海外で暮らしても「つまらない」って気持ちから自由になれない理由
よく『海外に住んでるなんて、毎日が冒険みたいで楽しそう』と言われます。
でも、そんなことはありません。
通勤ラッシュやスーパーでの買い物など、日本にいようが中国にいようが同じこと。
あくまでも、海外生活は生活で、単なる日常です。海外旅行ならまた違う感覚になるのでしょう。
わたしは、地下鉄に乗って職場に向かい仕事をする。家に帰ってきたらビールを飲んで読書したり、映画を見たりする。
そんな毎日を、わたしはベトナムにいても、オーストラリアにいても、ヨーロッパやアメリカにいても過ごすように思います。
アフリカはちょっと違う気もしますが・・・
さて、日常に浸っていると感受性が弱くなり、実際は素晴らしいことや素敵なこと、反吐が出るくらい嫌なことが目の前で起きているにもかかわらずスルーしてしまうことがあります。
そして、わたしの感受性は今まさに敏感さを失っており、つまらなさを感じてしまっています。
たかだか1000文字のブログを書くためのネタを見つけられないのです。
毎日、処理できないほどの情報が飛び交っており、身の回りでも様々な事件や事故が起きているにもかかわらず、わたしの心は動かされず、ブログを書こうにも勢いを感じられないのです。
では、どうして日常に浸ろうとしていまうのでしょうか。
それはきっと疲れているからです。
考えたり感じたりするのが億劫に思えるほど、疲れているので日常のルーティーンに溺れたくなってしまうのです。
これを解決するためには、なにかを変化させるしかありません。
引越を検討しているのも、変化を起こしたいと思っているからです。
自分を変えるには環境からと言います。
今のお部屋をとても気に入っていますが、この環境で15か月暮らした結果、変化させた方が良いと、直感が言っているので行動したほうが良いのでしょう。
家が変われば、通勤ルートも変わりますし、所要時間も変わります。人の雰囲気も違うはずです。そういう変化がどういう影響を与えてくれるのか楽しみです。
また、仕事にも疲れています。
わたしは、日本語を教えることが大好きですし、人と会って話すのも好きです。何よりも人の成長を見るのが好きで、それを助ける仕事は天職だと思っています。
でも、与えるってすり減るんです。
それで、すり減ったところを回復させる時間がどうしても必要になります。
そのために、週に2日は仕事をしない日を作りたいと思っていますし、授業するにしても1日最大4時間にしたいと考えています。
しかし、自分の仕事量やスケジュールを思い通りに管理できる立場にはいません。結果、今陥っている負のスパイラルから抜け出せずにいます。
でもマネージャーやボスと相談して、よりよい仕事をするためにもスケジュールは調整したいと思います。
そして、わたしの仕事量と予定を調整することは、会社にとっても、わたしにとっても、何よりも私が担当する学習者にとって良い結果になると思います。
もし仕事の予定が調整できないにしても、引越は自己責任で行えることですし、環境を変化させることは簡単なので、すぐに取り組みたいと思っています。
恐らく3週間以内に新しい部屋で note を書くようになるでしょう。
そして、回復のために良いことを行うつもりです。
身体に良いものいただくようにして、不必要なストレスを加えてくるものから距離をとろうと思います。
世の中には無価値なだけではなく、有害なニュースが多すぎます。そういうものを知らなくても困りませんので、楽になるため情報も良質なものを選ぼうと思っています。
小さなことでも良いので、自分を良い方向へ変化させて行くことができれば、そのうち感受性を取り戻し、バランスの取れた考え方や感じ方ができるだろうと思ってます。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。
また明日!