する力の衰退について、本文中にて自覚している。
記憶は衰退する。どれだけ面白い本を読んだとしても、やがては忘れ去られる。だが、本を読んで得た深い「エイ智」(叡智?)だけは残っている。そう小島は言う。
ところが舌の根も乾かないうちに、「エイチ」が残っているか怪しい、と発言を撤回する。
もう小島はダメなのだろうか。だが、完全にボケてしまったとも言いがたい。
同じ場面では、文学がかつて持っていた権威性を批判している。また自らが文学者として、ある種の権威を確立してしまっていることも自覚している。
つまりこの破綻した文章は、ボケ老人を故意に演じることで、文学の権威とならないように気を配っているとも解釈できるのだ。
だとすれば、わたしたちが『残光』に対して投げかけるべき問いは、こうだろう。
この途方もない文章は、はたしてボケのフリをした前衛文学なのか。それとも前衛文学のフリをしたボケなのか。
答えはつねに宙づりの状態にある。ゆえに『残光』は「文学」であり、「文学」ではない。どちらを選んでも正解になる。
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狂気か、正気か。ボケた老人のうわ言か、前衛文学の旗手が放った未踏の表現か。二つの可能性が重なり合った状態の語り手から、わたしたちは『残光』を受け取っている。
ところで、小島はどのような意図から、『残光』を執筆したのだろう。破綻した文体とは対照的に、その動機は慎ましやかだった。
亡き妻のことを覚えておくために、小島は『残光』を書きとめたのだ。
小島の記憶は老化によって薄れ、死別した妻との思い出もおぼろげになった。しかし、ふとしたきっかけから、故人の輪郭が明確になる。友人の口からふと漏れ出した、小島の過去小説。そこに刻まれていた、家庭を題材にした文章と思想が、妻との記憶を繋ぎ止めたのだ。
先にも紹介した通り、小島は文章を執筆する際に、構成や書き直しを否定した。そのため自分が書いた小説を読み直すこともなかった。
だが、九十歳に至って初めて、小島は自分が過去に書いた文章に立ち戻り、妻の面影を追い求める。そして老化によって混濁した意識のなか、妻に関連する過去の記述をいくつも引用する。
妻との思い出は、美しいものではない。むしろ、生前の妻も健忘症に悩まされており、小島は介護に苦しんでいた。
しかし、かけがえのない記憶には違いなかった。
『残光』の最後の場面では、介護施設に移動した後の妻とのやり取りが、現在の小島によって描かれている。
眼を開いてと書いた次の文で、眼はあけていなかったと小島は描写する。妻は一体、どういう状態なのだろう。果たしてこれは、ボケに由来する曖昧な表現なのか、それとも前衛的な表現なのか。
しかし、この最後の一節に関しては、語り手の正気/狂気を問うのも野暮であろう。文章がどのような種類のものであれ、妻を慈しむ小島の仕草だけは、真実だからだ。ゆえに読み手の胸を打つ。
『残光』はむずかしい。それは、老いた語り手から漏れ出す言葉が、常に曖昧だからだった。
だが最後になって、ふと本当のことが溢れだしてきた。この最後の一節から得られる、滑稽さと物哀しさが綯い交ぜになった読後感は、ほかのどんな健全な文章からも得ることができない。
小島にしか作り得なかったこの独創を、わたしは肯定したい。
◇
結論らしきものを出してみたものの、『残光』に含まれる奇怪な箇所を、すべて掬い上げたわけではない。解かれるべき謎は、テキストの中にまだ無尽蔵に眠っている。
ある人はここまで読んで、『残光』について一つの解釈が得られたと納得するだろう。だが別の人は、『残光』について何も語れていないと言うに違いない。
その意味で私は『残光』の話ができた。同時に『残光』の話ができなかった。ボケと前衛がせめぎ合う小島の言葉のように、この記事内容には、矛盾した要素が重なり合っている。
でも小島の妻への思いがそうであったように、ぼくの思いだけは、分かれることなく本当である。
ずっと『残光』のことを考えている、わたしは『残光』が好きだ。