中国のシェアチャリに乗ってたら「壊した」と「壊れた」の違いを考えることになったお話し
定期的に大学院に行って授業をしています。最寄りの地下鉄の駅から歩いて10分ほどで大学院に着きます。駅から大学までは緩やかな下りがずっと続くので自転車を使うととっても楽です。
昨日も駅前でアプリを使って自転車を借りて、大学院に向かう道を下りながら物思いにふけっていたら・・・
「ガコン」
段差を降りたときに嫌な音がして、ハンドルの付け根のところが外れてぐらぐらになってしまいました。
「マズい、壊した」と思って自転車を停めて見てみると、どうやら安心して運転できる状況ではなさそうです。どうしたものかと悩んでいると、通りがかった大学生らしき人が「どうしたの?」と話しかけてきました。
それで状況を説明すると、故障を報告すれば良いと教えてくれて立ち去っていきました。
それでアプリの「自転車を返す」の画面にある、故障報告をクリックしました。すると故障箇所を指定するようにと言われ、さらに写真を送ってと指示されたので、ぐらぐらにしているハンドルの写真を送りました。
すると今回の料金は無料ですと表示されて、自転車を無事に返すことができました。
壊したのか、壊れたのか問題
わたしは自分が自転車を壊したと思ったので、どうやって償おうかと考えていましたが、シェアチャリの会社は事務的に「壊れたんですね。報告ありがとう」って感じで処理してくれました。
中国人に聞いてみると「それは 壊れた んでしょ、あなたの責任ではない」と言ってわたしの感覚を理解できないって感じでした。
借りたものが壊れたので責任を感じたのですが、どうやら彼らはわたしが自転車が壊れるタイミングに運悪く出くわしたと感じたようです。
これで思い出したのが、とあるアメリカ人教師との思い出です。M先生としましょう。高校生の頃、M先生の教室にお世話になっていました。そして講義で使うマイクをセットしたりするお手伝いをしていました。
マイクのスタンドを設置していると、スタンドとマイクをつなぐ部分が折れてしまいました。わたしは自分の扱い方がまずかったと思って申し訳なく思い、M先生に「すいません。スタンドを壊してしまいました」と言いました。
するとM先生は「いいえ、もしわたしがマイクのスタンドを触っても折れたと思いますよ。今日が寿命だったのでしょう。」と言われました。その時は、なんて優しい先生なんだと思ったのですが、考えてみるとM先生の言うことももっともです。
どうしてすぐに自分の責任だと思うのか?
モノが壊れるというアクシデントに対して、感じ方がまったく違っている理由はどうしてだろうと考えてみました。
それはきっと「迷惑をかけてはいけない」「粗相をしてはいけない」と口やかましく言われてきたからだろうと思います。
また子どものころ、モノを壊してしまったときに「どうして壊したの?」といつも詰問されていたのもあるかなって思ったりしました。
普通に触っていて、モノが壊れるというトラブルに見舞われたとき「消耗品だから仕方ないね」と言われたことはなかったように思います。
だからまずは自分の責任について考えるようになったのかもしれません。
対策はネコを飼うことだと思う
ちなみに自分が使っていてモノが壊れるとすごく憂鬱になるのですが、他の人がわたしのモノを壊してしまっても、それほど気になりません。
むしろ新しいのを買うチャンスくらいに思います。
そして我が家のネコさんは、わたしのモノを机の上から落としまくります。iPadの隅っこはすでに凹んでいます。割れなかったので良かったって思っているくらいです。
ネコにいたずらされてモノが壊れても、自分がネコさんの目の着くところに貴重品を置いていたのが悪いくらいに思えるようになります。
理由はいたずらするネコさんも大好きだからです・・・時々、反省しているような表情を見せるのもたまりません。
ですから考え方を変えるのにネコを飼うことはおすすめですよ。
なんだか話がずれてしまいましたが、昨日自転車が壊れて「壊した」と思うことと「壊れた」と思うことの差ってとっても大きいと思ったってお話しでした。
今日も最後まで読んでくれてありがとう。また明日!