命の大切さ
どうもkumanutsです。
高校の時、自分の体を傷つける人がいた。その人と私はただ話をする関係だった。私はどうしたら止められるかを考えていた。その人は心境の変化があったようで、気づけば傷つけることをしなくなっていた。
その人と話をすることは、諸刃の剣だった。核心を突かれる。痛くて納得しかできない。つぼ みたいなものだった。
その人と話をしたことが大きく影響して今の私を作っているように感じている。あの人はそんな風に考えていないだろうけど。
その人と話すうちで、この世界にはたくさんの違和感があることを、違和感を真っ向から見ている人がいることを知った。
今回はその違和感の一つです。
ところで人はどうして怖いと感じると思いますか?
執着があるからです。
生きていたいという執着があるから死を恐れる。
体を大切にしたいという執着があるから怪我を恐れる。
いつも快便なのに、今日は一回も出ていないから怖くなる。
着ぐるみは可愛くて癒されるはずなのに、包丁を持っていたら怖くなる。
命を大切する。人類皆が明るく楽しく元気に前向きに頑張って生きていく!怪我も病気もせず、長生きする!
確かに命を大切にすることは、その周りの人をハッピーにすることにつながります。
しかし命に執着すると、
嫌でも仕事をしなくてはならず、動きたくなくても病院に行かなくてはならない。もっと楽しいことをしたいのに親の言うことを聞かなくてはならない。もしくは聞いた方がいい。人生の先輩方の話は役に立つ(何に?ー生きるのに)。健康に気をつけて、長生きしなければならない。自殺はいけない。未遂はカウンセラー行き。
傷つくことを恐れ、存在を認められないことを恐れ、心配されないのを恐れ、捨てられることを恐れ、お金がないことを恐れ、食べ物がないことを恐れ、挑戦を恐れ、衝突を恐れ、美味しいを恐れ、病気を恐れ、痛みを恐れ、人を恐れる。
これでは何もできない。
いや、何もできない というのは少々言い過ぎではあるだろうが、様々な制約がかかることは間違いない。そして、多くの人が思う「生活で不便なこと、嫌なこと」というのは命への執着が原因に違いない。
私たちが長生きしようとすることが、日々の生活を苦しいものにしている。私たちはわざわざ茨の道を付け足して歩んでいるのだ。
だから命への執着を減らすべきだ。
しかしこの執着は強く根付いてしまっている。土に根っこを残さないよう、少しずつ丁寧に掻き出すことが必要だろう。
そのためには、命に執着しない意識を持てばいい。
この体が、精神や魂が、命が、
なくなってしまっていい、死んでしまっていい。
日々そのように意識することが必要。