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自分を表現するということ。

noteの自由さが好きだ。

SNSと違って、まわりに気遣うことなく、思ったことを素直に書いてもいいカルチャーがここにはある。

思えば小学校時代から書くことが好きで、得意でもあった。大学は文学部を選んだ。

20代から30代にかけての「主婦時代」は何も書いていなかったが、独身に戻ったことをきっかけに、ブログを書くようになった。

2004年。ブログがまだまだ珍しかった時代だ。

もう時効だから言ってしまおうか。当時名乗っていたペンネームは「マダムK」。なんと怪しい名前。今はなき楽天ブログで「マダムKの西麻布通信」というタイトルだった。職場が西麻布の不動産屋だったので、当時六本木ヒルズができたばかりの界隈のことや飲食店事情を書いていた。

ちょっとした人気ブロガーになり、人との交流も生まれ、楽しくて楽しくて、毎日のようにブログを書いていた。

その頃が一番書くことを楽しんでいたと思う。

その後ITライターとして書くことが仕事になり、次にSNSの本を書いてそれが仕事になった。プライベートのはずの投稿まで仕事がらみになり、あちこちに配慮しはじめると、どんどん書くことがつまらなくなってきた。

書いている本人がつまらないものを人が面白いわけがない。次第に、文を書くことが「表現」ではなくなり、単なる「コンテンツづくり」やルーティンと化していた。

そして先日。この動画を見てはっとした。

The Greatest Showman の「This Is Me」。

キアラ・セトルは決して美しい容姿とはいえない。しかしとてつもない美しい声で「これが私」と身体全体で表現している。強烈な自己肯定の叫びだ。

表現するというのはこういうことか。

表現などしなくても、人は生きていける。自己表現は、ひとつの「オプション」に過ぎない。

人は「表現者」と、そうでない人に分かれる。どちらを選ぶかは自由だ。

だったら私は、「表現する人」になろう。

歌も、絵も、踊りも、お芝居もできない私が今できる唯一の表現手段は「書くこと」。

自分にとってもまわりにとっても大事なこと、特にライフテーマの食に関することを、言葉を使って表現していこう。


冒頭の写真は、私の住む福島で開催されている「伊藤若冲展」。100を超える作品展示を見てきた。

若冲は偉大な表現者だ。85歳で没する最後の最後まで創作活動をやめなかった。むしろ晩年に名作が多い。さまざまな絵画表現を試行錯誤し、新しさを創りだしていった。

自己表現に遅すぎるということはない。年齢も関係ない。

表現者は職業ではなく、在り方なのだ。


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