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note 330日目を迎えて、文章には「愛」が必要だと思ったお話し。

昨日、noteを書き続けて330日となりました。とうとう1周年までカウントダウンです。愚痴と疑問ばかりの内容ですが、それでも大勢の方に読んでいただいていることを感謝いたします。

わたしが note を書く理由は、けっして高尚なものではございません。330日続けてきても、50日目に書いた内容と大きな変化はありません。

以前、書いた通りですが、毎日何かを書くという習慣を身につけたかったこと、そして、「自分が見たり聞いたりしたことに関して、どう思ったのか?そして、今この瞬間、どうしたいと思っているのかを確認するため」に、noteを書いています。

ただ300回を越えて感じるのは、人の暮らしってルーティーンなんだなってことです。つまり、同じようなことの繰り返しばかりです。まもなく1年となるので、今後は365日前の今日、どんなことを考えていたのかを確認しようと思ってますが、恐らくさほど変化はないでしょう。

いつも同じ話をするオッサンがそうであるように、限られた経験しかもたず、しかも感受性が乏しいと気づきも少なくなります。こうなると、今後もnoteを書き続けることは難しいと思います。

最近、読んでいる本があります。

この本の中で、勝浦さんは次のように文章についてコメントされています。

どんな些細な言葉も、どんな平凡でありふれた物語でも、そこに愛があれば、それは愛の言葉であり、愛の物語なのかもしれません。

勝浦 雅彦. つながるための言葉~「伝わらない」は当たり前~

この部分に強く心が動かされました。

幾ら自分が面白いと思ったからといって、何でも言って良いわけではありません。特に note というプラットホームを借りて情報を公開しているのですから、より配慮が必要です。

そして、勝浦さんが指摘されているように「愛」があるかどうかが大事です。愛とは、相手を思いやり慈しむ心でしょうし、自分よりも相手を大事に思う気持ちに動かされる行動です。

勝浦さんは「相手に響かない」ということは、その文章に「愛」を感じられないってことでしょうと説明されました。その通りだと思います。

◇◇◇

昔読んだ本に「愛は動詞」だと説明されていました。それで、自分が誰かや何かに愛着を持っているだけでは愛とは言えません。その対象のために、何か有益なことを行うことが大事です。

そんなことを考えていると、今後の note に何を書くべきか、そして何を書かないでおくべきかをじっくりと考える必要がありそうです。

できれば、今後も毎日 note を続けていきたいと思っていますが、もしかすると自分が定めた基準に達しないときは、noteを公開しないと言うのも必要なことかもしれないな、なんて思ったりしました。

いつもnoteを読んでくださっている皆様、心から感謝しています。またTwitterなどのSNSにリツイートしてくださったり、感想を書いてくださる方、本当にありがたく思っています。

今後は、すこしでも有益で「愛してる」ことが伝わるような内容を心がけていきたいと思います。そんなことを言っているけど、いきなり明日はゲスい内容になるかもしれませんが・・・

いつも読んでくださりありがとうございます。また明日!

ぜひぜひ、サポートをお願いします。現在日本円での収入がなく、いただいたものは日本語教材や資料の購入にあてます。本当にありがとうございます。