熊野通信アーカイブス(その八拾四) :人生に熊野を・・(6)
前回は、私たちの過ぎたる文明の考え方を見直す意味でも、数千年の智慧の詰まった紀伊半島に身を置いて、大自然から遊離した生き方を見つめましょうと言うお話をしました。
光陰矢の如し
もうすぐ、あの未曽有の大震災・大津波から、はや一年(注:2012年当時)になろうとしています。何が起こっても不思議じゃなかった、年回りの昨年の「辛い卯年」から、節分を機に今年は 「壬(みずのえ)の辰年」に入りました。辰は、まさに振動・振幅・震撼につながる、世の中の揺れを表わしています。
刻一刻と迫る文明の危機。起こっている事を風化させずに、その奥底にある意味を、一人ひとりがしっかり捉える時到来となっています。
前代未聞の火の無い火祭り
過日、立春明けの2月6日(注:2012年当時)に行われた、熊野・神倉神社の勇壮な火祭り「お燈祭り」は、前代未聞の「火が点かない闇の火祭り」になり、松明の迎え火で温かい春を呼ぶことが出来ませんでした。
今まで30年近く、同じ時刻に同じ場所に立って、寒風に包まれ黒潮の海で禊ぎをし、毎年同じ装束に荒縄を腹に巻いて闇の石段を駆けて、神倉山に火を点けに上がっていますが、この異変の予兆は「子年を中心にして前後五年」・・・つまり、すでに十年前の羊年の2003年から始まっていたのです。
火水(かみ)から水火(みか)への転換
火・太陽に象徴される「干ばつ」「猛暑」「噴火」、水・月に象徴される「大雨・洪水」「大地震・津波」「台風・山崩れ」「大寒波」の数々の異変の兆しは、来たるべき時への心構えを伝える ≪大自然からの転換のサイン≫ でした。
これを警告と捉えるも、優しい思いやりと捉えるも、受ける私たちの心持ち次第なのです。ただ今まで当たり前になってしまっていた、「火」と「水」の大いなる仕組みが数千年の時を経て、元へ戻そうとバランスを取っているだけなのです。今一度心のバランスを取り直しましょう。
NPO法人 熊野生流倶楽部 代表 満仲雄二