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【わたしとピアノとお茶と】ちょっとエッセイっぽく書いてみてもいいですか?

1月15日ほぼ17時。
ピアノを弾き倒した。ちょっとしたデトックス。集中して背中が少し汗ばんでいる。
私が弾けるのはたった1曲だけ。小学生の頃にピアノを習っていて、一番最後に練習した曲が今でも弾ける。楽譜は開いているけれど、がっつり見るわけでもない。指が覚えている。

社会人1年目の頃、茶道を習い始めた。きっかけは本屋でたまたま目に入った、森下典子さんの『日日是好日』。この本にとても心を動かされ、近くの茶道教室に体験で行ってみた。
またまたそこで出会った先生がとっても素敵な方で、今でも思い出すと自然と笑顔になってしまうような方で、いつもは慎重な私がすぐに入会を決めていた(結局引っ越しを機にその教室はやめてしまったけれど、約2年ほどお世話になり、その後も親交がある)。
そこから私は自分でもびっくりするぐらいお茶に魅了されていったのです。

新潮文庫『日日是好日』森下典子
映画も大好きで優に10回は見ています🍵


ピアノもお茶も、私にとって共通点があることに気づきました。

”心を無にできる”ということ。


お茶って実は本当に細かいルールがあるんです。「お茶室に入るときは左足から」とか、「重いものは軽そうに、軽いものは重そうに持つ」とか、シチュエーションによってお茶碗を左手から持つか右手から持つかも違います。
一見覚えるのが大変そうですが、でも集中すると自然と身体がそのように動きます。
なぜでしょうねぇ。
でも誰でも”ゾーンに入る”という感覚を味わったことがあるんじゃないでしょうか?きっとその感覚です。頭より先に身体が動く。するとどんどん自分の心が無になっていく―――

そういうとかっこよく聞こえるかもしれないですが、
私の場合、ゾーンに入っても出来は完璧ではありません。ピアノを弾くにしても、茶道をお作法通りにやるにしても、成功率は高くて80%ぐらいといったところでしょうか?
完璧にミスなく実施することを100%とするならばですが。

まあいいんですよね、私の場合、100%じゃなくても。
自分にとって満足できる心地が得られるのであれば。

無になって自分が満たされる。心がデトックスできることの方が、私の場合は幸せだなと感じます。

おそらく1月15日16:50頃 ――― さっきも、
1曲の後半いい感じにミスなくピアノを弾いていたのに、急に迷子になった瞬間、きれいに弾けなくなりました(グダグダに笑)。
でも、いいんです。私は気持ち良く弾けたので。

私は私の心地よさ・ご自愛が大事なんだなって思いました(文章もグダグダ笑)。
何を書きたいのか、いまいちピンと来ない文章となりましたが、
今これを書いているのもデトックスになりました。
自分の心地よさを大切に。


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