シルバー人材日記「放置自転車監視歩き」
23日は、朝7時から駅周辺半径300メートル県内の放置自転車監視歩きの仕事でした。前回放置タグを付けたのが範囲外だったので、まずはそれを外してから新たな放置自転車を探しに歩きます。相変わらず暑く、朝だというのに強烈な太陽光は、僕のヤワな肌をジリジリと焼くような痛さです。
駅前には朝から少し変な人たち(危険ではありません)が屯しているので、その人たちが騒いでいるのを傍観しながらやり過ごします。どこにでもこういう人たちはいます。生まれつき何かの障害があるとか、生きている途中で何か要因があってそういう風になってしまったとか・・・決して差別でも蔑視でもありません。哀れだとか気の毒だとも思いません。自分だって彼ら同様に、周囲にそう思われているかもしれないのですから・・・。
さて、歩いていると暑さが身に染みます。雨の日の方が疲労感が高いですが、異常な熱波が連続する中での疲労感は相当なもので、肉体的にも精神的にもヤラレテしまいます。こんな異常高温の中で毎日のように歩いているのは僕と仕事仲間ぐらいのものです。
先日の公園に佇む男性のことですが、放置自転車監視の途中で公園を確認すると、男性の姿はありませんでした。あの台風の日に、かみさんが市役所に連絡したことで救い出されたのかどうか・・・? もう市役所に連絡する気もないので追求する気もないですが、僕とかみさんは良い方に考えるようにしました。
ひとつ気になったのですが、男性が横になっていたのは風雨を避けることができないベンチだったのですが、そこから数メートル離れたところに屋根付の休憩所があるんです。上の写真はそこから男性がいたベンチの方を撮影したものです。何故、男性はむき出しのベンチに横になっていたのでしょう? かみさんは「初めは屋根付の休憩所で横になっていたけど、そこに気の荒いのが来て、汚ぇな、あっちに行け!って言われたり、乱暴されたからじゃないか?」と言うのですが、僕は違うと思ったのです。
男性は死にたかったのではないか?だから風雨を避ける必要も、異常気象の熱波を避ける必要もなかったのではないか? と思うのです。
例えば僕だったら、家族もこの世に存在せず、友人も知人もいない。結局、自分ひとりになってしまったら自殺を選ぶかもしれません。でも、刃物で首を切ったり、電車に飛び込んだり、団地の屋上から飛び降りたりして死ぬのは痛い、痛いのは苦しいのは人に迷惑をかけるのはイヤなんです。だから真冬に北へ向って、街角や田畑の真ん中で凍死するのを選ぶでしょうね。それも他人に迷惑がかかるけれど、痛くはないですからね。
メディアは有名人が自殺すると「命を大切にしてください。悩みを抱えたら、自殺防止相談所に相談してください」みたいなことを言いますが、あれがもの凄く嫌いなんですよ。自殺する人を救いたいのなら怪しい相談所的なところを紹介するんじゃなくて、「貧しくてもやっと生きられるくらいの、ほどほどの金をくれよ」「金くれなくてもいいから貧しくても暮らせるだけの給料を貰える仕事をくれよ」「誰も傷つけることのない互いに助け合って生きられる世の中にしてくれよ」って言いたいですね。
本当に、貧しくても、病気になっても、ギリギリのレベルで誰かが救ってくれる良い社会にしてもらいたいですよね。