毎朝のウォーキングは私にとって1日の基本となるすごく大切な時間なんだけど、 とっても気持ちのいい朝の空気の中をどんどん歩いていて、ふと思った。 10代の頃、つまりだいぶ昔の話になっちゃうけど、どこかを歩いていて木から松ぼっくりかなんかが頭に落っこちてきたときに、 何かにいじめられたような気がして悲しくなったことがあったな、って。 そんな被害妄想の10代かわいそうと思うかもしれないけど、結構そういうことあったな。 でも今朝感じたのは、愛情というか優しさというか、それと
私はとても感覚的な人間だとつくづく思う。 思い返せば、人生のいくつもの大きな決断、突き詰めれば結局「感覚的に」たどり着いたと言ってもいい。 最近、thedolectures のBonfire with Soul 2021というオンラインイベントのトークを聴いていたら、ホストのDuke Stump が同じようなことを言っていた。(といっても彼のスケールは違いすぎて、同じようななんて言うのがずるい気もするんだけど) thedolecturesというのは、世界中のクリエイティ
私は、「美しい」と表現することが好きだ。 Beautifulと美しい、は同じイメージかと聞かれるとそうでないし、でもそうあることもできると思う。 一度、「日本人は美しい、っていう言葉は馴染みがない。美しいっていうと、完璧とか非がないっていう感じで好きじゃないから、自分のことを美しいと言われたくない。」という話をした人がいた。その人と私はだいぶ長い間その話題であーだこーだと言い合った。 結局、どちらも折れないから、お互いに意見を変えないまま終わったのだけれど。 美しい、
このスペースを始めて、まずプロフィールを完成させるべきらしい。 ということで、職業とか書くのかな、趣味とかジャンルを書こうか、自分を文章で表すなら何かな、と思いめぐらせてみた。 それで、思い出したことがある。 長男が産まれるちょっと前、主人が夢を見た。 その時には4人家族(お腹にいる1人を合わせて)だったので、家族4人分の神様が創った「この人はこういう人です」というセンテンスをひとつずつ、なんだっけな、紙に書いてあって読んだのか、そんな感じで教えてもらう夢だったらしい
数日前、急にやるぞ、と思い立って登録してみた。 実は、日本語で自分のことを書くのって私にとってはすごくめずらしい。 別に、かっこつけてるわけでも、私日本語苦手なんです、ぶってるわけでもなく。 ただ単に、激動(?)の20代をイギリスで過ごしたので、いろんな大切な感情を英語で表現していたわけで、その続きで自分の日記も英語で書き込むことが多く、その続きで今に至るというわけ。 内容やそのときの感情によって、英語で書きたいと思うときと、日本語で書きたいと思うときが、あるのです。