失敗したら全力で言い訳を考えてほしい

「どうして失敗したんだ!」
「あれがああでこうで……」
「言い訳するな!」

ここまでテンプレ。

いきなり何

ここ最近、特に草野球をやっている時ですが、若い選手(それも自分より一回り以上若いこともしばしば)と接する機会が非常に多くなっています。
昨年度から所属しているチームでは、私より年上の方もそれなりに在籍していますが、今季新たに加入(というか始動)したチームでは、私は最年長(7月23日時点)。
監督も10歳以上年下、選手の平均年齢を取ってもおそらく22歳程度と、これはこれでなかなか馴染むのも大変です。
一歩間違うとムード×持ちの中年になるので。
まあ、その話はまた後日別記事でするとして。

学生時代の部活や会社勤めの頃からなのですが、私はいわゆる「新人教育係」「若手指導係」みたいな役割を与えられることが多くありました。
(部活のときは「めんどくさいからこいつに押し付けておけ」的な意図が多々あったとは思われますが)
そんな経験があるからかどうかは知りませんが、草野球の場でも、野球未経験者・初心者のメンバーに対しては、少なくとも自分としてはわりと親身になって接するようにしているつもりです。

どうして私がそういう行動を取るかというと、それはひとえに、
「せっかく始めた野球を辞める結末になってほしくないから」
という思いからなんですよね。
過去に、メンバーの大半が経験者のところに飛び込んできた未経験者が、経験者との温度差に苦しんだり、それを理由とする周囲からの嫌がらせを受けたりした結果、野球を辞めてしまったというシーンにも遭遇したことがありますし、それに対して無力だった自分を責める気持ちもあります。
なので、未経験でも草野球の世界に入ってきてくれた人に対しては、そういう嫌な思いはしてほしくないので、積極的なサポートをしています。

理由と言い訳の違いを考える

みなさん、失敗をしてしまった時、どういう対応をされることが多いでしょうか。
または、(特に年下や立場が下の)他のメンバーが失敗をしてしまったとき、どのような態度をとるでしょうか。

結論から言うと、私が他人の失敗に対して何か言う場合は、
「まずはとにかく失敗した理由を考えてもらう」
という行動を取ることが圧倒的に多いです。

なんでやねん、となるかもしれませんが、もちろん理由があってのことなので。
持論として、大半の失敗・やらかしには、それが発生した理由があると思うんです。
その理由がわからなければ、再発防止策とか改善策の考案とか、やりようがありませんよね、というわけです。
この文章の冒頭に記した、テンプレ的なパワハラシチュエーションは、それに対するアンチテーゼでもあります。
その中で、どうして、と「理由」を聞かれているのに、それを答えたら「言い訳」扱いされてしまう、という、意味不明な変換が行われていますが、実は私はその点はある種のポリモーフィズム(多態性)みたいなものだと思っていて、つまるところ「理由」と「言い訳」は、根っこの部分では同質的なものなんじゃないの、という話です。

厳密に言うと「理由」と「言い訳」は違いますが(「言い訳」はマイナスの事由から逃れようとして使うものなので)、言い訳探しと理由探しって、似てると思うんですよね。
こと、失敗の原因を探す場合には、その区別が特に曖昧になるのではないでしょうか。
例として、
外野手がフライを落球した際に、「太陽が眩しくてボールが見えなかった」と言ったとします。
これ、失敗した理由にも、言い訳にも、どちらとも取れますよね。
となると、もはや理由と言い訳を区別することは無意味ともいえます。
なので、表題の「全力で言い訳を考えてほしい」というフレーズには、「言い訳チックな内容でも構わないから、どうして失敗してしまったのかをしっかり言語化して建設的に分析してほしい」という意図があります。

失敗した理由を考えるのって難しい

さて。
野球とは失敗のスポーツである、などとよく言われますが。
その失敗の原因の分析については、正直まだまだ軽視されていることが多いなぁ、というのが、私がこの記事を書いている時点での印象です。
特にアマチュアの、その中でも競技レベルが低くなればなるほど、そういう傾向が強いかなとも思います。

というのも、失敗をしてしまったとして、その原因分析を既に自分でできる人というのは、ぶっちゃけ放っておいても問題ないですよね。
ですが、それができない人だとどうでしょう。
できない理由は色々考えられます。
自分で考えるためのベースとなる情報や知識などが不足している、自分で考えるメソッドが身に付いていない、自分を客観視するのが苦手、持っているデータと失敗の内容にマッチする解決策をうまく結びつけられない、などなど……。
そういう段階の人に対して、「自分でよく考えろ」と一言かけたところで、そもそも「考える方法を考える必要がある」状態なので、これでは言われたほうも困ってしまいますよね。
特に野球は、複雑怪奇なルールを持ち、一人の選手が求められる技能も多岐に渡り、団体競技でありながら個人競技的な性質も強く持ち合わせ……と、スポーツの中でもなかなか特殊な部類に入るでしょうし、その中で起きてしまった失敗について分析するというのは、経験が浅い選手にとっては、下手をすると実際にプレーをするよりも難しいのではないでしょうか。
また、ファールボール拾いやスコア記入、グラウンド整備、用具の後片付けなど、プレー以外の動きについても、参加回数を重ねるごとに少しずつ覚えていくものですから、最初は「やらない」よりも「やることを知らない」ことによる失敗が発生しますよね。

そういったことを考慮しても、未経験者または経験の浅いメンバーを受け入れる側というのは、失敗を分析して次に活かす力を身に付けられるようなところまでサポートする責任みたいなのがあるんじゃないかとも思います。

失敗したらどうする

では、今まさに「失敗の分析→修正・改善」というプロセスを身に付けようとしている途上にある人が、失敗をしてしまった場合はどうすればよいのか、という部分についてですが。
これも表題の「全力で言い訳を考えてほしい」に繋がります。
ちゃんとした理由とはいえないような、一般的に「言い訳レベル」とされるような内容でもいいから、なんで失敗してしまったのかを考え、どうすれば失敗を防げたかをしっかり分析してほしいんです。
なので極論、「ぼーっとしてた」とか「頭がそこまで回らなかった」みたいな、いわゆる「しょうもない理由」でもいいんですよ。
それもまた理由には違いないので。
「次に同じようなシチュエーションが発生したときは、今回注意が行き届かなかった領域もカバーするように行動する」でいいんです。

そして、たくさん考えた結果「なぜ失敗したかわからない」「どうすればよかったのかわからない」というところに行き付くこともあるでしょう。
これについても、わからないことはわからないでいいと思うんです。
わからないから、そういう状況に初めて遭遇したから失敗した、というケースも絶対あるわけで、そんなときは自分より経験の深い人や、失敗を起こした分野が得意な人にアドバイスをもらい、それを吸収して成長すればいいのです。

ただし、失敗をしっかり分析して改善策を立てても、同じ失敗を何度も何度も繰り返してしまう場合は、他に何らかの原因があると思うので、別なアプローチが必要になるかとは思いますが……。

失敗の扱い方と個人・組織の価値観

失敗を犯し、反省しようとしている者を貶め、突き放すことは簡単です。
組織の求めるレベルについてこられる者以外を切り捨てることも、強い組織を作るための手段の一つとしては間違っていないでしょう。

精鋭を選抜するような方法で強化された組織というのは、往々にしてドライな雰囲気になるか、中心人物とその周囲の人たちが形成する価値観や行動パターンから一定程度外れる人を排除するようになる傾向が強くなるように思います。
そういう方法で強い組織を作りたいという考えを否定するつもりは毛頭ないのですが、私の考えとは相容れないものがあります。

私が大切にしているキーワードのひとつに「遊び心」があります。
これは別に、なんでもお遊び気分でやればいいとか、そういう意味ではなく、「心に余裕を持ちましょうね」ということです。
さまざまな物事に寛容であり、個性や多様性を尊重することを常に頭に留めておけば、自分の価値観から外れる事象と相対することがあっても、「あー、そういう考えもあるのか」とか「まあ、こんな人もいるよねー」といったノリで対応できるようになり、無駄なイライラやストレスを抑制することに繋がりますし、色々な物事に余裕をもって対応できるようになる、イレギュラーな状況が発生した時への対応力が強くなる、のようなメリットも生まれるのではないかな、と考えています。
逆に、個人であれ組織であれ、寛容さや多様性の尊重といったバッファ(緩衝帯)的な部分がなくなる、いわゆる「遊びがなくなる」ような思考プロセスや組織構造だと、たぶん内部的にも対外的にも常に緊張感があり、わりとお互いの腹の内を探り合うようなギスギスしたムードになるんじゃないかと思うので、それを目指して意図的に作り上げることに対して否定はしませんが、私はそういう価値観では動きたくないですし、そんな雰囲気に包まれた場にいるとすぐ疲れちゃいますね。

まとめ

総括すると、「失敗に寛容であり、それを成長に繋げられる思考プロセスや環境を持つ」ことが、豊かな人間性や組織の強さを育む、というのが私の考え、ということになります。

それについても、多種多様な価値観のひとつなので、そんな甘い考えは世間じゃ通用せんぞ、なんて思われる方もいらっしゃるかと思いますが、それについても私は「それはそれ」としてスルーしちゃいます。
別に「唯一無二にして絶対的正義」な普遍的価値観が存在するわけではないので。
(その「絶対的正義」を大々的に設定して繁栄した国家や組織の行く末は、ここで語る必要が無いくらい、古今東西だいたい同じですし……)

私は現在(2023年8月)、草野球チーム新設に向けて準備を進めている状態ですが、チーム方針の策定であったり、雰囲気作りであったり、そういうもののベースには、先程述べた価値観があります。
もちろん、それだけではどうしても解決できない問題に直面する可能性も大いにあるので、その場合は違う視点、違うプロセスによる打開を図らなければなりませんし、いざその時がやってきたら、速やかにアプローチを変えられるような柔軟性も必要でしょう。
「押してダメなら引いてみる」ってやつですね。ちょっと違うか。

なんだか色々と書いているうちにどんどん話が脱線していった気がしますが、私の悪い癖です、これ。
結局何が言いたかったかというと、
「いっぱい失敗して、失敗したらちゃんと原因を分析して、わからないことはどんどん覚えて、次に生かして、成長を続けましょう!」
ってことです。
その考えに基づいて、これからも新たに野球の世界に飛び込んでくれた未経験者・初心者のサポートは僭越ながら積極的に続けるつもりですし、なんなら自分自身も野球に限らず、まだまだ失敗から学ぶことだらけです。
人間、考えることをやめない限り、ずーっと成長し続けられるはずですから。



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