母が死去するまでの濃ゆい25日間⑦ ~病院からの呼び出しが続くYO!~
その時のバイトはこれまた本当に運のいいことに在宅勤務可能だった。
とはいえ、最低週1は出社してください的な感じで、
今回、母の入院に伴い東京に戻っていることもあり、
バイト先のリーダーからは
「家族優先で構わないです。特に出社しないといけない理由もないので在宅でいいです。」
と言われた。
いや~~~~~
時代変わったね~~~~~~‼️‼️‼️
あれ?それとも前からそんな感じだった?
私が知らんかっただけかな?
病院の面会可能時間は
14時~16時半
ということもあり、
母の洗濯ものやなんやらで早退必須で、
「早退してもいいですか」
と、ついつい何度かしつこくリーダーにチャットで聞いてしまったのだが、
「ダメですとは言わないので、
早退します、で大丈夫です。
家族優先でいいです。」
と返事が返ってきた。
私が頭古いのかな~~~~!?😂
と思いつつ、
もうひとつ、この時期本当にラッキーなことに、、、
仕事が忙しくなかったのだ。😅
私が休むことで誰かにしわ寄せがいくということもなかった。
なので、こちらとしても
それほど「申し訳ない」感がなかったことにも
とても救われた。😇
出社しないといけないバイトだったら
もう辞めるしかなかったと思う。
会社のハンドブックを見ると、
介護休暇というのがあるが、
無給っぽい。。
というか、ゆっくり見る余裕もなかった。
こういうのはしっかり知っておいた方がいいな。🤔
母が入院して最初の1週間は、
酸素マスクは外せなかったが安定していて、
抗生剤を投与して様子を見る的な感じだった。
「りんごジュースが飲みたい」
「缶詰のミカンとパイナップルが食べたい」
「家にあるウニの瓶詰のやつ持ってきて」
などなど、要求もあり、
「へいへい」と返事して
冷蔵庫をあさったり、スーパーで買ったりして持って行った。
ちなみにりんごジュースはDoleしか飲まず、
病院の食事でついてきたりんごジュースは美味しくないとのこと。😅
そして、小康状態だったため、その週末には愛知に一旦戻ることもできた。
2日間歌のイベントが入っていたのだ。
これも、本当に行けるのか⁉️
と思っていたけど、安定してくれていたおかげでなんとかミッションコンプリートできた。
そして、あともう1日愛知にいて久々に出社、と思った日に病院から電話。
「数値が下がったので、急変する可能性があり~云々かんぬん▽〇◆×▽、、、」😱😱😱
今、愛知にいるがこれから向かう旨病院側に伝え、急遽彼に車で名古屋駅まで送ってもらう。
前回、名古屋駅に行くまで、とんでも~~なルートでタイムロスしてしまったので😅、今回はちょうど昼休憩中だった彼にヘルプを頼んだ。
これも、本当にいいタイミングだった。
心の中で母に
「死なんでーーーー!!待っとってーーー!!」
と叫びながら東京に向かう。
病院に着いた頃には、幸い、持ち直して落ち着いていた。
そして、病室がナースステーションからすぐ見える個室に変更されていた。
「病状が変化しやすいので、個室に移動させてもらいました。料金は変わりませんので」
とのこと。
ドアを開けていればナースステーションからも見えやすいからかな?と思いつつ、
看護師さんが
「娘さん、いらっしゃいましたよ~」と母に声をかけると、
うつろだった母が目を覚まし、会って早々、
「何日も(お見舞いに)来なかった」と不満気😅
兄も来なかったのかと尋ねると
来なかったとのこと。😓😓😓不満を言えるくらい落ち着いたのならよかったと思ったけれど、
あきらかに衰弱していて、
本人はしゃべりたがるけど、相変わらず何を言いたいのか聞き取りにくい上に、
酸素数値が安定せずピーピーアラームが鳴ってしまうし、
疲れさせては悪いので、また来るねと伝えて洗濯物を持って退散。
とりあえずよかった、、、と胸をなでおろし家に帰る。
相変わらず誰もいない実家は慣れない。
あっちの部屋のもこっちの部屋のもすぐにテレビをつけてしまう。
ベランダからは母の入院している病院が見える。
朝起きてすぐにベランダを開けて、母があそこらへんにいるんだな、と確認する。
そして夜も、ベランダの窓からあそこにいるんだな、と確認する。
どうか良くなってほしいと祈る日々が続く。
つづく