持論は武器か、絆を裂く刃か?異文化の視点から考える意見の伝え方
持論を持つことは悪いことではありません。
またこれは譲れないという価値基準を持つことも良いことです。
自分なりの基準を持っていないと、人や社会の雰囲気に振り回されてしまいます。
感情の浮き沈みも人任せになってしまい、疲れてしまいますし、自分らしくない行動をとってしまうこともあり得ます。
でも、持論を振りかざして他の人の強要したり、自分の意見に同意するように説得しようとするのは如何なものかと思っています。
それで、できるだけ自己主張は控えめを心がけ、老害と呼ばれることがないように努力しているのですが、わたしの周りには主張強めの人が多くおり疲れてしまうことがあります。
例えば、健康法です。
慢性病にはコレが効く、アレを飲めと様々なご意見をいただきます。
わたしは皆さんが何を飲もうが、どんな運動をしようが気にしません。
ですから、わたしのことも適当にあしらって欲しいのですが、そういう雰囲気にはなりません。
次から次に持ち込まれる健康食品にちょっと困っています。
他にも、仕事への向き合い方や、生活習慣についてもご意見いただくことがあります。
上司からの命令であれば、倫理的に許される範囲で受け止めるつもりでいますが、まったくの部外者から無責任なダメ出しをされたりすると心が折れそうになります。
わたしのスタンスを説明すると、全否定されたりするので会話にならないなと思うことも多々あります。
もちろん、これは中国だけの問題ではありません。
日本でも同じく話が通じないことがあります。
また日本において同調圧力が高めなのは、相手に自分たちの意見を押しつけようとするせいなのでしょう。
先日、この話をフランス人としていました。
彼女はフランス人はみな持論を持っているけど、それを人に押しつけることはないと言います。
理由は、そんなことをすると友情に亀裂が生じるどころか、喧嘩になることもあるからだそうです。
自由がもっとも大事だし、それぞれが好む自由があるので、人のことに口出しするのはマナー違反だよと言います。
それで、フランス人はいつも暴動してるんだねと言うと、ちょっと睨まれてしまいましたが、彼女はそのとおりだと言います。
また、他人の好き嫌いという基準を押しつけられたように感じると、ものすごく不愉快になると話していました。
好きか嫌いかは個人的なことなので、自分の中だけに持っておけば良いことで、どうして相手が好きだと言うだけのことで、自分も好きにならないといけないのだと言います。
わたしもその通りだと思います。
正しいか正しくないかの基準と、好きか嫌いかという基準を混同してしまうと、面倒なことになると思っているのですが、どうやら中国人や日本人はそのあたりの切り分けが苦手なのかなと思いました。
もちろん、わたしもがっつりアジア人なので、上手に判断できてないと思うのですが、10年に及ぶ異文化生活で、少しずつ気持ちを整理できるようになったと思います。
さて、こういうことを書くといつも思うのは、日本へ戻ったら大変だろうなってことです。
社会復帰できるのでしょうか・・・
ちょっと心配です。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。
また明日〜