(73)義父 過去最多の徘徊②
夫とエアタグの位置を確認しながら追いかける準備をした。さて、エアタグで見る義父の位置がどんどん遠くなっていくが、徒歩、自転車、車、どうしようか。帰り道は義父を車に乗せてあげないと疲れているだろう。しかし、車では入れない道も多い。ということで、私と夫は2人で車に乗ってエアタグの位置まで行き、夫が車を降りて探す、という方法にした。エアタグは物につけていたならば、すぐに見つけられるほど正確な位置を示してくれる。しかし、義父は延々と歩き続けているようで、エアタグが示す位置に行ったときにはもういない。それの繰り返しだった。どこまで行っても義父も移動していて見つけられない。夫をエアタグの示す位置あたりで降ろして、私は警察に捜索願を出しに行った。警察に義父を探すのを手伝ってもらうのは4回目…。捜索願を出して、また夫と合流して義父を探し続けるが、義父も義父で歩き続けているようで見つからない。そうこうしているうちに、夫の携帯充電が残り少なくなってきた。夫の携帯の充電が切れたらエアタグの在り処も見れない。もう警察も動いてくれているからいったん家に帰り、携帯を充電、義母の様子を見に戻ろう、ということになった。義母は、最初、玄関の鍵もチェーンも何もかかっておらず、義父が1人で出ていってしまった、と言っていたが、私は見ていたものだから、「ばあちゃん、鍵やチェーンの開け方をじいちゃんの後ろに立って教えてたよね?じいちゃんが行くとき、気をつけや、と普通に送り出してたよね。」と言うと、黙っていた。たぶん覚えているのだろう。夫と私は車の中でも充電できるようにコードを用意し、エアタグの位置が変わるたびに警察に連絡を入れ、軽く昼食を食べてまた車に乗ろうとしていたそのとき、警察から電話がきた!「◯◯駅付近で、無事保護しました!今からご自宅までお送りしますので自宅へ戻ってお待ちください」と。良かった。大きなケガはなさそうだけど、腕は擦り傷のようです、と言われた。前回は徘徊からそのまま救急車で救急病院に運ばれたが、今回は大きなケガではないらしい。40分ぐらいして義父は警察に送り届けられて帰宅した。5時間も歩き続け、クタクタのはずだが、どこへ行ってたの…と聞いても、取引先に行かないと行けなかった、とか、大事なメモがポケットに入ってるからそれをなくしたらまた行かないとあかん、など、認知症は強く出たままの状態だ。そして服を着替えさせ、腕のケガを水洗いして薬を塗りながら、「これ、どこでどうなってケガした?」と聞くと、「あー、これはトラックとぶつかったんや。運送会社のトラック。すぐ降りてきて大丈夫ですか?言うてきてたけどなあ。横におったおばちゃんも救急車呼びましょう言うとったけどなあ。もうええ!言うてんや」と言っていた。認知症の徘徊の義父が言うことだから、どこまで事実なのか、作り話なのかがわからない。事実ならば、結構周りの人も驚く事故だったのかもしれない。しかし、場所も、相手も何もわからない。ケガは病院に行くほどではなさそうだが、いったいどんな状態でぶつかってしまったのか…と気になる。そして、もう、本当にいつ交通事故にあって命に関わるようなことが起きてもおかしくないのだ、ということを再度痛感した。認知症の症状が軽い時間帯は、家族のこともわかるし、普通の日常会話がなりたつ。まして、たまにしか会わない人の前では緊張もするようで頑張ってその場を繕うように会話ができる。だからあまり周りの人には伝わっていない部分も多くあるのだが、こうやって5時間あるき続け、トラックにぶつかり、警察にお世話になって帰宅し、それでもなお、仕事の取引先に行く用事があって、と言い続けてる義父を見ると、在宅介護はできるのか?と改めて思った。チェーンをかけて閉じ込めるのも、私が家にいてる時間帯しかできないし、なんなら、今朝のように義母が開けてあげることが今後もあるかもしれない。きっとあるだろう。そう思うと…在宅で義父を守れるか?要介護3同士の義母に、何ができる?私はどこまでしないといけない?など、いろんな思いで頭はいっぱいになった。そして、この徘徊の経緯、私の思いをケアマネジャーさんに聞いてもらった。