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ミニマリズムへの挑戦:自分にとっての「無理」を大切にする理由

引越しが終わり、家具の配置も決まりつつあります。

大家さんと交渉して、気に食わない家具は古くて汚いという理由をつけて処分していただいたのですが、ベッドは新品だったので残されることに。

このベッドが安っぽくて、しかもマットは板のように硬く、妻もわたしも腰痛になりそうです。

しかも、わたしはベッドはひとりで使いたい派、なんなら寝室も夫婦別にしたいくらいなので今の状況に戸惑ってます。

妻様は大家のベッドが淘宝で150元程度で売られているのを見つけ、捨ててしまって引っ越すときに新しいのを買っておけばよいなんて言ってます。

わたしも概ね同意なのですが、その話を中国人にしたら「なんてもったいなことを・・・」と絶句されてしまいました。

わたしにしてみれば、使えない道具を置いておくことこそ浪費です。

さらに大家さんは家具があることが大事なわけですし、おそらくこのベッドは前の住人が大家のベッドをダメにした代わりに買ったものだと思われます。

それで不要なら捨ててしまい、必要な時に買い戻せば良いと思うのですが・・・これは価値観の違いですので気にしないことにしましょう。

さて、今回わたしはかなりのものを処分しました。

洋服もカバンもかなり減りましたし、履き物も靴が4足、サンダルが1足まで減らせました。

雨が降らなければ靴は2足くらいにしたいのですが、湿った靴を履きたくないのでこれ以上減らすことは無理っぽいです。

この無理っぽいという感性が大事かなと思っています。

よくミニマリストがものを減らすとき、なくても大丈夫は全捨てでなんていいます。

仰ることはわかります。

そして捨てるのも難しくはありません。なくても大丈夫かどうかという判断が難しいんです。

そして必要なモノは人によってまったく異なります。

例えば、わたしたち夫婦は中国生活を急遽中断して帰国することになった場合、ネコさんを帰国させることを第一にすることで合意しています。

わたしたちはネコさんのために、他のすべてのモノを手放しても仕方ないと思っています。

でも、この決定は「わたしたち」の決定であり、世界の常識でも標準でもありません。

帰国に伴い、ネコ様に新しい家族を準備することだってできます。そして、そういう選択もアリですし、他人からなんら批判される理由もありません。

でも、その決定は私には無理です。そしてそれで良いのです。

大事なのは自分には何が必要で、何が無理だと理解することです。その判断を人に任せるべきではありません。

そして、自分には無理なことがわかってない人が、ものを減らしはじめると不幸になりかねません。

無理を貫いてしまい、手放すべきではないものを手放してしまい、そのことを後悔してすごすことになるかもしれません。

後悔は非常に強い感情で、部屋に放置された生ゴミのような存在になりかねません。

例えビニール袋の中に隔離されていたとしても、そこに生ゴミがあると思うだけで不安になります。

同様に後悔という感情も、すでに処理済みだと思っていても心の中に残っている限り不安をまき散らす存在になるのです。

それで、後悔しないためにも自分のための基準を引くことは大事です。

今回、わたしが処分しなかったものにワイングラスとシャンパングラスがあります。

コップでもシャンパンを飲めます。

でも、友人が数ヶ月に一度我が家に来てシャンパンを飲むときに、いつも嬉しそうにする姿が大好きなので、このグラスは処分できませんでした。

これが自分にとって大切な存在であり、基準線なんだろうと思います。

この無理というラインはモノを所有するか処分するかだけではなくて、誰と付き合うか、どこに住むか、どんな暮らしをするのかにも当てはまります。

それで後悔しないために、自分は何が好きで、何を無理と思っているのかをしっかりと考えたいと思っています。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。
また明日!

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