不幸に対して鈍感であり、幸せに対して敏感でありたい
自分とは何か、本当は自分はどうしたいと思っているのか。自分とじっくりと向き合い自分を見つめることで、ありたい自分、あるべき自分の姿を見つけてほしい。それがセルフケアに繋がり、結果、他者へのケアにも心を配ることが出来ると考える。
「社会は人と人との繋がりで成り立っている。自分を深掘りすることで総じて先々のキャリア選択やキャリアアップにもつながる」というような気付きを促すための人材育成の講義を大学院でやっている(決して怪しいものではない)が、ある時、受講者の一人であった某教員から、自分を深掘った結果、大学の教員は辞めるしかないという結論に至ってしまった…とコメントがあった。人材育成の結果として大学を辞められてしまったら大学に怒られてしまうかも知れないが、それぞれの人生においてそのような気づきもまた良しではないかと思ってはいるし、結果として社会全体への貢献になっているかもしれない(ただし、今のところ当該教員はまだ大学で頑張ってくださっている)。
その講義の準備のために、学生の考えや思いをヒヤリングさせてもらうことあるが、ある時、学生の一人から「人生のうちで不幸だった時期はいつでどういった状況だったか」と問われた。
もう一度同じ人生を歩みたいか、と問われたらイエスと即答できない。遠回りばかりの人生で、それなりに辛かったり、悲しかったり、そして苦しく思ったこともたくさんあって、たくさん落ち込んだり泣いたりした。でも、それは不幸ではない。不幸だと思ったことはなかったのか、それとも不幸だったことを忘れてしまったのか。生きるのに精一杯で、それが不幸なことなのかそうではないのか、そんなことを考えている余裕もなかったかもしれない。
逆に幸せだと思ったことはある。たくさんある。多くは、人の優しさに触れたとき、何かを達成できたとき、数え上げればきりがない。日々、ああ幸せだなと思いながら生きているが、思い返してみると、こんな境地に至ったのは40歳を越えてからではなかったか。まさに不惑とは良く言ったものだ。
限られた人の一生の時間の中で、あえて不幸だったことにハイライトを当てないようにしているののかもしれない。幸せである時間を一分でも多く持ちたい、と思った瞬間があって、今に至る。これからも、ひとつでも多くの幸せの時間を見つけながら年齢を重ねていきたい。
京都大学大学院「医学領域」産学連携推進機構
鈴木 忍
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