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もし勘違いが勘違いじゃなかったら

どうもkumanutsです。

これは「勘違い(錯覚を含む)」の株を上げるための記事です。(………は?)

ではどうぞ。(いや待て動機は?)

え、動機ですか? そうですね、勘違いが不憫に思ったからでしょうか。(もうちょい詳しく)

例えば同じ長さの線をTの字に描くと横棒の方が長く見える。という現象、もとい勘違いがありますよね。あの現象が単に『これは錯覚なんだよー。面白いよねー。あははは。じゃあ次行こうか』みたいな立ち位置にいることがなんだか可哀想で。

では改めてどうぞ。



「~みたい」「~に見える/聞こえる」という風に言うことがあると思います。

3つの点が人の顔に見える  とか。(シミュラクラ現象と呼ばれています)

もしも、その「AはBみたい」が「AはBだ」と考えたら世界はどう見えるのかなーと思いました。

つまり、

「もし勘違いが勘違いじゃなかったら。」

という話です。

飛行機は鳥のように飛ぶ

→飛行機は鳥だ。

まるで空中を泳いでいるかのようだ

→まさに空中を泳いでいる


……空中泳げるならもうなんでもできる気がします笑


持論ですが「AはBみたい」というのは、

「私からはAはどう見てもBなんだけど、周りの人が、『いやAはAだ。Bじゃない』って言うから、じゃあ"Bみたい"って言おう」

ってことなんだと思います。


でもこれっておかしいじゃないですか。

AはBだと感じた人がいるなら、その人にとってA=Bなのであって、それが"現実"なのです。


具体例を以下3つ挙げます。(1.空中を走る、2.階段、3.幽霊)

具体例1.森を抜けてそのまま走り切ったらそこが崖で、ワーーー!と落ちてしまうシーンがアニメや映画であります。

その人にとっては確かに現実に森を抜けた先に"道があった"。一瞬空中を"走った"。でも崖だと気づいた途端に道は無くなり、落ちてしまった。

つまり、勘違いで人は空中を走れる!


2.私の実体験を例にとります。

私は階段の段数を覚えておくのが好きです。数えながら降りたら昇ったりして、ぴったり合うと嬉しいです。

今住んでいるマンションは不思議なことに2階から1階の間だけが7段で、他のところは8段あります。

私は時々目を瞑って階段を昇り降りするという趣味があります。

だから私のマンションでは注意が必要です。「8段だな」と意識して悠々と降りていくと、2階から1階のところで、もう一段あると思って降りようとします。すると想定外に足が早く地面にたどり着き、膝がガクッとなります。外から見たら相当滑稽な動きをしていることでしょう笑

この時私の中では、もう一段あってそれを降りようとしています。私の体はもう一段降りる時と全く同じ動作をします。つまり、地面にもう一度足が着くまで私は階段を「もう一段降りている」!!!

階段がもう一段あると「勘違い」しているわけですが、それはもはや階段がもう一段あると同じではないでしょうか。

(興味があれば一度やってみて下さい。階段があると思ったのに無かった時のあの感覚は、病み付きになりますよ。)


3.非科学的とされている幽霊を考えてみてください。私は幽霊を見たことがないので、分かりませんが、幽霊を見たという人はたくさんいるのでしょう?

だとしたら幽霊は確かにいるのだと思います。火のないところに煙は立たない。


「勘違い」を単なる勘違いとして切り捨てることは、勿体ないと思うのです。

勿体ないどころか、もしかすると勘違いを含めてこの世界なのだと考えてみると宇宙の真理とかが見つかるかもしれません。

(私もまだ分かっていませんが希望的観測)

読者の方には日々の「勘違いさんたち」をもう一歩まともに見てほしい。そう望みます。

P.S. 写真の月は、月の模様がウサギとかカニとかに見えると言う話から。

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