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紫色のパンジーを買った

こんなはずではなかった。
あとは詞をかたちにするだけで楽曲は完成する。
タイトルも決まっている。いい曲になりそうだと思った。入れたいセンテンスもできている。花も見つめてくれている。昔はそのへんにも咲いていたらしいパンジーという名前の花だ。

この花のことは気に入っている。バンドのメンバーは人間の顔のようで不気味だという。
わたしからしたらメンバーの持っている花たちのほうが恐ろしいと思う。
まるでこちらの意識を気にしていないような顔をしている。
ただ茎を伸ばし、花の目はこちらを見ているのかどうかもわからないまま視線を固定させびくともせず佇んでいる。

昔の人間はもっと手間をかけて愛でていたらしいが今出回る花は水も日光も必要なくなった。この時代に再び花たちが日の目を見るようになり、人の手に渡るようになったのは世話が必要なくなってからだ。その途端に美しさに目を留めたり、繰り返された実験と歴史により実証された人間の気分を明るくする、穏やかにする、などの作用がいかに素晴らしいかを語ってみたりするものだから滑稽だと思う。
だがわたしがこの花のために通常必要ではないサプリメントのボトルを買ってやったのは、このサプリメントで花から人間へもたらされる影響がすばらしく豊かになるからではない。
この花を可愛らしく、好きだと思っている気持ちを証明するためだ。断じて愛する花の為だ。数週間ずっと腐食ガスに浸けられているような我が脳みその為ではない。


そもそもどうして詞が出てこなくなったのかわからない。生活に不自由はない。富豪ではないがバンドは楽しいし何よりわたしはわたしのことが好きだ。夜の星を美しいと思う。昔あったらしい星座を学ぶのは楽しく、星を結んで形を想像することの意義をいくつも挙げることができる。雨の日にどう過ごせば自分を満足させることができるか知っている。本来痛むはずの手首の関節も、数年前に埋め込んだ2本のボルトが自意識を持って調節するから繊細な楽器を弾くことに問題も懸念もない。定期健診も欠かしていない。今年のぶんはまだしばらく先だ。気持ちを伝えれば伝えたかった通りに受け取ってくれ、正しく理解してくれる友人もパートナーもいる。あの子はまるでこの花のように可愛い。そのような気持ちを持つ余裕もある。些細なすれ違いが言葉の意味を阻害することもない。最近は食を楽しむことも新しく覚えた。毎週決まった曜日と時間にしか来ない移動販売のドロイドを、リマインドに入れずともお茶を用意し待てていた。・・・・・・いつからそれすら忘れてしまうようになったのだろうか。考えてみてもよく思い出せない。忘れているのだろうか。そもそもどうして詞が出てこなくなったのかわからない。生活に不自由はない。富豪ではないがバンドは楽しいし何よりわたしはわたしのことが好きだ。夜の星を美しいと思う・・・・・・・・

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