愛国心をパンツに例えた中国人のセンスに震えたお話
先日、Xにて「愛国心とはパンツのようなモノだ、誰もが履いているけど、注目を集めようと頭にかぶるのは問題がある」という書き込みを見ました。
元は中国語でして、内容はうろ覚えです・・・
確かこの書き込みに「魯迅でもこのような例えは書けないだろう」というコメントもあり、合わせて趣があるなと思いました。
こういう言葉遊びができる人のセンスに憧れてしまいます。
それはさておき、愛国心はパンツなので頭にかぶるなよ、恥ずかしいだろというコメントは国籍や地域を越えて普遍的な感覚なのかどうか気になります。
わたしは「日本スゴいでしょ」「日本人は優秀」というようなテレビ番組を見ると誇らしくなる前に恥ずかしくなってしまいます。
そもそも番組で取り上げられているスゴいものは、自分と直接関係がありません。
素晴らしいものを作り出している人や、素敵なモノを守っている人がスゴいのであって、日本がスゴいのでも、ましてや日本人である自分がスゴいのでもありません。
それなのに、主語を大きくされて自分たちがスゴいと喜んでいる人を見ると、滑稽に感じてしまいます。
そして、わたしだって、広告やメディアの情報によって、自尊心が根拠なく高まっていることに気づくと、滑稽さを通り過ぎて恥ずかしさを感じてくるのです。
ああいう番組を見るたびに、地元愛とか、愛国心というものは、もっと密かに大切に扱うべきものだろうと感じます。
こういう感覚はわたしだけのものなのでしょうか。他の国の人も中国最高とか、アメリカ イズ ナンバーワンとか聞くと恥ずかしくなるのでしょうか。わかりません。
もちろん、こんな私だって日本に帰るたびに、感動したり、心からリラックスします。
そして、楽しんだことを中国人に自慢したりもします。
でも、だからといって相手が戸惑ったり、自分でもバランスを失ってしまったなと思うほど、大げさになったりしないように気をつけたいです。
まさに愛国心や故郷愛はパンツのようなものです。人に見られるのも見せるのも恥ずかしいと感じるものなんだろうと思います。
さてさて、この愛国心=パンツという方程式ですが、他のものにも当てはまりそうです。
例えば、教養とか個人の自由や権利なども同じく、誰もが持つべきで大事に扱われるべきモノだと感じますが、他の人に見せびらかしたり、他の人に探られたりすべきものではないと思います。
みんな違ってみんな良いなんてよく人は言いますが、実のところお節介で、他人のことに口を突っ込みがちです。
同じく、パンツを頭にかぶるかのように、自分の意見や主張を誇示し、他の意見を認めないような態度を取る人も大勢います。
教養を見せびらかす人もいれば、個人の自由を声高に主張する人もいます。また他の人が自由を行使しないことを批判したり、他人を強制しようとする人もいます。
その結果、人と人の間に保たれていたバランスが崩れおかしなことになります。そのゆがみが面倒くさい空気を生み出したり、決定的な決別の理由になったりすることもあります。
そういう事態にならないようにするのが、良識ということなのかもしれないな〜と思ったりしました。
ただ、偉そうなことを言っているわたくしも、たびたび大人げない対応をしてしまうので反省と行動への転換が必要だと思っています。
いつもパンツを正しく着用して、気持ちよい毎日を過ごしたいと思っています。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。
また明日!
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