「妄想邪馬台国」14
稲作は約1万年以上前に中国の長江下流域で始まった。その技術が朝鮮半島経由して、あるいは中国から海を渡って直接南西諸島を経由して伝わったものだと思われていた。それが近年の調査では約3000年前に九州の北部で始まり、それが600年ほどの時間を経て本州全体に伝わったとみられる。
「日本の稲作は、3000年ほど前に始まったと言われているの。それから600年ほどかけて日本全土に広まったらしいわ」
治子が自分が書いたノートを見ながら言った。異能は感心するように頷いている。異能は治子に隷属された縄文人のように見えた。
福岡県の板付遺跡、佐賀県の菜畑遺跡などの縄文後期の遺跡から水田稲作を示す遺構が発見されている。そのほかにも岡山県の南溝手遺跡からは縄文、後期の籾殻が付いた土器片が発見され、さらに同県の朝寝鼻貝塚から約6400年前の稲のプラント・オパール(植物珪酸体 しょくぶつけいさんたい)が出土している。
九州に伝来した稲作技術は、弥生時代前期に東北地方の方にも伝わったようだ。青森県の砂沢遺跡、高柳遺跡、清水森西遺跡からは弥生時代の炭化米が発見されている。
2400年ほど前日本は弥生時代になる。狩猟採取の食文化が農耕を中心とする食に変化したのだ。
弥生時代の社会は、農耕中心の食生活によって大きく変化した。農耕には人手が必要だ。水田を耕作するには多くの人たちの共同作業となるために自然と集落ができて、そのうちに集落をまとめる首長が現れる。
すると、食糧や水、土地などの争いが生まれる。それが人間の本能だ。すると、集落の周囲に壕を作って外敵の攻撃を防ぐ環壕集落が生まれた。佐賀県の吉野ヶ里遺跡、福岡県の板付遺跡、大阪府の池上曽根遺跡などが環壕集落だ。
次に集落の中でも力を持った集落が周辺の集落を統合させて小国を作る。中国の魏志倭人伝に邪馬台国までの国々として記録されている末盧國、伊都國、投馬國などがそうだ。
小国が形成されると争いの規模は大きくなり、やがて倭国大乱に至るのだ。
「偽書」
「この縄文時代から弥生時代っていう日本形成の経緯が、古事記の神話や日本書紀の神代になるんだね」
「書紀の神代だけじゃない。神武天皇から推古天皇まではどうも怪しい」
「ごめん。忘れてたけど“先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ、さきのよのふることのふみ)”ってのがあったわ」
「あ、古事記同様に推古天皇までを記録したものだけど、江戸時代に水戸光圀や本居宣長なんかが偽書と判断したんだよね。残念ながら僕は読んだことがないんだ」異能が頭を掻きながら照れくさそうに笑った。何だか悔しそうだ。そりゃそうだろう。自分で博学とは言わないが、これだけの本の中にその本がないのは凄く悔しいんだろう。
「先代旧事本紀?」
「蘇我馬子が序文を書いている史書でね、平安時代の初期に成立したものらしいわ。実は私も概要しか知らないの」治子が自分のノートを見ながら言った。異能はホッとした表情をしている。プライドが少しだけ修正されたようだった。
「日本書紀の成立が720年だから、そのあとになるわね。物部氏の記録が多く、物部の正当性を主張したかったのかしら?」
「聖徳太子が編纂したと言われる先代旧事本紀大成経ってのもある」
「内容は知らないけど、確か伊勢神宮の別宮・伊雑宮(いざわのみや)が“伊雑宮”が主宮であると主張したことから、伊勢神宮の内宮・外宮が幕府に訴えて、結果的に江戸幕府が偽書としたものでしょ?」
「ふーん…。しかし、ホツマツタエのような記録書がたくさんあるんだね」
「結局、古事記と日本書紀以外は偽書とされちゃうけどね」異能が笑った。
「でも聖徳太子に絡んだ記録書が多いような気がするね」
「悲劇の皇太子だからね。実在したかどうかは知らないけれどイエスキリストのようなイメージ扱いされてるわよね」
「聖徳太子の子の山背大兄王とその兄弟もね。蘇我入鹿に殺されたようなものだ。悲劇の一族だね」
「先代旧事本紀は、神代から天孫降臨、ニニギに神武って経緯が描かれてるんだね。今、気がついたんだけど、偽書って言われる記録にも、古事記にも卑弥呼が出てこないよね」
「日本書紀では神功皇后をそれらしく充ててはいるけれど、違うよね。大体、神功皇后の存在自体怪しいしね」
「古事記は712年に元明天皇に献上され、日本書紀はそれから8年後の720年に完成するの。現存するものはかなり手が加えられているから、それぞれの時代に都合が良い内容に改編されているんでしょうね」
「だから古事記と日本書紀の内容の違いに違和感があるんだね」
「古事記を作ったあと、中国の歴史書に倭人伝があることを知り、それには卑弥呼が3世紀の人間であると記録されていて、慌てて日本書紀に神功皇后を卑弥呼のように充てたのかもしれないね」
「いい加減だね。古事記や日本書紀から邪馬台国を推定するのは無理じゃないか」
「そうなんだけど、記紀と倭人伝から想定していくほかないんだよな」
「そこで、出雲なんだけどね…」
「ああ、忘れてた」異能が治子をからかうように笑った。
「古事記の中でも出雲について記録されているのは約3分の1にもなるのよ。だから古代における出雲は重要な存在だったのね。だから出雲には邪馬台国があったと思うのよ」
「当時は、出雲(島根県)のほかに、筑紫(福岡県)、日向(宮崎県)、吉備(岡山県)、毛野(群馬県と栃木県)、科野(長野県)、常陸(茨城県)といった地方の豪族が存在していて、畿内のヤマト王朝に従属していなかったんだろうね」
「ふーん。この群馬にも豪族が存在していたのか…」
「そうだよ」
「地方豪族の中でも出雲に関する記録が多いのには理由があるからなのよ」
「ヤマト政権は、5世紀以降に畿内(奈良、大阪周辺)から全国各地に勢力を拡大させていき、それぞれ支配下に置いて、それら豪族の歴史まで奪ったんだと思うんだ」
「古事記って各地の豪族の歴史によって創作されているって言うんだね。それを元に日本書紀を作った」
「そうそう」
「でも、各地に豪族が存在したっていう証拠はあるのかい?」
「しょうがないわね、たとえば宮崎県には西都原古墳、岡山には造山古墳、群馬には太田天神山古墳っていう大きな古墳があるのが何よりの証拠じゃない」
「この群馬に古墳があるの?知らなかったよ」
「毛野、つまり、ここら辺には先住民がいたんだけれど、西から移住してきた渡来系の人間たちが先住民を追い出して地方豪族となったと考えられているんだ」
つづく
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