母が絆ぐもの
昨日は東京の盆の入りだったので、母を迎えにいってきた。
いつも通り、母のお墓参りをして、住職さんたちと少しお話をする。
「きょうだい仲が良くていいですねぇ」
時々仕事等で誰かが欠けたりすることもあるけれど、ほぼ毎回きょうだい3人揃ってお墓参りをする私達に、そう声をかけてくれる。
私は姉のことは好きだし尊敬しているけれど、兄はちょっと苦手だ。
そのことに関しては、いろいろなところで書いてきているから割愛するけれど、時々顔を合わせるくらいの、今の距離感が丁度よい。
もちろんお互い何かあれば支え合うくらいの気持ちは持っている。
ただ、仲良しきょうだいか、と言われると、積極的に「会おう!」って会う感じじゃないから、どうなんだろう?と、ふと思った。
お墓参りのあと、実家に行き、迎え火を焚いた。
「ちゃんと帰ってこれるかなぁ」
そう言いながら、優しい笑みを浮かべて空を眺める兄のことは、嫌いじゃない。
なんだかんだめんどくさがりの兄が、母の仏壇をしっかり守ってくれていて、亡くなった母はきっと喜んでいると思う。
「今年は送り火が日曜日で助かったよ」
送り火はいつも兄にお願いしてるんだけど、毎度、日が暮れる前に仕事から帰ってくるのが大変らしい。
今年は仕事が休みの日曜日だから気が楽だそうだ。
「日が暮れる前に帰ってくるの、けっこう大変なんだよ~」
「まあでも、日が暮れちゃってお母さんが帰りそこねたら、一年一緒にいれるから、それはそれでいいんじゃない?」
そんなたわいもない話をして笑う。
母をきちんと送るために、「日が暮れちゃう!日が暮れちゃう!」って急いで帰ってくる、そんな兄のことは、嫌いじゃない。
きょうだい3人が揃う機会を与えているのは、結局母なんだなと思う。
母が亡くなったとき、その後、母の周りにあったいろいろなものがバラバラになっていく様子を見て、ああ、これまで母が絆いでいたんだな、と思ったけれど、私達きょうだいは、年に2回、お盆と命日に、母が集合させてくれる。
きょうだいだけは、亡くなったあとも、母が絆いでくれてるんだろうな、と思っている。