改めて、通訳としての自己紹介
今更になってしまいますが通訳としての僕の経歴等、自己紹介させていただきます。
名前:Masa
年齢:昭和50年生まれ49歳
既婚
子供:男の子2人。中学1年生と小学1年生
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職業:通訳
2年目2024年11月現在
翻訳通訳会社勤務
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通訳及び翻訳専門分野:
美術、精密機械、電気、建築、建築図面、契約関連等
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通訳所属業種:国際間における美術監修、建築施工における通訳、翻訳の提供およびコンサルタント業務
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通訳以外の英語実務経験
商社英文事務職:2年
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生い立ち
1975年、非嫡出子として出生。
2024年の夏、僕は図らずも自分の出生は独身だったママと妻子ある会社経営の男性との不倫の結果だったということを知った。
6歳の時初めてママと二人だけの暮らしをする。しかしその暮らしは半年で終わった。
一緒に暮らせたのはわずか6ヶ月だった。
ママは厳しい人だった。彼女から小学校入学式のその日にハリ倒されて、顔面を蹴られて鼻血が出た。僕はそれまで人にそんなふうにされたことがなかった。
お前はアホ、どうせ何をやってもダメ、バカ
とママに怒鳴られていた。
彼女は僕のおねしょに怒り狂った。僕を裸にし叩いた。粗相してしまうとお前はどうせ服を汚すから無駄だと服を着せてくれなくて、裸でそのまま放っておかれた。
また、僕には理由がよく思い出せないのだが、とにかく、よく怒られて、必ず裸にされて叩かれ、時に外に放り出されることもあった。裸のまま正座をさせられてドリルをやらされて部屋に閉じ込められたこともあった。
でも僕はママのことが好きだった。
だけどママは
お前なんか産まなきゃよかった
お前なんかいらない
お前なんか捨ててやる
ってよく言ってた。
そして今からその理由を思えば全く当然のことだった。僕は不倫の関係で望まれずに生まれてしまった命だったからである。
6歳でママが再婚で去る。
お前なんか捨ててやるというのは本当だったのだ。
親戚をたらい回される。幼児の頃から続いていた夜尿癖により、養育先でそのことに関して厳しい折檻を受けた。裸にされ布団干してお尻を叩かれたり、睾丸をものさしで、叩かれたりした。でも僕にはどうにもできなかった、寝る前に水を飲まないようにしてもトイレに行って行っても粗相してしまうのだった。
ある時は、服を脱がされ、女の子の格好させられ、そこの主婦の女の子2人の前で嘲笑われたりした。
ある日、もうお前みたいな強情なやつは勘弁しないと散々、臀部を打ち据えられた後、車に乗せられ郊外に連れて行かれ、裸で山の中に置き去りにされた。
この主婦による行いは僕の中に一生消えない傷を残した。体のアザが見つかり児童相談所により保護される。児童相談所滞在の後、児童養護施設へ送られる。
この頃からすでに英語に興味を持っていた。そして漠然と自分が仕事をするならば絵描きになるか、通訳になるかと頭に思い浮かべていた。現在自分がついている仕事通訳はこの頃からの憧れだったのである。
児童養護施設で7歳から15歳まで育つ
早くそこを出たかった
中卒で世に出て働く
僕は小学校の頃から中学校においても学校や施設で絵が上手いということは知られていた。しかし絵をどうやって仕事にするのかとかそういうことを全く考えていなかった。そこまでの頭がなかった。ただ絵をひたすら絵を書いて楽しがっているだけだった。ましてや英語で自分が働けるなんて夢物語としか思えなかった。
中卒にできる仕事は限られ、初めての仕事は青物卸売問屋だった。そこは午前4時からから夕方まで働く環境だった。今思うと15歳の子供が働くような労働環境ではなかった。
しかし中卒の僕にはその他にどういう仕事をしていいかわからず、また働き口も限られ、最初にバイト雑誌で見つけたその仕事を、結局、ワーキングホリデーをするまで7年間やり続けることになるのである。
この7年間は寂しかった。
ただ仕事と家を往復し友達もいなかった。
彼女を作りたかったがもちろん、15歳を過ぎてもなネションベンするような自分が女の子と付き合えるとは思えなかった。
仕事し、お絵かきし、コンピューターゲーム。そういう日々を繰り返していた。夢も希望も目標も何もなかった。
一人暮らしを始めて7年目、ニュージーランドのワーホリを決意した時、銀行口座には600万円を超える貯金があった。これが後々の高校、大学の学費となっていくのである。
22歳ニュージーランドワーキングホリデー。
ホストマザーに出会い人生が変わる。
僕は中卒だった。
しかし英語に関しては勉強し続けていた。
そして洋楽の影響やワーキングホリデーにより、一気に強化された。
23歳帰国学問を志す
27歳高卒
32歳の時初めて女性とお付き合いする。それが今の奥さんである。僕は天にも昇る気持ちだった。自分のことを好きになってくれる女の人が現れるなんて奇跡としか思えなかった。
34歳武蔵野美術大学卒業
奥さんと結婚。
高校、大学において英語は楽しんで勉強した。自然と成績も良く学校で習う英語に関しては苦労を一切感じなかった。
35歳、長男を授かる
大学卒業後、10年間運送業に携わりながら絵画制作、発表に挑戦、数々の賞を受賞
43歳、次男を授かる
TOEIC 挑戦開始
絵でご飯を食べることはできないと、辛い決断を下した。生きるためだけに仕事やるのは大きな間違いだと考えた。人生を豊かに生きるためにも自分が得意なことを好きなことを仕事にしていかなければきっと後悔すると。
そしてその時になって初めて仕事というものを真剣に考えた。僕ができる得意なことは絵を除けばあとは英語しかなかった。そしてやりたい仕事といえば通訳だけだった。そのことを念頭に据え英語を学習にさらに力を入れていった。
45歳TOEIC 900点取得、英語で働くと決意
職業訓練において英文事務職に関連する業務を学習
46歳未経験から商社英文事務職に正規雇用
実用技能英語検定準1級に合格
商社で英文事務職をしながら僕はいずれ通訳になるために条件を崩すことを考えていた。例えば多くの通訳は英検1級の取得は必須だった。である以上働きながら必死に英検1級の勉強した。
英検1級は僕は子供の頃、大人たちが口にする英語検定のとしては唯一のものだった。その頃まだ TOEIC は知られていなかった。そして大人たちが
あの人が英語がすごい
というのは英検1級を持ってるからだという話をいつもしていた。ゆえに自分にとっては英検1級は子供の頃からの憧れでもあった。
47歳、実用英語技能検定1級に合格。
子供の頃の憧れだった英検1級についに合格する。不合格を経験し辛い経験もあっただけにこれを喜びはものすごく大きなものだった。
英文事務職経験、及び英検1級の取得を武器にし通訳求人に片っ端から応募。
48歳、通訳として翻訳会社に雇用される
オンライン英会話を始める
49歳、現在
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英語学習歴38年
所得英語検定
実用英語技能検定1級
実用英語技能検定準1級
TOEIC L&R 900点
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最終学歴
武蔵野美術大学造形学部卒業
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海外体験
ニュージーランドワーキングホリデー
アメリカにおける通訳体験
海外旅行多数
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英語における実用スキル
通訳
翻訳
英文書書類作成
輸出入処理
英語による事務処理全般
英語電話架電、受電
英語におけるマネジメント、プロジェクト進行管理
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英語継続における目標
ニュージーランドマッセイ大学におけるMBA修士号の取得
国連英検特 A 級
IELTS6.5以上の取得
通訳翻訳経験及び英文事務職経験を生かし、マネジメント職につくこと
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趣味
英語学習、オンライン英会話、
子供達と公園で遊ぶこと、
お絵かき
読書
プラモデル
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もう一つのライフワークとしての絵画制作
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その他:左利き、獅子座、血液型O型
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外見:タイトル画像の通りちょっと痩せるのが必要な49歳のおっさんです。つむじが2つあります。
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信じていること
英語は生まれ、お金、学歴、年齢は関係ない。努力し継続すれば身につけることができる。そして英語で人生をよりよくできる。
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以上が簡単な僕の通訳としての職歴や取得英語検定及び海外体験実際に身につけた英語実務経験、また生い立ち、これからの英語目標も含めた自己紹介となります。
よろしくお願いします